酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

夏の週末。カフェ。


猛烈な陽射しの夏の午後だ。
土曜日、昼下がりの駅前カフェ。

狂ったような陽射しに、ほたほたと落ちる汗、麦わらを透かして光は私の顔を陽炎のように彩り、アスファルトからゆらゆらと立ち上る熱気がその陰影を揺らめかせる。気が遠くなりそうな懐かしい遥かな空。眩さにめまいがしてくる。

何もかも焼き尽くす、強烈さ。たまらず飛び込んだのだ。ふらふらとガラス戸をくぐりぬけた途端、深い森の奥の清らかな泉にすべりこんだような、ひんやり優しい空気に包まれる。ここは街のオアシス、避難場所。

すうっと汗が引いてゆく、涼しい憩いの場所。窓の外の風景は相変わらずゆらめくような欅並木、どこか懐かしい遥かな夏の記憶、きらきらと眩い緑金の木洩れ日。

天井が高く、全面に広く大きなガラス窓がとられた明るく開放的なカフェである。緑金のまばゆさもいいけど、サンシェード越しにゆらゆら揺れるその陰影が何だか私は大好きだ。

眺めていると次第に魂がさまよいだしてゆく。やわらかな緑と金の光の森の中で、ゆらめく光の波紋が砕け散りつづける水面が上方に見える。優しい水底。ぼんやりとそれを見上げるさかなになってゆく。懐かしい場所。

「くらむぼんはかぷかぷわらったよ。」光の粒がつぶつぶと上空へ上ってゆく光景、小学校いちねんせいの教室だ。これは、初めて読んだ賢治の童話。

その日のあらゆる憂いを忘れ、現実のその憂いを忘れ、私は現実に隠された真実の今日を紡ぎはじめる。

永遠が始まる。西田幾多郎の言う「永遠の今」が。
幼いころ、嘗て夢見た、すべての、そのたくさんの物語がインテグレードされ私の心は限りなく広がるものと溶け合ってゆく。限りなく広がる外側、限りなく広がる内側。どちらも自分が森の水の中にいる感覚に繋がってゆく、その時の小さな自分の存在が見える。未来や物語や世界の可能性に開かれていた幼いその自分の存在が私の中に目覚める。私はすべてを含んでいる。たくさんのその思い出と未来に繋がる。永遠の迷宮に繋がってゆく。

その場所に、時空に、包まれ、包みこむ。世界を感受する、創造するのは自分の個としての物語だ。己が存在していることを他の抑圧の物語によってではなく確信し、生きた軌跡を、これからの未来を、意義あるものとして幸福として存在させる、豊穣な己だけの曼陀羅世界、物語の力。

友人同士、恋人同士、一人で勉強をしに。おいしい珈琲やお菓子をふくふくと楽しむひと。目をつぶりソファに身を鎮めるゆるやかな憩いのひと。勉強するひと、本を読むひと。思い思いに過ごす人々の中に紛れ、かすかに流れる穏やかな古いギターやピアノのBGMや珈琲カップの触れ合う音、焼き菓子や珈琲の香りの中に私も身を沈めてメールを開く、本を開く。

カラカラと氷を揺らして新しく入荷したという特別な珈琲豆の冷やし珈琲をひとくち、ふたくち。…お、ちょっと奮発してみてよかったな。

宣伝通り、柔らかで上品な香りがふくよかにたちのぼる。
心みたされたほの甘さの余韻に満たされる。

お気に入りの席が空いててよかったな。ここの目の前の椅子にはいつも大きなテディが座っているのだ。

子供の頃憧れたな、自分より大きな柔らかな頼もしいテディ・ベア。子供部屋でいつも私をむかえてくれる。その膝の上で本を読み、抱きついて眠りたいと思っていた。その頃読んだイギリスの子どもたちの夜の過ごし方、夏休みの過ごし方、寝室のファンタジーナルニア国物語、メアリーポピンズの世界がふわりと広がる。大好きだった世界。素敵にネトネトするマーマレード・ケーキ、ジンジャーブレッドやこけもものタルト。憧れの異国の食べ物。

ゆっくりと長い夏の午後、そして夕方も暮れてゆく。
今読んでいる本の世界も素晴らしくて。没頭。頭を没する。

ついでだから帰りには本屋によっていこう。
黄昏から夕靄にかかる薄闇の中、明るい胡桃色の光と灯して浮かび上がる本屋のガラス扉。奥行の広い迷路のように大きな街の本屋だ。カフェも併設されていてね、珈琲片手に買った本を早速読もうなんて人達が温かい胡桃の光の中に身を沈め、それぞれの物語の中に過ごしている風景が見える。

何しろ懐かしい土曜の夕暮れだからね。
駅前のビルは週末の夜の賑わい、映画館もこれから映画を見る人たちが、一人で、或いは待ち合わせて、チケット売り場でチケットを用意したり、ポップコーンや飲み物をいそいそと買い込んだりしてこれからの上映に備えている。その期待に満ちた空気が天井まできらきらと輝かせているようだ。

目をつぶっても私には世界のあちこちの街に広がるその情景が見えた。正しい、永遠の土曜の夜が始まるのが、瞳の奥に。

たくさんの人たちのために、眩い光に満ちた怠惰な日曜の朝だってこれから控えているのだから。

そう、正しい土曜日っていうのはこんな風でしかるべき、なんだな、とほのほのとした安心のなかに、思ったりする。