酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

ナルニアを失う

ナルニアを失う」どこかでこの言葉を目にしてから、その印象の深さに打たれ、なんだかずっと引っかかっていた。

(もちろん「ナルニア国物語」シリーズとはC・S・ルイスのアレである。衣装ダンスの奥に広がる異界。壮大な世界創生から滅亡までの物語。本当に夢中になって読んだものだ。)

もしかして捏造された記憶だろうか。私の頭の中が作った言葉なんだろうか。検索してもわからない。

作品内で、大人になっていくに従って、ナルニアを忘れてゆく年嵩の兄弟たちを嘆く末の妹ルーシーの科白だったかもしれない。

だがそしてそもそも喪失の対象となるそのナルニア国とはいったい何なんだろう。どのような意味を持つところなんだろう。

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これが私にとっての「ナルニアを失う」ことなのだろうか、と晴れた初夏の朝の静けさ、世界の終わりのその果ての思い出の中にぼんやりと考えたのだ。

その時私は、幸福な陽射しと暖かさ、うつくしい五月の緑と金色の光、花々、新緑。草取りをする人々の風景を眺めていた。

そして、同じ風景を私は確かにはるか昔、幼いころも私は確かに眺めていた、ということを思い出していた。現在の輪郭が淡くなり、過去の記憶と重ねられてゆく。

それは今感じている世界の感覚を、平和な思い出のその幸福で豊饒な世界を現在に共振させてゆく私の心象風景となる。幻視する。己が、世界が存在した確かな記憶として。

小鳥の囀り、耳の奥で聴きながら(なんていい声で鳴くんだろう、るりるり)母は陽だまり。
畳や縁側で心の中は広大な世界に開放されながら、小さな私のこころは、ただ絵本やおやつ、冒険や夢でいっぱい。ごろりごろごろ猫になる。

ぽっぺん先生
内側へ、外側へ、自在に広がる豊かな想像力は無限大だった。

それが安房直子さんや私の育った街や童話の風景に限りなく繋がって行く私の幸福の原風景だ。

己のアイデンティティが確立されるとき、という特別な時期が子供には必ずある。そのときとは世界は安心と不思議と豊かさと愛に満ち、幸福な風景に彩られていなくてはならない。そのとき子供に与える本は選ばれたものでなくてはならない。

成長過程におけるさまざまの刺激は、それに対抗する安定したうつくしい豊かなもの、愛、と呼ばれる心に守られ満たされた安定感をまず内部に確立してからこそ立ち向かえる。幸福の内面のチャンネル、アクセスルートが開かれる力が育ち、一生を通じて己を守り支える魂の立ち向かえる。「魂の平安」。魂の深奥に、果てなく落ちることの無いセーフティネットが、船底がある。

成長し、学校の中で仲間たちとの社会関係を築き、ティーンの世界、友達関係やアイドル、歌手、マニキュアやお化粧、ボーイフレンド。洋服や楽しい遊び、あるいはわくわく開かれる大人の世界、華やかな街や、或いは全く別の顔を見せる夜の街のどきどきするようなスリルや冒険をはらんだ刺激の世界。たくさんの自分になってみる、その中で自在に舞台に合わせて演じてゆく、艶やかに違うペルソナに着替えてゆく夢という(それはそれで純粋で、何もかもは本当は通じているんだけど。)それが資本な権力構造に絡め取られ歪められ支配される(「見えない首枷・抑圧=悪」の設定)構造のところ。知らぬ間に、汚され、すり減ってゆくものがあることに気がつくことができなくなってくる。支配される。

それは、経済貨幣の世界が、その源、オリジナルの「夢見る力」を否定して行く逆立ち論理の風景の構造を示すものだ。

ひとは(表面上)子供のときの世界を忘れてゆく。星の王子さまがおとなを馬鹿だと揶揄するのはその原理をあからさまに主張しているだけだ。ナルニア国はそのような場所にある。

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例えば、私にとって。

安房直子
何かに迷いすぎてくたびれてボロボロになったとき、還ってゆく魂の故郷、私のバイブル。そのような世界を幼いとき無条件に愛されていた記憶と共に魂の深奥に潜ませておくことの大切さを思う。

現実に吹き荒れるどんな嵐の底にも、波から逃れた静かで平穏な深海が同時に豊かに存在している。それを感ずること。子供は愛され、良い本を与えられ育たねばならないのだ。安定した深海をそれぞれがきちんと魂に潜ませているように。

そうしなければ、社会は、世界は荒れた人心の嵐に足元を掬われ、根本から滅んでしまうのだろうというような感覚。

ナルニアを失う。
その言葉の意味をあれこれと考える。

それはしかし、本当は、本当に失うことは決してない。潜むのだ。深奥に。本当の嘘も本当の喪失というのも、ない。その異界の正しいありかたをそれぞれは己の中で考え続け確率し続けなければならない。

ナルニアを失う」
喪失とは何か、と考えるときのキイ・ワードだ。

竹下文子さんの貴重な大人向けの短編集も買い揃えていたのに置いてきてしまった。図書館で借りて読み返す。やはり心にほとりと安らぎをもたらす大切な私の本だ。この中では表題の、方舟に住む星占師、ノアの方舟の話がやっぱりいいな。