酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

母喪失後記録 冬の雨、朝のラジオ

今朝は朝から降り続くしとしと冷たい真冬の雨、世界中冷たく薄暗い雨に降り込められて限りなくひとりの部屋の中。

意識の楔を手放したうとうとと寝苦しい浅い眠りの中で、無防備な意識の核子供のままの寂しさと恐怖にとらわれた怖い夢ばかり見ていた。

早朝、いつものようにここに目覚めてしまった、という絶望と共に目覚める。

天涯孤独なのだ、という胸が凍るような感覚が激しいリアリティで私を押し潰している。永遠に未来はない。世界に意味はない。わたしはひとりなのだから。

雨は降り続く。
この部屋では世界はすでに終わっている。喪失だけのがらんどうだ。

母が生きていたときの思い出は死んだのに私はおめおめとここに生き残っている。
そんなはずはなかった。

畜生畜生。
生きるのだ、生きるのだ、幸福を生きねば、与えられた私を、あの幸福を恩寵の光の日々を自ら損なわい、失うようなことをしてはならない。私は。

 *** ***

ただ孤独と死と虚無が怖くて寂しくて胸が冷たくて痛くて、本当にどうにもならなかったのだ。

このいつもの早朝の絶望からは逃れられない。身体は痺れるように疲れ、重く動かず痛んで苦しい。

もう一生逃れられないのか。常に胸の奥を重たい涙の塊が押しつぶしている。喜びを感じる心も魂も。

薄皮一枚でようやく保っている。
細い針ですいっとなでるだけで、トリガーがはじけ薄皮は破けて闇が噴出する。笛を吹くような声が漏れ出す。血が吹き出すように喚き出し泣き出す準備ができている。

…イヤ、もっと恐ろしいことにおそらく私はもう既に泣き出すことすらできない。涙や哀しみは絶望からの救済だから。

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時間が、世界が運行している。
私から遥か彼方に離れたところで。

友達も兄弟も昨日と同じように今日を朝を生活を社会の中に紡いでいる。

日常を営み小さな苛立ちや愛や幸福や悲しみの意味がとりどりに世界の豊饒を構築した、その彩られたうつくしいもの価値を抱く人々が日々を紡いでいる。

だが畢竟それが何だというのだ。
ここにはない。私にはない。私の感謝と愛と喜びの魂のところは母が向こう側に連れて行ってしまった。

何もかも上滑りに滑ってゆく。

壊れてしまう、こんな日々が続くのか。


がらんどうなまま生きるのも死ぬのも…
もうすべてがあんまり面倒すぎる。

もがきながら薄皮の上で日々を過ごす。その己の立つ存在基盤がその足元からボロボロと崩れ底なしの虚無へと堕ちてゆくリアリティの上に危うく立ち。

今まで立っていたところが、私の育ってきた歴史が丸ごと、その現実であったという幻想が、共有される関係性の中で成り立っていた個的な真実、いやその真理への信仰が崩れてゆく。舟板が抜ける。

岡崎京子の「ジオラマボーイ☆パノラマガール」冒頭で、主人公女子高生が押入れで枕を抱えて「世界になんてなんのイミもないっ!」と叫んだシーンをふと思い出す。ストーリーでは恋がすべてを塗り替えるのだけど。まあね、それなら世界に恋すること。愛すること。ひとつ己の心に灯を感じることがすべての世界へのまなざしを存在を、関係性を、つまり「現実」を変えることになる。)

過去から未来まで存在には意味がなかった。心はこんなに空っぽで飢えているのに五感はなんの物語も受け付けない、テレビも音楽もダメ、暗くて寒くて暗いニュースにはただ理不尽の闇のあきらめとかなしみと鮮烈な痛みのスパイラルに引き摺り込まれる。生命の力、心身の欲望と夢の残滓にしがみつかなければ生きられない。

周囲の涙が出そうなやさしさ立派さまばゆさがより一層私を暗くおそろしくする。

 *** ***

そう、そんな風が今朝はあんまり厳しかったので、とにかく精一杯部屋を明るく暖かくして、数年ぶりに語学講座以外のラジオにすがりつくように手を出した。

友人の勧めである。

もともとラジオは好きだった。
中学生の頃布団の中で目覚ましかけて聴いていたオールナイトニッポン、深夜ラジオ。

朝の朗読番組。NHK語学講座。

ゴンチチの世界快適ミュージック。
最近では春樹のは一応聴いたけど。

どうもねえ、最近は何だか得てしてラジオもあんまりおもしろくないやな、と思ってたのだ。他のことでいっぱいでその世界に心のチューナーを合わせるトレーニングから離れていたのかもしれない。声が届く、遙かな夜空の向こう側から瞬く星のようにあえかな声をラジオは受信する。

…あのラジオワールドよ再び、と心のリハビリのつもりでチューナーザッピング。
やっぱり今のご時世のラジオワールド、最初煩いばかりであれこれダメだったけど、あきらめかけたところで、すっと吸い込まれる場所にたどり着いた。

子供科学電話相談室。

…今朝を救ってくれた新しいチャンネルはこれだった。

懐かしい世界を思い出す。
自分の子供の頃、その記憶の、そのとき見ていた世界、可能性に満ちた豊かさが当然であるという、その世界のチャンネルが子供と眼差しとそれに寄り添う周囲の人々の真実として私にひらかれる。

リアリティ。

未来を持つ豊かな世界を感じる心たち、こどもたちの昆虫や鉱物の話を聞いていたら落ち着いてきたのはそういうわけだ。これで夢膨らんで科学者になる子供がいたりするんだろうなあ、とか、その心の中の明るい未来像に共振しながらイマココの牢獄は本当は牢獄ではないことを心は知ってゆくことができる。

止まない雨はない。新しい朝は来る。こうして今日を乗り越える。