酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

両親を失う

その冬、幾度か寝たきりの父の見舞いをした。

母の死以後、ふいっと人生を投げだしたように突然の認知症から身体の老化の同時進行、すべての彼の生命の力が急激に衰えて意識も失い、病院に入ったのだ。

ただ点滴で生き延びている。
ベッドの上でぼんやりと水面下をおぼろに浮き沈む意識による表情。

私はしきりに春樹の「1Q84」、さまざまな桎梏を抱えたまま、NHK集金人の父の最後を見舞う天吾の気持ちのことを考えていた。私と父との関係性について、家族についてさまざまを思い出していた。

 ***  ***

そして間もなく訪れた。
予想はしていたものの、あまりにも思いがけなく早かった父の死の日である。
母の死からわずか一か月だ。それまでは全く普通に話し食べ暮らす日常を営んでいたのに。人がその生命をつないでいたものは心によるものが本当に大きいのだとものすごい説得力で実感した。母の存在する日常、という条件がすべてのその輝きを支えていたのだ。

 ***  ***

「今日中でしょう。(=危篤です。)」

という昼過ぎの連絡に駆け付ける。

 ***  ***

その日の午後は、ただその長い午後を父の死を待ちながらその病室で黙って過ごした。ボコボコと酸素ボンベの音が響く中をただその瞬間を待ち続けた。
奇妙に長いようで短いような静かな午後だった。

苦しみはない。死因もない。
ただひたすらこんこんと眠り続けたために食べたり飲んだりをすることがなかった。理由はそれだけ。

純粋に老衰である。
身体がゆっくりと身体を維持する力を失っていった。安らかであった。

母のようにむりやり命をもぎ取られてゆく風景、あの悲痛な痛み、苦しみ、哀しみの傷ましい激烈さはなかったのだ。

 ***  ***

母の末期がんの苦しみは激烈なものであった。
末期癌病棟の、あちこちからひっきりなしにうめき声やブザーの響く陰気な病室。面会に行ったら泣くように縋り付くように車椅子から身を乗り出し、寂しい、寂しい、ここはいや。家族が一番だ、帰りたい、帰りたい。

早く帰って三人でそろって仲良く過ごそう、と最後まで言い続けていた。自分が死ぬなんてことはひとかけらも考えていなかった。ただひとりでベッドで泣きながら苦しみ続けていた。

母はあんな風に苦しんではいけなかった。
胸を引き裂かれるように一日に何度もあの表情を思い出す。

病は脳に転移していた。思えば、あの奇妙な転び方。身体はあのとき既に蝕まれていたのに私たちは気づかないフリとして、その壮絶な日々の闘病と介護の生活の戦場の中で、必死になって朝昼夜の日常の平常心を装い続けていた。続くと思っていた。

絶え間なく心身を疲弊させ続ける恐怖や介護による己の心身の限界に押しつぶされないように、一生懸命笑って笑ってもらって、喜んでくれるなら何でもやった。そうして無理やり「今まで通り」を続けようとした。ほころび始めるその日々の幻想、それでもその日々でも続いてほしかった、ただ母には精一杯に一緒にいてほしかった。生き続けていてほしかった。うちの子に限って、うちの母に限って、死ぬなんていうのは未来永劫絶対にあり得ないことだったのだ。日常は永遠に続くと信じていた。論理ではない。感情がそう信じていたのだ。

(ただね、最後の一週間を過ごしたホスピスは本当によかった。明るいあたたかな世界を演出するための心のための場所。母はそこでだけ許された薬の力で、苦しむことなくほんのりと眠り、ぼんやりと目を開けて話しかける私たちの言葉に笑って少し話したり、或いはただ緩やかに眠り続けていた。)

これに対して、父の最後は苦しみはまったくなかったのだ。
ただひたすら静かであった。

 *** ***

その不思議な半日は、よく晴れた冬の午後だった。
ひとりの人間が死ぬこと生きたこと日常のこと、生きているものとの関わり。私と父との、家族で重ねたたくさんの記憶の風景、そのリアルと捏造。社会的役割とアイデンティティとそこからはみ出ていたはずの個。その総合としての存在。

