酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

キリン6 遅咲きガール

純ちゃんの「遅咲きガール」なんか口ずさみながら、あたしはアパートのエレベーターから降りるとご機嫌で玄関のドアを開けた。
 
キーホルダーにつけたキリン・コクーンがやわらかなみずいろの微光で手元を照らす。
 
(遅咲きガール遅咲きガール、初めてのデイト♪)
口ずさみながらコーチのバッグとコンビニの袋をテーブルにどすんと投げ出してバスルームへ。
 
(遅咲きガール遅咲きガール、ときめきたいのよ♪)
Tシャツに短パン、冷蔵庫から缶麦酒をとりだすと、あたしはあたしのキリンをテーブルの上に出してやった。
 
「午後からずっとくりかえしててうるさいわね、何よその変な歌と踊り。」
「あんた最近文句多いわね、開口一番、それ?」
プシュ。プルリングを開けて一口飲む。
「…古い古い歌なのよ。」
 
キリンは濃い藍色の瞳をしばたたいた。この子の身体の色は大抵きれいな水色で、たまに蛍光ピンクの水玉模様なんか浮かんでたりする。今はちょっと奇妙な銀色と紫のぐるぐる模様が背中のあたりに渦まいていた。コクーンも極彩色に煌めき出している。
 
「波動が変則的過ぎて疲れんのよ。何ヨッパライみたいにハイになってんの?…見てよこのへんな渦巻き模様。可愛くないったらやんなっちゃう。」
「うるさいうるさい。あたしは楽しいの!いいじゃない、ハイになったって。」
 
「ふうん何だかね…で、今夜は何を見るの?」
「わかってるでしょ。M子のキリンよ。嬉しいったらないじゃない。あの子きっと初恋よ。心配だったのよねえ、モテないってわけじゃなかったのに、オクテだから。」
「自分はナントカいない歴2年以上じゃない。」
「余計なお世話、もうしばらくはあたしはいいの。…それにしてもこんなこと頼んでくるなんて、きっとものすごく切羽詰まってたのよね…大事な時に自分のキリンの具合わるいなんてかわいそう。自分のキリンが眠ったままで殆ど起きてこないなんて。あの子毎晩どんなに心細い思いをしてるかしら。」
 
キリンはふと黙り込んだ。
水色にブルーグレイの文様が浮かんでいる。
 
  *** *** ***
 
ベランダに出ると、夜風が気持ちいい。初夏の宵、きれいな半月。
小さな園芸用のアルミのバケツに水を汲む。100均で結構カワイイのがあったのよ。
 
「ねえ。」
「なあに。」
「昼間あの子がちらっと見せてくれたでしょ、自分のキリン。すごく不思議に思ったんだけど、あのときどうしてM子のキリンはあんなに真っ黒だったのかしら。新月の夜みたいに見事な真っ黒いツヤツヤで銀色の星なんかもきらきらしてたりしてすごくきれいだったけど。珍しいわよね、あんな色。目は殆ど閉じてたけど、あれは金色だったよね。」
 
キリンはキリンの作業に集中している様子で、水面が不思議なゆらめきを見せはじめた。
「え、なに?」
くらりと反転する瞬間、キリンが何かつぶやいた気がした。
「あれは黒じゃない…」
 
  *** *** ***
 
まっくらだった。
何言ってるのよ、これって黒じゃない!
 
どこかで話し声がする。
 
「どうして男の子っていうのは「俺のこと好き?」とかものすごくしつこく何度もナンセンスな質問するんだろうっていっつも思うの。そういう言葉無理強いするのってホントバカみたい。本当にそう思って思いがあふれ出してそう言いたくなったら自分からそういうわよ。そうしたいのよ。なのにそうじゃないときに人から選択肢のない答えを強要するのってどうかしてる。どう考えても脳足りんだと思う。…今まで付き合った男の子はもれなく全員そうだったわ。」
 
「あなた今まで何人の人とつきあったのよ。」
「...4人、かな。」
「まあ普通ね、」
なによう普通って。自分は男の子と一緒に歩いたことすらないくせに。
 
…あれ?
 
