2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧
節操がない、というのはどっちかというと節操があるよりなんだか好きである。いや、ずっと好きである。 うむ。 …高校時代、なんだかなんとなく周囲には、大人ぶって大衆的なものを馬鹿にするとか斜に構えた皮肉な知性とか変わり者紙一重の個性とかスノッブと…
ここ数年、いやもっとずっと前から。 毎年、自分の誕生日は決まって、不思議に心身絶不調で、何をやっても裏目裏目、非常に悪い星の下に、という気持ちになってココロががらんとして地下にめり込む日となっていた。朝から晩まで超低空飛行。 お星さまの定め…
S君と私は大変仲が悪かった。 高校の同級生である。 喧嘩もよくした。(仲が良くてじゃれあう、というレヴェルの、中高生によくあるごちそうさま痴話げんか的な微笑ましいものでは決してない。本当に仲が悪かったのだ。) それでもとりあえずやっぱり友人で…
駅までのそのそ歩いていたら、水玉模様のぴちぴちなずぼんをはいた自転車の女の子3人に追い越された。流行ってるのか?水玉ずぼん。 ずぼんである。ああまでぴちぴちだとパンツ、とよんでもいい。 だが自分、あの二本足になった衣類のことをパンツと呼ぶのに…
腹を立てている。 と書いてみて、何故「腹を立てる」というのか、と思いついて不思議になって眠れなくなってしまった。 腹とは寝たり起きたり立ったり座ったりするものなのか。 自分が横になったときでも腹だけが立っているのか。図解として成り立たない。立…
序 安房直子。美しく柔らかく、少し怖いような、類稀な作品を多く残した童話作家であり、熱烈なファンは多い。 民話的な要素を色濃くもった彼女の作品群の、骨太で深い独自の魅力は、どのような構造の中に秘められているものなのだろうか。ずっと考えてみた…
音楽でも文学でも絵画でも、その背景を知ってることと知らないこと、という違いについていつもジミジミと考えている。味わい方が、感じ方が、見える意味すら変わってくる。 だがしかしそれは、けれどもそれが「知っていること」が必ずしもより深く高尚で真実…
昔書いた手紙が出てきた。手紙じゃなくてメールだけど、プリントしておいてたんだな。書き散らしたいろんなものの中から出てきた。 本当に出したメールなんだけど、それをもとにあちこちちょっと編集して載せてみる。しかしこんなみょうちきりんなメール受け…
安吾先生ありがとう。今夜もべろべろで幸せです。 いろいろ悲しかったことも寂しかったこともひどいやと思ったことも、全部くすくす笑い飛ばしたくなる。いいこともありがたかったことも嬉しかったこともいっぱい。べろべろ。 まだ生きてる。誰のためでもな…
子供の頃読んで、タイトルの印象とストーリーが頭のどこかにずうっとひっかかっていた。教育的な寓話的なイメージなんだけど、そのメッセージがよくわからなかったんである。わからないまま心の奥のわからなさの森に、その豊かな魔法の国のイメージはしまわ…
時折、たわむれで首に手をかけられたときのことを思いだす。そっと大切なものを扱うような、とても優しくてあたたかい手つきで。いつももの柔らかく微笑んでるひとだったけど、やっぱりそのときも優しい顔で、声で、囁いた。「殺してあげようか。」ヤラレタ。…
ふつふつと怒りを感じることもある。 生きてるからには。 一生懸命なえらい人の言動をスカっと馬鹿にして喜ぶスカした野郎な言葉にものすごくイライラ。そのひとがきらいなのだ。 でもやっぱりどう転んでもその怒りはその人自体に対してではない。 愛情や尊…
「遊びをせむとや生まれけむ」或いは「ホモ・ルーデンス」 ***…遠い昔、高2か高3。初めて出会った場所は近所の裏通りの小さな英語の塾であった。 大学生アルバイト講師の彼はよくこう言っていた。 「楽しくなければ塾じゃない。」 …本当に毎回わくわく…
知らなーいーまーちをたーびーしーてーみいたい〜♪ …で、道に迷うのが好きである。道に迷う話を読むのが好きである。 *** 道に迷うということは自分のいる場所が地図的に鳥瞰できないということである。日常において人はその己の日常世界の一日の、ファミ…
優れた数学者は恐らくピュアな論理を詩的官能の喜びとして受けとっており、優れた小説家は人間の織りなす物語構造を非人情の視座をもって眺めている。 アクセスは違っても高みに行きつけばとても近い。最新物理学と最古の仏教思想の世界認識スタイルの類似の…