長い午後の病院の廊下の、死と生と日常が当然のように融合している特殊なアマルガム時空。その日の不思議な光の長さ。

病棟の廊下の端の窓から夕暮れの光。

夜になる。

「頑張って、頑張って。」と弱りゆく生命の脈動を示す機械のインジケーターに姉と二人でただ焦り、肩をゆさぶり耳元に話かけ続けた。

けれどだんだんそれもかなわなくなる。皆に見守られながら最後の眠りはすうとまっすぐなラインによって示された。ひとつの人生が終わっていった。

医師による確認と宣言。

「お疲れさまでした。」と私が言う。義兄が言う。父に言う。甥は黙り込み、姉や姪はただ涙ぐむ。

一通りの手続き、そして見送る。

姉一家と別れる。彼らは彼らの家族として今夜を支えあう。「夕飯どこで食べようか。」声が聞こえる。

ひとりの夜道を誰もいない家に戻る。
暗がりをバイクで走る。

そのときふいに襲い来る、私を圧迫するこの時空の重み。
湧き上がる感情。大切な、どうしようもない寂しさと同時に来る自由の気高さとばかばかしさ、のようなよくわからない感情のカタマリ。

私の味方はもういないのだ。家族はみんな死んだ。
生きることに残されたことは、後は、ただひとりのさびしい闘いなのだ。

幼い日、こんな自分なんか考えられもしなかった。
だからこれはきっと嘘なのだ。

その夜の記憶があまりない。
酒を飲んで眠った。

翌朝のことも覚えていない。
奇妙に覚えていない。

ただいろいろと思い出したり未来のなさを感じたりしていた。

生き残っている。
日々は続いている。

ただ私は朝の光の中でぽかんと座り続けている。
多分、永遠に、ずっと。

納骨の日

両親二人分、無事納骨してきたよ。
冷たい風轟々だったけど、抜けるような青空素晴らしくて真っ白な富士山を見晴るかす、そんなお墓だった。
どうしてだろう。この日まで富士山のこと誰も気が付かなかったのだ。
暗い土の中に埋められてゆくあの白い壺の中身が、お骨が、私を育み共に過ごしてきた両親を成してきたものであること、その焼かれた後の骨であることを、それがその形になるまでのその一連の日々を考えようとする自分と考えまいとする自分の中の嵐とお坊さんの読経による考え、感情、一連の儀式と親戚とのやり取り。
この一つ一つの心の内外の風景の流れが、全体ひとつのものとして心の奥に刻まれる記憶に醸成されてゆく確実な予感を私はずっと感じて続けていたと思う。
 *** ***
とにかくこの一日を無事終えて、本当にひとやまだ。
ほっとした。
そして私の心はアレを繰り返し呟いていた。
(ぼくはもう疲れたよパトラッシュ…)
(イヤ今回実務で実際起動してたのは姉だったんだけどね。納骨までの日々というだけで、その心身の苦行の道のりを生きるだけで。もうこれで私が生きなくてはならない責任がようやっとなくなって解放される。いつも母がお昼寝したりパソコンとにらめっこしていたりして安らぎの場所であったあの座敷に安置し、障子越しの明るい朝の光に清浄と安寧を保つその遺骨を確認しまもり、日々、お香を供え話しかけていた。寂しい、帰ってきて助けて、と甘え続けた。)
帰りに鰻と鯛のお店で春の膳。鰻重がすごく美味しそうだったんだけど(山椒の香りも素晴らしい。)とりあえず鯛茶漬け写真。
おばちゃんたちや姉一家と両親の思い出話のための席である。
二人の位牌もテーブルに並べて、みんなと一緒に鰻重や鯛茶漬け、小豆アイスのご馳走、いちいち一緒な気持ち。「ママがね、これ好きだったんだよね。」「ふたりでこんなこと言いながら食べてたよね。」「ね、おいしいよー、春だよー。」皆で語り合い思い出を分かち合い彼らの過去を現在化、魂を現前させ、他の人々の心に新たに両親の姿をよみがえらせながらながら一緒にいただく心持ち、季節のご馳走。
 *** ***
共通の人を思い出しながらの思い出話は亡くなったものと縁者を結び分かち合い新たにそのヒトとして生きた歴史を知り為人を学び広げながら、死者も生者もその場を共有した全員をそれぞれの形でその永遠へつながるものとして繋げてゆく。
最後の、生命の衰えた日々、直近の、その一筋の時間軸だけの寂しいかなしい痛ましいものだけではない、さまざまのステージをそれぞれふさわしく活動し思惟し生きてきた、人としての一生の豊かさが、その終わりに鮮やかにインテグレードされてすべてよみがえり、すべての時間をかけがえのないものとして一生は、その人生はうつくしい物語やイデアの形に豊かに醸成され完成されてゆく。
それを死という時間の無常と喪失のかなしみや痛みを乗り越えながら生きるこの世界の縁者である私たちがともに成しとげ分かち合うことなのだ。一連の儀式はそのための知恵ともいえる。
(だけど、だけどまだだめなんだ、まだ私は…)