誰?
 
黒いキリンがあたしの水色と話していた。いいえ、あたしがキリン。水色のキリンだった。
 
 
大切なのはときめきなのよ。
運命なの。
 
…あれ?
私がしゃべってるの?私は相談に乗ってあげてるだけよ。
楽しいじゃない、ときめきの喜びを教えてあげるの。だって生きてる意味ってそれだもの。死ぬことを考えたら怖いデショ。だからそんなこと考えないようにM子に教えてあげるのよ。つまんないじゃない、恋のときめき知らないなんて。そう、つまんないとただ何もかもがわからなくて怖くなって死にたくなったりするからね、だから教えてあげるのよ、私の大切な友達。苦しいのか嬉しいのかわからないくらいの自分が壊れちゃうくらいのときめきよ。いっぱいいっぱいになってね、怖いことなんか忘れるの。男の子なんてね、人間じゃなくていいの。ピンクレディーだって歌ってたじゃない、川上弘美だってそう書いてるわ。地球人なんかじゃなくたっていいのよ。いつだって壊れてしまうくらい楽しくなくっちゃ生きてけないわ。
 
乱暴されて殴られたのが何だっていうの?嬉しいじゃないの。好きだからなのよ。もし好きになってくれないならわたしも殺してしまうわ、きっと。それくらい好きなの。背骨が砕けるほど熱く抱きしめあうの。暴力って何?
 
だって。
 
だって死にたくなるほどかなしいのと死んでしまいたいほどしあわせなのは同じことでしょ?愛することと奪うことはどう違うの?相手のことを考えるとか全然わかんないし、だからって自分のことを考えてるエゴとか全然違うでしょ。
 
騙されるとかなに?
その場だけ本当ならそれは真実。本当の嘘なんかないって誰かに言われたわ、私。永遠の本当なんていうのが嘘なのよ。
 
教えてくれたのはお母さんだったのかしら。
 
すごくひとつ、とろとろに溶け合って一つのもの。熱くて苦しくて甘くてうれしくてかなしくてさびしくてせつなくてはしゃぎだしたくて泣き出したくて、そのすべてが激しくて。己の中でいのちが渦を巻くのを感ずること。生きてるって他になにがあるっていうのよ。生きてることは死ぬことよ。
 
シビレちゃうほどの幸福は胸が砕け散るほどの痛みや哀しみと同時にしかやってこないわ。だからおなじひとつのものなんじゃないかとアタシは思うのよネ。
 
…ううん、なに言ってるの、ちがうわ。
だってだけどそれはね、相手のかたちに束縛されちゃダメなのよ。ダサいでしょそんなの。囚われるのは自分でそうしたいから。あらどうしてそんな寂しそうな顔するの。
 
そうか、束縛じゃなきゃダメなのね。
徹底的に浅ましくて権力でもなんでも力だけに頼ったあんぽんたんでこの世で最も馬鹿々々しくなくっちゃダメなのね。くだらなくないことなんか本当は何一つないんだもんねって、何もかも笑っちゃうくらいくだらなくなくちゃダメなのね。
 
(あたしの故郷はあの流木なの、魂なんてない、あの流木なの♪)
(最初に暮らしたのは悲しみ 二度目は激しい暴力で 三度目は愛に包まれて 四度目は刑務所の中♪)
(最後にいいたいのは幸せなんていくら探してもどこにもないってこと♪)
(なぜって…あたしは流木に繋がれたままだから♪)
あたしは大好きな歌をこんな風にずっとくちずさんでいたわ。
 
そうよ、そうしてやっぱりダメだったの。
あなたもね。
 
そうね。
 
いいえ、それでも自由なの。そのくびきは自由ってことよ。ほんとうに繋がれてない人なんてどこにいるっていうの?
 
