酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

穢れの町、肺都(エドワード・ケリー アイアマンガー三部作・第二部及び三部)読了

ということで読了いたしました。
第一部読了時点のメモはこちら。

一旦ハマったらかなりの長編ではあってもガアと一気読みしてしまうものすごい力業で構築される壮大な物語ワールド、その世界の躍動感に驚嘆するばかり。

いや~なにしろものすごいスペクタクルでなんである。ジェットコースターのように雪崩れ押し寄せる激しい世界のアクション、その勢いにはひたすらゴンゴン背中を押されてページを繰るしかない。

凄まじい残虐、その汚わいと臭気の描写、隠蔽されすべての穢れを背負わされ蓋をされた虐げられ続けたモノたち者たちの、幾世代にもわたってどす黒く濃縮され妖気のレヴェルを経たすさまじい怨念の噴き上がる蝕、そして革命。

世界の歪みとアンバランス、その膿の噴出、そして疫病の時代。

まさに今のコロナ状況である。
ロンドンのゴミをすべて請け負わされ「穢れの町」と呼ばれ、一般市民から隠され、さらには疫病が漏れる、と密かに焼き払われる穢れの町フィルチング、被差別民部落のように。大都市上層部権力のエゴな政策。

その「穢れの町」から逃げ出してきた住民は皆病原体としてロンドンでひそかに暗殺される。感染した患者は隠蔽され汚穢として暗殺虐殺される非差別民とされてゆく。住民は皆不要不急の外出を禁じられ、闇と家に閉ざされる人びと。不安に荒れる人心。拡大し奮われる警察権力の暴虐。

そして復讐劇、更には革命だ。
アイアマンガーは怒りの一族。穢れの町での権力を約束したはずの契約を裏切ったロンドンの権力に復讐を試みる。それに対抗するのはアイアマンガーから更に抑圧されてきた反アイアマンガー勢力。武力に武力を、怒りに怒りを、復讐に復讐を。

だがルーシーは第三の勢力、純粋な革命者として在る。
復讐ではない。ロンドンから、アイアマンガーから搾取され弱いものたちがさらに弱い者たちを虐げ搾取し続けた世界システムそのものの革命を「純粋な生きる力としてのしたたかな子どもたちの生命力」を扇動して新しい世の中を求めてゆく。

すべてを奪われ最も虐げられただまされていた子供たちを扇動し、ジャンヌダルクのように子供たちを率いて革命家ルーシーは闘う。生きるために大切なものを守るために誇りのために愛する者たちのために。たくさんの人々の死に物狂いの闘い、連帯、陰謀…なにしろ革命なんである。その怒涛の展開。

優れたスタッフに恵まれれば素晴らしい映像作品にもなりそう、GOTばりの。

アニメーションでもドラマでも。これは小ぎれいなキレイゴトジブリ的に仕上げてはいけない。

(「アーヤと魔女」なんかもジブリアニメ化されておもしろかったんだけど、予想通りダイアナ・ウィン・ジョーンズの原作の毒がすっかり抜かれた換骨奪胎ジブリ仕様物語となっていた。

わかってた。そしてこれはこれで気持ちがいいんだけどね。ウンこれはこれで安心感の職人技なおもしろさなんだけど、なんかひたすら文部省推薦の。

なんかしかしどこかに私には引っ掛かりが残るのだ。ナウシカもそうだけど、原作のなまなましさを程よく毒抜きしてきれいな快い娯楽に拵えあげる手腕。ウン、これはこれでってやつで。だけどこれにしたくないっていう作品はあるのだ。これと一緒にしてこれで終わらせてほしくないって作品は。別物としてならいいんだけど。…そう、もちろん。別物だよ、別物。ナウシカだってスタッフきっとみんなわかってて戦略としてそう拵えてるんだ、大人の事情は。)

ざらざらと心と官能を逆なでする吐き気のするような不快感。
怒り。理不尽の露呈。これでもか、とあらゆる人間の底に巣食う闇、醜いものを見せつける。どの人も正義ではなく、己の中に抱え込んだ罪と闇がある。