春の前菜(菜の花好きだなあ。)(大変上品な味わいだったけど、個人的には辛子醤油が一番好きではあるのだな。ぶつぶつ)、お刺身や揚げ出し豆腐、筍と若芽(若竹はうまい!)と柔らかく仕立てられた鰻、長芋の羹、鰤の照り焼き季節のハーブと大根ステーキ仕立て。デザートは硬めの小豆アイス、ちょっと塩気の効いた煮小豆が絶妙と好評。

すべてがとってもうつくしく丁寧にしたてられ、それにふさわしい上品な味付けで可愛らしい春の季節感いっぱいで、皆に大好評。

穏やかな陽射しの中を流れる時間、不思議な非日常の一日。納骨儀式かくあるべしに終始した。

みんなみんなお疲れさま。お姉ちゃん特にお疲れさま。
よかった。(お店とメニューは姉チョイスなんである。さすが我が姉。)

母喪失後記録 冬の雨、朝のラジオ

今朝は朝から降り続くしとしと冷たい真冬の雨、世界中冷たく薄暗い雨に降り込められて限りなくひとりの部屋の中。

意識の楔を手放したうとうとと寝苦しい浅い眠りの中で、無防備な意識の核子供のままの寂しさと恐怖にとらわれた怖い夢ばかり見ていた。

早朝、いつものようにここに目覚めてしまった、という絶望と共に目覚める。

天涯孤独なのだ、という胸が凍るような感覚が激しいリアリティで私を押し潰している。永遠に未来はない。世界に意味はない。わたしはひとりなのだから。

雨は降り続く。
この部屋では世界はすでに終わっている。喪失だけのがらんどうだ。

母が生きていたときの思い出は死んだのに私はおめおめとここに生き残っている。
そんなはずはなかった。

畜生畜生。
生きるのだ、生きるのだ、幸福を生きねば、与えられた私を、あの幸福を恩寵の光の日々を自ら損なわい、失うようなことをしてはならない。私は。

 *** ***

ただ孤独と死と虚無が怖くて寂しくて胸が冷たくて痛くて、本当にどうにもならなかったのだ。

このいつもの早朝の絶望からは逃れられない。身体は痺れるように疲れ、重く動かず痛んで苦しい。

もう一生逃れられないのか。常に胸の奥を重たい涙の塊が押しつぶしている。喜びを感じる心も魂も。

薄皮一枚でようやく保っている。
細い針ですいっとなでるだけで、トリガーがはじけ薄皮は破けて闇が噴出する。笛を吹くような声が漏れ出す。血が吹き出すように喚き出し泣き出す準備ができている。

…イヤ、もっと恐ろしいことにおそらく私はもう既に泣き出すことすらできない。涙や哀しみは絶望からの救済だから。

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時間が、世界が運行している。
私から遥か彼方に離れたところで。

友達も兄弟も昨日と同じように今日を朝を生活を社会の中に紡いでいる。

日常を営み小さな苛立ちや愛や幸福や悲しみの意味がとりどりに世界の豊饒を構築した、その彩られたうつくしいもの価値を抱く人々が日々を紡いでいる。

だが畢竟それが何だというのだ。
ここにはない。私にはない。私の感謝と愛と喜びの魂のところは母が向こう側に連れて行ってしまった。

何もかも上滑りに滑ってゆく。

壊れてしまう、こんな日々が続くのか。


がらんどうなまま生きるのも死ぬのも…
もうすべてがあんまり面倒すぎる。

もがきながら薄皮の上で日々を過ごす。その己の立つ存在基盤がその足元からボロボロと崩れ底なしの虚無へと堕ちてゆくリアリティの上に危うく立ち。

今まで立っていたところが、私の育ってきた歴史が丸ごと、その現実であったという幻想が、共有される関係性の中で成り立っていた個的な真実、いやその真理への信仰が崩れてゆく。舟板が抜ける。

