酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

晴れた夏の朝

晴れた夏の朝。

母が抗がん剤治療のために入院する朝。荷物をもって車の前まで見送った。
眩い朝、見送る車が強烈な光の向こうへと遠ざかる。

昔見た風景のことを思い出した。

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人々のいつもの通勤電車。けれどその朝は日常から少しだけ、いや、徹底的にずれた異空間をゆくことを意識する。二重の風景をゆく陶酔を、朝のいつもの中央線で。

眩い空、青い青いそら、白く輝くビルディングの、その存在の奇跡がいきなり裸の姿で開かれる心持がする。非現実こそが日常に覆い隠された真実であると。

通勤通学日常の中に暮らす人々がその光に埋もれて閉ざされた枠のまま私の残像を残してズレてゆく。

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学生の頃。

トルコへ、成田へ。永遠の長い夏休みへ旅立ちの朝。
何もかもが新しい夏の朝だった。

母と笑いながら「うるさいポチだねえ。」と(コロを使ってリードを引くようにして荷物を転がすと犬の散歩のようなので私の旅行鞄は私によってポチと名付けられていた。コイツがぼこぼこ悪い道を引きずるときガアガアとものすごくうるさいのだ。)スカイライナーに乗り、ゴロゴロと荷物を引きずってたどり着いたのは、何もかもから逃れたぽかんと白いがらんどうのメディアの場所、成田空港。

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成田のあの奇妙に明るい非日常が好きだ。無国籍。土産物、免税店の独特の空気。日常現実の重力から逃れ、ぽかんとした時空間を通り抜け、ワープ空間を通り抜け、それぞれの切符に応じた次元の異なる異界へ旅立つのだ。世界各地へ旅立ってゆく離陸、異界に通じる無限の物語を背負ってやってくる未知の国の人々。着陸、飛行機の風景。ここにはそのメディアの雑多と多様のるつぼであるようでいて奇妙に清潔で無色な光があふれている。皆がひとときどこからも逃れている。

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飛行機に乗り込む階段のトンネルを潜り抜ける。洒落たネッカチーフのCAさんたち。荷物を上げ下ろし、ばたんばたん。

空飛ぶ閉ざされた時空間。特殊な場所だ。それぞれ皆が席の上で眠ったり起きたり。映画が流れ時間になると機内食が提供される。麦酒を頼むことだってできる。

声が奇妙に遠くに或いは胎内に響くような轟音が耳に響き続ける飛行機の旅。窓の外を駆け巡る夜と昼、時間間隔がなくなってゆく。灯りで夜と昼と食事の時間を演出する。

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…あの時の旅立ちの朝の光が、入院してゆく母の乗った車がきらきらと去ってゆく風景に不思議に重なり、何だか私は陶然として眺めていた。今まで流れていた繰り返しの日常、そのひとつの世界の終わりの朝の光。うっとりとかなしいような至福感に溺れてゆく朝と光の始まりと終わり、その明るさ。

三週間後、母はきっと無事に帰還する。
この夏を乗り越えたとき、家族全員の新しいうつくしい日常世界が次のステージに、今までの歴史が浄化されインテグレードされたかたちで構築される。そうでないはずはない。

今までできていたことができなくなることは、失われたことなのではない。

過去の風景は、失ったものなのではない。それは得たものなのだ。
その記憶はかけがえのない存在の記憶、存在の証明。これからは失われ損なわれることを恐れることはない。それは魂と時空に刻み込まれている。そう、これからは決して誰にも損なうことのできない、不確実な事実としてではなく確かな真実として実存を生き始めることができる。

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…ただ新しい狭間の光の中で、そんな未来が夢が見られることをぼんやりと祈る。世界は今奇妙に白い光の乱反射、何にも属さない空の上のハレーション。歩いている自分は不思議な過去の方向に飛んでいく斜めな足取り。