ああ、キリンがいれば、大丈夫。
そうよ、キリンさえいれば…
 
なにかしら、このキリンの光。
とにかく光がいっぱいに噴出してまぶしくて、何もかもが次々同時にその中から生まれては焼き尽くされてゆく。いろんな歌が脳内から唇に渦を巻く。うふふ。わくわくするわね。
 
ね、初恋でしょ?違うの?一緒に踊りましょうよ。
大丈夫よ。どんどんひどくなったって、大丈夫なの絶対よ。闇はすべての光を飲みこむけど、キリンが闇の涙をすべてかたちにしてくれる。何故闇を否定する必要があるのかしら。
 
…あのね、なんとなくこの感じ、好きなひとがきらいだなと思うこととおんなじみたい。そう思わない?
 
どっちだっていいのかもしれない。
 
生きてるってただこういうことなのよ。
だから骨が折れるまで抱きしめてもらわなくっちゃ、そうよ、愛してるって言わなきゃ殺してやるわ、そう思うこと。そうすればいいの。
 
そしてその向こう側にあるもの…
わからないわね、いいの、わかりゃしないわ。でも感じるの。至福。もう崖から落ちてゆく最中に、その引き返せなくなった時にだけ、わかるの。
 
 
生きている。それでも。
それでも生きている恩寵、幸福は失われない。教えてくれるものをあたしたちは持っている、キリン。
(それが苦しみかどうかなんて知りゃしないわ。)
 
 
あれえ?
誰のモノとも知れぬ感情や言葉が渦を巻いている。私なの、あんたなの、キリンなの、誰かなの?
 
  *** *** ***
 
 
会社にいた。給湯室でお茶を飲み、一息ついてからちらりとキリン・コクーンを眺め、わけのわからないほのかな胸の痛みをそこに流した。
 
毎日、少しずつ。
きちんと流し込むの。柔らかな灯りが灯り、優しく受け入れてる。あの子の栄養になるのよ。そうしたら、そして私は何の重さも感じなくて済む。
 
あなたはね、ただ幸せになればいいのよ、そのために生まれてきたの、と小さい頃お母さんがいつもにこにことしながら教えてくれた。寂しくて泣いているときいつも、ただ抱きしめてくれた。ふんわりと暖かく甘く優しいクッキーの匂いに包み込んで守ってくれた。自分の内側からくる怖いもの、外側からくる怖いもの。両方から守ってくれた。怖いのも仕方がないの、それはつぶしたり隠したりもしちゃいけないわ。
 
…でも、守ってくれたのは、お母さん、怖いものは怖いままだったけど怖くなくなった。お母さんの魔法がそうやって守ってくれたのよ。
 
キリン。今はキリンがいるから…
 
M子は今素知らぬ顔をしてデスクでパソコンを打っているけどあたしたちはあたしたちだ。キリン・ネットワークをあたしたちは知っている。あたしたちは区別がつかないところにいる。新しいこいびとができたのは私だ。
 
こいしい人。
M子って学生時代のサークルの友達だったんじゃなかったんだっけ…?
 
  *** *** ***
 
目が覚めた。
あたしのキリンはしれっとした顔をしていつもの籠に入っている。
きれいな蛍光ピンク。寝たふりなのか眠っているのか薄目を開けているのか。
 
わからない。
 
ま、いいか。
 
ぼんやりと疲れて混乱した頭のままあたしは思った。
 
明日は来る。
冷たい雨の土曜日だけど。
 
彼女にも、私にも。
早くても遅くても、おバカな私たちが繰り返す、崇高な恋の営み。
 
おやすみ、キリン。
 
 
  *** *** ***  
 
朝陽がカーテンを透かして枕元まで射しこんでくる。
カーテンを開ける。眩いほどの光に目を細め、あたしは欠伸をする。今日もいいお天気ね。
 
あたしは寝ぼけたままぼんやりとベッドから起き上がり、ふわふわと欠伸をしながらシャワーを浴びに行く。