岡崎京子の「ジオラマボーイ☆パノラマガール」冒頭で、主人公女子高生が押入れで枕を抱えて「世界になんてなんのイミもないっ!」と叫んだシーンをふと思い出す。ストーリーでは恋がすべてを塗り替えるのだけど。まあね、それなら世界に恋すること。愛すること。ひとつ己の心に灯を感じることがすべての世界へのまなざしを存在を、関係性を、つまり「現実」を変えることになる。)

過去から未来まで存在には意味がなかった。心はこんなに空っぽで飢えているのに五感はなんの物語も受け付けない、テレビも音楽もダメ、暗くて寒くて暗いニュースにはただ理不尽の闇のあきらめとかなしみと鮮烈な痛みのスパイラルに引き摺り込まれる。生命の力、心身の欲望と夢の残滓にしがみつかなければ生きられない。

周囲の涙が出そうなやさしさ立派さまばゆさがより一層私を暗くおそろしくする。

 *** ***

そう、そんな風が今朝はあんまり厳しかったので、とにかく精一杯部屋を明るく暖かくして、数年ぶりに語学講座以外のラジオにすがりつくように手を出した。

友人の勧めである。

もともとラジオは好きだった。
中学生の頃布団の中で目覚ましかけて聴いていたオールナイトニッポン、深夜ラジオ。

朝の朗読番組。NHK語学講座。

ゴンチチの世界快適ミュージック。
最近では春樹のは一応聴いたけど。

どうもねえ、最近は何だか得てしてラジオもあんまりおもしろくないやな、と思ってたのだ。他のことでいっぱいでその世界に心のチューナーを合わせるトレーニングから離れていたのかもしれない。声が届く、遙かな夜空の向こう側から瞬く星のようにあえかな声をラジオは受信する。

…あのラジオワールドよ再び、と心のリハビリのつもりでチューナーザッピング。
やっぱり今のご時世のラジオワールド、最初煩いばかりであれこれダメだったけど、あきらめかけたところで、すっと吸い込まれる場所にたどり着いた。

子供科学電話相談室。

…今朝を救ってくれた新しいチャンネルはこれだった。

懐かしい世界を思い出す。
自分の子供の頃、その記憶の、そのとき見ていた世界、可能性に満ちた豊かさが当然であるという、その世界のチャンネルが子供と眼差しとそれに寄り添う周囲の人々の真実として私にひらかれる。

リアリティ。

未来を持つ豊かな世界を感じる心たち、こどもたちの昆虫や鉱物の話を聞いていたら落ち着いてきたのはそういうわけだ。これで夢膨らんで科学者になる子供がいたりするんだろうなあ、とか、その心の中の明るい未来像に共振しながらイマココの牢獄は本当は牢獄ではないことを心は知ってゆくことができる。

止まない雨はない。新しい朝は来る。こうして今日を乗り越える。

母を亡くす

母は私の日常現実、平常心そのものだった。


私を日常現実につなぎとめる楔だった。

もう守ってくれる人も守ってあげなくてはならない人も
喜ばせたいひともいないのに何をするために生きているかよくわからない。

ママの喜びそうなお菓子買ってきたよ、今日はこんなことがあったよ、あんなことがあったよ。
日々の小さな出来事をなんともなしに話すこともない。

何もない。何もかも無意味で無価値。それは自分の中に何かを想像し創造しあるいは何かの倫理や論理、物語に従うためのアイデンティティ、存在感さえ失ってしまったから。関係性の中にあった自分。

世界は無意味なのではない。(もともとのマトリックス、カオスが無意味なのは当たり前だ。コスモス、ロゴス、光と論理で意味を持たせるのは客体ではなく主体なのだ。そしてそれは関係性でもある。主体客体が反転し続ける、存在するとき既ににその歴史ごと発生する奇妙な現象が世界と呼ばれる。)それはもちろん自分が無意味で無価値であることの反映に過ぎない。

寂しい。
魂がさまよい出でてしまう。

それでもせめて父がいなくてよかった。
夜は優しい私の魂の無限への扉が開かれる。
その内側への解放のためのこの孤独が唯一の私の慰め。私は夜の孤独にひっそりと守られる。