ひたすら底抜けに優しいお育ちのいい主人公クロードの容姿もよくできた口当たりのいい物語のように美しい可愛らしいものではなく、みっともない。また読者がそこに感情移入して快く彼に憑依し、みるみるかっこよく気持ちよくスーパーマン的に変身する物語でもない。(少しあるけど。「力」に目覚めるあたり。)

ということで決して快い物語とは言えないが、覚醒と救済の祈りが込められ、どおっと一気読みした後の読後感は悪くない。

頭がぼうっとして、美しいもの正しいものについて考える。隠蔽されたもの、己の心の中の罪業、選ぶべきもの、道、のようなものについてぐるぐると考えなければならない、浄化の作用とともに深々と心に残る感動がある。

いつか頭が冷えた頃また読み直してみなくてはいけないと思う。きちんと読み込んでみたい。

なにしろクロードの痛ましさよ、なんである。生まれながらに背負ってきた彼の大いなる力はずっと眠らされており、そしてそれはいつだって愛によって支えられたものであり、ひたすら優しいものだった。

だがひたすら叩かれ傷つき利用され尽くした末にすべてから裏切られ愛するものを奪われ搾取し尽くされた時、彼の悪魔としての力が最大限に目覚め奮われ、アイアマンガー一族の武器として、世界を、人々を殺戮するジェノサイトの道具とされる寸前までいく、…そしてその後のルーシーの愛によって救われる贖罪と浄化のスペクタクルの凄まじさ。

これは……このひとの作品他のも読むべしの課題図書になってしまうわいな。

まあとにかく、しつこいようだが、わくわくしちゃう、快い、気持ちいい、美しいカッコいいお姫様王子様、なんだか知らないが周り中から愛されてなんだかわからないが何もかもうまくいっちゃう、主人公は正義で悪に勝つ、お約束の水戸黄門、安心だ、おもしろ~い、楽しい~、楽しみ~って感じの物語ではないから、なんというか、不快感ずっぷり覚悟で。

だからきっと読み始めはどっこいしょ、だけど、それでも、……やはり一度のめりこむとどうしようもなく「おもしろい」のだ。どかーんと、ふかぶかと。ハマる。

きっとテーマは様々のひとびとの、虐げられた優しいもの弱いもの薄汚いものやわらかなもの汚いもの、何かの美名の陰に隠蔽され抑圧されたものの小さな声。私はここにいる、名を持ち誇りを持ち、生まれ、生きているいのちである。寂しい、寂しい。

クロードは言うのだ。聞こえるよ、僕には君たちの声が聞こえる。愛している。

最も弱い人々にかぶせられる搾取と汚わいと罪が積み重なってできた社会の物語の構造は、そのまま古今東西の、すなわちイマココの現実世界の社会という物語を読み替える「力」を持つ。ああ物語力。

己が嵌め込まれている物語からは逃れられない。しかし見抜かなければならない。大切なのは自分がはめ込まれているさまざまの物語への自覚である。自分たちは何を犠牲にして誰かに何か不都合なものを押し付けて穢れを背負わせて都合のいい幸福を得て都合の悪いものから目を背けているのか?

隠された心の奥のモヤモヤの秘密、心の奥の小さな声、本当に責められるべきもの糾弾されるべきもの許されるべきもの考え続けていなければならないこと。搾取する側でもあり実は見えないところでその負債を払わされている立場にもある己のスタンス。

f:id:momong:20210124161846j:plainこういう作品はさ、春樹や川上弘美、我がバイブル安房直子さんとかそういう別格とは違うけどね、ワシにとって。もちろん。

あれは個人的に私に刷り込まれているからいわば私自身の響き、その共振増幅装置的なるものなのだ。

…ということでとりあえずこのひとの作品は課題図書として置いといて、次は春樹、騎士団長殺し再読いかせていただきます。

おやすみなさいはよ春が来てコロナ禍鎮まっておくれ。
アマビエさまあみぐるみもひとつ拵えようかしらん、春らしいピンクのお洒落なやつ。