その冬は酷く厳しい寒さになり、その夏は殺人的な猛暑が続いた。
災害が多発した。
疫病が流行った。
世界中に戦争の火種がちろちろと炎を上げはじめ、難民があふれ、世界中で人々の暮らしは厳しくなった。人心が荒れた。何もかもが関連して現れる。
元首相が暗殺される。
暗殺事件がおこるなんて時代は逆行しているのか。激動の政変時代に戻るのか。
そして政治と宗教の長年の癒着が明るみにさらされる。
無理が通れば道理は引っ込む。何が道理なのかわからなくなる。場所によって正義が変わってしまうから。民意は無視され或いは民意は分断され。誰かが匿名で誰かを抹殺する。メディアによってたくさんの憶測やドラマが跋扈し、都合のいいものをそれぞれの人々は信じ、感情ポルノが利用されてゆく。魑魅魍魎跳梁跋扈。
私が家出した年である。
今日まで生き延びている。
昼下がりの平和なカフェで珈琲をすする。奇跡のようだ。
夏の終わりの午後の光。
あらゆる夏休みの思い出の数々が一つの総体として今を覆う。
すべての私の存在した夏休みが幸福な物語に読み替えられ、インテグレードされて哀しく甘くこの私にやってくる。私は本当に幸せだった。
世界の終りに遭遇しても決してこの言葉は違えない。
至福と哀愁の痛みが私の世界を浸潤して豊潤な光で満たしてゆく。それはこのために生きてきたのだと思うほど甘やかで優しく幸福な、絶対の感覚で。
眩い光の中に私はいる。そしてその光の中で、今ここに決定的に失われていたはずの過去が永遠として今この時に現在しているという両義を両義のままに私は享受する。
小学生の頃の夏休みの日々、中学に上がった年の夏休みの日々は連綿と幸福な永遠に連なる。ぽっかりと腑抜けた印象の薄い、転校後の阿佐ヶ谷中学での夏休み。そのときおそらく私は不幸だったのだろう。
(いやわからない。光や時空の関係であるときぽっかりと風景は内側から浮かび上がってくるものだから。もし不幸だったとしたら、どこかの風景に投影して、そこに飛ばして隠蔽した意識そのものが浮遊しているはずだ。)
そして豊多摩の夏。はじめて入学と卒業を完遂したはじめての母校となった、あの学校での初めての年の夏。あの夏休みがひとつの人生の核を成している。…いや、あれがひとつの核を成してこの胸の内に曼荼羅宇宙を展開させる力となっている、ような気がする。更なる深奥へと反転する核をとりいだしすべてに溢れる恩寵の光。
*** ***
早い夜、相変わらず私は寂しい。
私はひとりになりたい。これでは寂し過ぎる。
だからただ寂しい寂しいといって泣く。
私を閉ざす抑圧の世界から解放され、ほんとうにひとりでいられるなら、ただ静かに人々の通じ合う意識のマトリクスの層にしずみ、祈りのかたちである本を読み音楽を聴き酒を飲み安らかに世界全体を愛することができるのに。
寂しい。
或いは、カオナシのように、寂しいのかもしれない、その反転と逆説。