だけどなア、ホントに。
…死んじゃうってのはナシだよなあ。

取り返しがつかないという不可逆の時間のリアリティは底なし沼の恐怖の絶対性に開かれる存在以前へのカオスへの扉である。それが寂しさの正体だ。

そう、こんなにも私の中になまなましい存在のリアリティ。
どんなにかあの母のいたルーティンの日々を懐かしんでいるだろう私は。

過去現在未来にわたって実現なんかしないだろうその日常という論理展開の外延の物語、あらゆるその続きの想像の物語の中に喜びを見出し…それを夢見て欲望と日常は限りない豊かさの響きを伴いながら、ひと綴りの世界の秩序という「アイデンティティ」をもって現実というひとつの幻想に綴られることができていた。

愛と名付けられうるものはそういうものなのかもしれない。
響きあう広がりをもったその「思い」はひとをその焦点とすることもできるから。

お使いに行くときの玄関先での送り出しの表情や声、いちいちの声色も表情もすべてまだ生きている。母の大好きだったプリンももう買うことはない。お買い得のりんごや葡萄みつけたよ、に、「でかした!」の嬉しそうな笑い声もない。

母と過ごしたカフェ、そのときの会話、二人で過ごしたその日常の中のなんていうこともない、けれど、ひとときひとときかけがえのないものであったその時間、交わした会話。

「女子会」と称して姉と三人でもよく出かけた。話の内容の思い起こしはそのときの時空をまるごと、皆の表情と声と存在感、空気感、すべてを呼び起こす。鳴り響く。存在が。そして今ここでのその非在を際立たせる。

夕暮れの人々の家の内側に灯る窓明かり、お店では素敵なディスプレイを眺めては理想の暮らしのことや、家族や自分のその部屋や家や環境で暮らす物語を妄想しては喜んでいた。ソファやテレビ、日々の過ごし方、そのときともされる夕暮れの灯り、あふれるであろう朝の陽射しのまばゆい幸せのあたたかさの日々の暮らしの物語。

時間が解決するという。
激越な痛みには時間が優しいほのかな柔らかなヴェールをかけて新しい日常に向かって新しく生まれ変わってゆく力をはぐくむ助けになってくれる。その喪失の痛みは辛すぎるから。

姿形ではない。
筆跡、声、匂い、気配、表情。過去にあったすべての歴史に刻み込まれた場所に刻まれた母とのルーティンの風景、家族の風景。すべてのその時空。私自身の存在してきた時間のインテグレード、存在した証という「日常」。そこにいつも背中を守られていた私の自由な迷子のとき。

それが過去に清算されてしまう。
その絶対の痛み。

新しい未来へ踏み込むにはそこからひとつ脱皮しなくてはならない。忘れること、ほのかな思い出に封印して過去のものとして納得すること。悲しみにいつまでも溺れないこと。

…だけど、けれど、ふと心づく、それが嫌なのだ。痛みを癒されてしまうことが嫌なのだ。
この激しい絶望と喪失の痛みこそが、風景に刻み込まれた母の声や存在のリアリティの生々しさが生み出すその存在の確かさを保証するすべてだ。忘れたくない。この非在の理不尽という痛みこそ逆説的に何か大切な存在の証なのだ、という気がするのだ。

あんまりにもこの喪失感は激しすぎる。耐えきれない。私を食ってしまう。溺れて連れていかれてしまう。

生々しいリアリティ、その喪失感。不可逆の時間。
連れて行ってくれ。私も。その時間ごと母と一緒のところへ。

こんなにも泣いてばかりいて喪失と痛みの中、世界はがらんどうなんだけど、だけど、そう。

この痛みを忘れる癒されてしまう自分をこそ私は確かに恐れている。本当にそのとき母は失われてしまう、という気がしているのかもしれない。鈍い痛み、鋭い痛み。脈打ちながらだんだんと甘く優しく…鈍くなってゆくというその痛み。

ああけれど本当に耐え難い。
前に進むには忘れることだ。忘れるのではない、のかもしれない。けれど私は心貧しく小さく弱いから。忘れる。或いは食われる。少なくとも今そのように私は感じている。

