酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

タリーズの女の子

在宅業務なのかな、シングルマザーだったりするのかな。
小さな女の子を連れてその午後のカフェ。ノートパソコンを取り出して、珈琲のマグを前に、眉根を寄せてカタカタとパソコン作業のお母さんだ。

天井の高い広々とした居心地のいいカフェである。大きなガラス窓からブラインド越しの午後の陽射しがゆらゆらと射し込んでいる。

女の子はお母さんの隣の席でしゅわしゅわのクリームソーダやなんかを飲みながら、筆箱から色鉛筆をとりだしてノートにお絵かきをしたり、本を読んだり。

だけどね、小さな子だもんね、そのうちもちろん退屈になって、歩き回り始める。(お母さん横目で気にしてる。)でも、周囲の空気乱したり、他のお客さんの邪魔になったり、騒いだりするようなことしない、とってもいい子にしてる。慣れている。このカフェはお母さんの書斎、そして自分のシマな感覚なのかな。退屈もせずなんとなく楽しそうにそっと遊んでる様子がカワイイ。

そのうちに、カフェのマスコット、大きな熊のぬいぐるみがデンと鎮座してるお洒落な絵本コーナーで、(ちゃんと子供向けに靴を脱いで座り込んで絵本を読める小上がりコーナーになっている。)エプロン姿の熊の膝に居心地よく座り込んで絵本を読みはじめる。

…いいなあ。こんなふかふかした大きな熊のぬいぐるみ、私もずっと欲しかった。童話の中やきらきらした大きな街のおもちゃ屋のウインドウに飾られてた。夢のような憧れだったんだ。すっぽり、居心地よくテディの膝に包み込まれて座り込む。ふかふかの熊に守られた自分だけの特等席、お気に入りの場所。

…女の子は絵本を広げながら、時折熊をハグしたり、耳に何か話しかけたりしてる。今あの子はどんな物語の世界にいるんだろう、あの子になってみたいな、とわたしは思う。

表は欅の大木の並木道、夏の終わりの柔らかな午後の陽射しがゆらゆらと揺れ、明るいカフェのブラインドに不思議な揺らめきの映像を映し出し続ける。

青空が、欅並木が、あんまり高い天上世界の空に近いから、この空間が、光の海の底に揺らめいている水底の中のカフェみたいな気がしてくる。

目を閉じると瞼の裏に浮かぶ記憶の夢の中のような静かな明るい昼下がりの風景の一コマ。かすかなジャズ、それぞれに己の時間を楽しむ人々。読書、パソコン作業、新聞を片手に居眠り、物静かで穏やかなおしゃべり。珈琲の香り。焼き菓子の香り。


ここでのポイントはそれがナラトロジーでいう「読書の現場」だったってことなんだ。本日の私のね。

ナラトロジーは楽しい。

そう、わたしの読書はこの護られた場所という現場にかけがえのない一回性として含まれてゆく。物語の内容がこの風景とこの気持ちと融合し外側と内側の区別は消失し、世界はわたしの存在を穏やかに許し、決して損なわれない時間をこの永遠と現実の狭間の中に接続しながら全体性という意味を絶え間なく創造し息づきはじめる。

そしてまたわたしはあの子の意識の中の物語の中に生きることを思う。私の心があの子を見るまなざしであることがそれにどう関連した構造になるのだろうか、などと見るものー見られるものの関係性について少し考える。

 *** ***

幼い頃から本が好きだった。本ではなくとも世界全体は豊穣な物語を数限りなく無限に蔵書した図書館だった。
そしてまた、私が世界を感じその意味の深淵を感じ、恐れ、歓び、その豊饒の中に遊べたのは日常と無条件の存在の赦し、愛と母という幸福に守られていたからだ、とも今は思う。
無限の物語には幾重にもその「外側」があった。

或いはそれは「日常の安心感」。

読書の現場とはそのようなものだ。個が崩壊しきらないように、閉ざされつくされないように、内側と外側は絶妙に入れ替わり続ける。反転、反転。ミクロとマクロ、コスモスとカオスの狭間の冒険。

時おり頁から目を上げ、揺れるカーテンに本を読む自分のかたちを思い出す。日々のその日常にまもられていることとシンクロしながら自分を分裂させてゆく読書のテクニック。双方の世界が響きあい深化する。

 *** ***

ゆっくりと日は傾き、夕暮れの時間がはじまってゆく。

カフェの中に温かいくるみ色の灯りが灯り、ああ、夜の時間をここで生きてみたい、と思いながらその名残を心の中に、夕暮れの光の中を日常の時間に戻ってゆく。少しだけ息を吹き返して新しい夜が来る。

 *** ***

このまま本屋で絵本を数冊買い、灯りの灯る本屋のカフェへ。そうしてそのまま駅から旅の列車に乗ってどこかへ、あるいは夜景の見える窓のあるホテルへ。小さなバーのカウンターで麦酒を頼む。


私は寂しさと自由を本当は持っているのだと考えてみる。

ここではないドコカへ。
切ない夢が幸福にかなしく私をみたしてゆく。この上なくかけがえのない、永遠の空間に残されてゆく確信とともに。

いまこのときだけ、孤独は宝だ。寂しさは限りない愛へひらかれて解放される。