酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

BEATITUDE

ひよこを殺したことがある。
まだ人を殺したことはない。

ひよこは、夏祭りの屋台で、渋る母にねだってねだってやっと買ってもらった大切なたからものだった。

確か、小学校に上がるか上がらないかという年頃だった。いつも学校帰りに校門の外でおじさんがたくさんのひよこを箱に入れて売っていた。小さな手がみんなしてふわふわとさわって、ほしいね、ほしいね、と言いいながら遊んでいた風景の記憶がある。よちよちと動き回るひよこは皆駄菓子屋の包み紙のように赤や青に染められていた。

お祭りのとき、機嫌のよかった両親が、ひとつなんでも買ってやる、と言ったときねだったのだ。屋台に並べられていたヒヨコたちから一羽選ぶ権利を。

嬉しかった、かわいかった。ふわふわでよちよちあるくちいさなやわらかい命、わたしのもの。赤や青や奇妙な色に染め分けられたカラフルな動くおもちゃ。何色のを選んだのかおぼえていない。あんなに迷って選んだのに。名前を付けて呼んでなでて餌をあげて、ふわふわの寝床を用意して、大切に大切に愛しんだ。その名を私は覚えていない。

そうして大切に大切に抱え込んで護って、まるめ込んだ姿勢で、ある日そのまま眠り込んでしまった。穏やかに晴れた春の昼下がり。

 

まどろみの中、突如、とりかえしがつかない、という気持ちで心臓が跳ね上がった瞬間、飛び起きた。訳が分からない不吉な夢。胸がどきどきと波打っていた。

ひよこはつぶれていた。

つぶしてしまったのだ。私がつぶしたのだ。そっと愛おしんでいたちいさなやわらかい命を、私の愚鈍な体躯が圧し潰したのだ。殺したのだ。生まれたばかりの無垢な命をもてあそんだ挙句殺したのだ。

 *** ***

蟻をいじめて遊んでいた。趣味であった。
潰したり焼いたり針で刺したりとか、そんな残虐でつまらないことをしたわけではない。基本、注射している自分の腕も見ることできない人間である。

蟻を観察するのが好きだったのだ。

行進する道筋を丹念に追い、巣をつきとめた。巣の中を想像し、掘り起こして観察しようとして間違って埋めてしまったり、それを補修する蟻たちの見事な連係プレーに感嘆したりした。蝶や蜻蛉の死骸をよちよちと運ぶ彼等を手伝ってやろうとしたり、さっと持ち上げて隠したりした。上から巨大な私が軽々と巨大な獲物を操作する。おおかた彼等の見る風景を想像して万能の神の視点でも想像していたのだろう。

ほんのひとかけの砂糖にまっくろになって群がる彼等を見て大層満足した。私の小手先三寸で狂喜する蟻社会。 生殺与奪の力をもっているのだと思ってでもいたんだろう。いやしい子供である。

一匹をそっとつまんでバケツに浮かべたコスモスの花に乗せたりした。花のボートだよ、きれいでしょう、と話しかけた。蟻は泳げない。

私がそういうことがしたかったのだ。本物の花の船にのってゆらゆら流れてみたリ、親指姫のようにチューリップの中にやわらかく射し込むひかりのお部屋で過ごしてみたり、そういうことがしてみたかった。だから蟻にそれをやったのだ。

当然、蟻は狂ったように逃れようとし水面に波紋を作ってはぐるぐると惑った。草を差し伸べて救いの梯子だよ、と差し出してよじ登ってきたものを丁寧に巣の付近に戻してやった。

悪意はあったのだろうか。本当にわからないのだ。自分のやっていたことに対する自分のそのときの心が。やっていたことはおぼえているのに。それは残虐であると自覚して陶酔していたのか、それとも本当に無邪気で純粋な遊びだったのか。

そのときの自分に問いただしてみたいと思うのだ。おそらく、なにもかもなにをいわれても真実だ。

 

BEATITUDE、八福。聖書のあの一節が私は大好きだ。

心の貧しいものは幸いなり、とかいう、あの一連のふかぶかとした知恵の言葉が。

ああ、苦しいですサンタマリア。

どうかどうか許されますよう。悪意のない巨大な罪業の集積が。