繰り返す。この激しい絶望と痛みが薄まってしまう気配に確かに私は怯えている。母はその時本当に失われてしまうのだ。その当然さに飲み込まれてしまう。そのたくさんのありふれた物語の中に埋もれていって「片付いて」しまう。

そのための儀礼が社会的に着々と進められている。きちんと泣き、思い、感情をリーズナブルに「処理」しながら現実と折り合う社会と個人の…

葬式ビジネス。
お寺ビジネス。
社交儀礼。心を伴い或いは伴わず。美しいかたちとなって。

けれどそのきれいに出来上がった嘘っぽさの中に残るしこり、滞り。


 *** ***

ああ、これが春樹のアレなんだ。最新刊「街とその不確かな壁」でクリアに感じた、あの「世界の果て」の街の概念の指し示す無駄な濁りと矛盾をはらんだ心を省いた「理想」の構造、社会の構造のカリカチュア。その心の濁りのまとめられ方が図書館の夢の凝りを処理する「夢読み」…。、そしてその夢読みの「僕」と「僕の影」。

残された「世界の果て」の夢の凝りのイメージは矛盾をはらんでいるからこそ生命そのものとして揺れ動き意味の振幅を深々とふり開き…心に響くその意味を成す前の心を揺り動かしかき乱す素晴らしく印象的なイメージ。

そう、私のこの思いはあの図書館に夢となって読まれてしまうことになる。おそらく。物語化された構造として、これはアレなのだ。

私に残された時間があるならあれを読もう。
寂しさと自由と孤独が少しの間でも許されるなら。

私の中でこれの昇華が、アウフヘーベンがどのようにして行われうるのか、その未来に光を見出すために。

カミュの「異邦人」も読み返したいんだがな。
異端、はみ出てしまった者の文学。

誕生日記録

さて先日誕生日を迎えた。

 

ということで、誕生日とはなんぞ、と考えた。

このひとつの節目。振り返り己の来歴を鑑み己と周囲の人々との関わりの中での世界のこの存在のことを思い、歓びことほ(言祝・寿)ぐ。

そしてその感謝と幸福のことと、この先のことを考える日。

母に私の誕生のときのことを聞く。
誕生と存在の無条件の祝福を受けた私という赤子の確かに存在していた日。目をつぶってその時空に意識を飛ばす。

昭和の、粉っぽい光にフィルムの向こう側の世界、赤茶けた写真のような昔の世界の時空の夢の中へ。記録された歴史。世界の中に。時空はそうやって現在し続けている、らしい。インドラの網、有機交流電灯のネットワーク。まことのことばという切符さえあれば、幻想四次元の汽車に乗ってどこにだって行ける。

世界を探る。
姉が生まれたときのこと、私が生まれたときのこと。
母はその言葉の中で己の中のときの流れを遡る。私はそこにダイブしようとする。

その日の窓からの光とその外に広がっていた世界のリアルのことを考える。私がこの世での存在を始めた日。

母の痛み、そして歓び。未来。可能性。広がり。
私が母と分離した不思議で幸せなとき。どうしてだろう。私はこのときのことを、いつもその時からいつもその先を照らす光、明るい日の光で一杯の白いカーテンの幸福な異次元の産室のものとしてとてもリアルに想像する。そうすることができる瞬間、存在は優しい光の中に肯定されることができる、そんな心の柔らかな世界をまとって。

三島由紀夫が原初の記憶として覚えていると言い放った、確か産まれたばかりの赤子の自分が見つめている「たらいに波打つ金色の産湯の光」、というおそらく捏造された記憶の真実と、それは同じものなのではないかと私は考えている。)

 *** ***

ああ、実になべての母は偉大なり。
命を宿しこの世に生み出し、無条件に愛し育む。
そうだ、その存在への愛が世界じゅうをその愛のマトリックスで包みこみ…うつくしくする。

愛とは無条件の問答無用の絶対の言葉なのだ。
すべてのスタート地点、すべての基礎。すべてのゴール。あらゆる論理倫理の。(ろんりりんりってつなげるといい響きだな。秋の虫の声のようだ。)マトリックスとはそういうことだ。

あるいはすべてを産み出し、そしてもといたところに回収する、死後未生につながるところ、換言すれば生を生み出す死、生命に満ちた死と同義である。

死に繋がる。母とは、愛とは、生とは、存在とは。

 *** ***

だから虚無をけり倒して存在し続けるのだ。愛とはすなわちそのような意思である。ニーチェの言った「力への意志」の意味するところ恐らくそういうことなんだろうと思っている。

真理も真実もそのような「存在(力)への意志」のもとに存在する空白である。
存在も非存在もすべてはWHOLE、一(いつ)のもの。有と無の関係とは。

疲れたなあ

僕は少し疲れたな、サンタマリア。

夜、やっと自分のごはんにありついて、酒にありつく。今日は自分のために珈琲を淹れる時間もできなかったけど、この時間になって音楽と麦酒さえあればなんとか今日一日OKさ。

自他への恨みつらみ憎悪からも解放される。


何もかも誰もかれも本当に悪くないのだ。誰もが仏なのだ、としみじみ思う。それでやっと自分も許される。みんな一緒だ。みんながワガママに生きればいいのだ。

やっと何もかも素晴らしくうつくしく素敵に見えてきてほっとしている。しあわせだ。今この瞬間にもガザやウクライナでどんな理不尽で辛い目にあってるひとがいるのだろうか。こんな幸せで申し訳ないと思わねばならぬ。こんな風にひとりになれて、あったかいお布団でぬくぬくと眠ることができるんだよ、俺。

理想の死に方をあれこれ考えてこんな言葉を連ねて、言葉で物語を拵えて自分の心を慰める。(つよぽんの「僕の生きる道」をみなおしていて、中村先生とまり子先生がうつくしい結婚式をあげたシーンも見たので安心だ。このドラマ、20年前だからな、突っ込みどころはさておき非常におだやかでうつくしい気持ちになった。音楽と映像と優しい心。優しさと、尊重と、尊厳と、誇りと。距離感の正しさを考える。小日向文世が相変わらずいいなあ。)

畳の上で血を吐いて死にてえ、といった友達が高校生の頃いて、「実に迷惑な変人である。」と思ったけど、まあ今更ながら自分、実はそれであったんであることよ。しみじみ。

迷惑をかけると困るのでまず天涯孤独を勝ち得てから、金銭のための商売で後始末をしてくれる見知らぬ方にのみ仕事と割り切って鼻をつまみながらの汚物まみれになった遺体処理としての私の残骸をゴミ袋で焼却処理してもらうように、ご迷惑を片付けてもらう算段をつけ、それを信じて世界と存在と幸せだった記憶と優しくしてもらったひとたちに祈りと感謝をささげながら幸福に意識をなくしてゆくのだ。うっとり。(ああ、最初から己をすべてごみ袋でつつんでからそうすれば手間いらずなのだ。それがいいそれがいい。幾重にも重ねてもぐりこもう。…やっぱアタマいいんだな俺。)

本当は火山に身投げとか最後の処理が要らないのが一番なんだけど、チキンなので怖い痛い苦しいはダメなんである。

こないだ愛された一生に穏やかに別れを告げ、ちょうどそろっていた姉一家に見守られ抱かれながら虹の向こうに渡っていったリクちゃん。

きれいに洗われて一番かわいらしくブラッシングされてつやつやとした姿を取り戻し、花やお菓子に囲まれ一瞬の炎に葬られ、またあたらしく日々大好きだったお菓子や花にかこまれてきれいなリボンのかかった箱に小さな骨と愛らしい写真になった姉の家の小さなヨークシャーテリア、私はみなが寝静まってから初めてひとり夜中に泣きはらして、あんまり寂しくて私が彼に替わってあげたいと羨ましさまで感じた。

本当に、そう心から願ったけれど。

それはやっぱり違ったんだな。嘘ではないけど嘘だ。本当の嘘はつけない(そういう歌があったんだよ。「本当の嘘はつけない♪」)。死にたくなんかないし、実に愛されるには資格が要るのを私は知っている。誰も愛さないから愛されることを望む資格も必要もない。優しくされると泣いてしまうからダメである。なんにも信じてないから。

…死にたくないよ、死ぬのは怖いよ。
なにしろ母が私より先に逝ってしまうなんて絶対だめだ。怖いことがほかの人に起こることを考えるだけで私は怖いからいっそ私がそうなって楽になりたい。誰も損なわず誰にも損なわれないで済む憎まれることも責められることもない存在になりたい。