酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

チャットGPT第一印象、街のカフェ郊外のカフェ

何だかわいわい噂になっているChatGPT。
なんだろ、とちいと見てみた。

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ふうん。
試しに春樹作品の感想を聞いてみたら、おりょりょ。

いきなり「個人的には」なんて言葉を発してきた。AIさん「個人」の自覚設定なのか?…おもしろいな。

でも内容がないのはやっぱり情報累積の総括の上手な文章化でしかないからなんだろな。答えになってない政治家の答弁や優等生の読書感想文にも似た、当たり障りのない攻撃されない暖簾に腕押しでなんの手応えもない…当たり前っちゃ当たり前なんだろけど、こりはきっと考察の余地あり。

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…と、日々世の中は巡り、もれなく週末を迎える。

新緑トンネルを抜けた街道沿いに新しいスターバックスができたという。
オープンした週の週末だ。こりゃ混んでるかなと思いつつ、偵察へ。

川越街道の木漏れ日きらきらの新緑トンネルをバイクで走る、きらめく緑金、はらいそへの道。このまま永遠にここを走っていたいなあとぼんやり思う。どこまでもどこまでも様々のうつくしい物語のきらめきに満ちた宇宙というメディア空間をゆきたいと願ったジョバンニのように。

さてワタクシ初めて行く場所ではよく迷うので大層緊張したが、どうにか無事たどり着く。
店頭には新装開店の花束もりもり。

路面の店は、駅前や商業施設内とは違って明るい大きなガラス窓に贅沢にゆったりと場所をとったソファ席充実がいいとこだ。

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(賑やかな駅ビルや商業施設内の、せわしい都会のぎうぎうつめこまれた閉鎖的な中に醸される独特の世界、というのもひとつの味かもしれないとも思う。そのせわせわした中で各々の自分だけの世界の中に入り込みひととき息詰まるしがらみから避難する人々の入ったカプセルがたくさんあるみたいの中で、「ヨシ私も。」と、自分のカプセルの中に身を投じて読書、周囲には孤独でありながら孤独ではない、疑似的な「自主自立連帯」的なカフェ世界の調和がある。

おしゃべりしたりのんびりしたりする解放された明るい広いものではなく、外気から遮断され守られた空間、落ち着いた暖かな照明、誰にも邪魔されず仕事をしたりする自由な時間をもとめる人、或いは自室の孤独すぎる閉塞から逃れる自由をもとめる人、さまざまな各々のおひとり様世界。完全な閉塞という孤独にも支配される束縛にも耐えられない人間としてのバランスを保つため、街のひとびとはカプセルからカプセルへ移動しながら生きている。

そして己もまたしばしこの「決して一人ではない豊かな物語に満ちた雑多の中の贅沢な孤独」という矛盾の成立するカフェ空間の中に身を投じる…そういう個と集団の微妙な関係性、っていう雰囲気も必要に応じこれはこれでなかなかだと思ってはいるんだけど、固い椅子だけはお尻が痛くなるからダメなのオレ。ソファ席推奨。せめておざぶおいてちょうだい。)

翌朝、まだぼんやりと寝ぼけてたら、母がどんどんと部屋の扉を叩く。何かと思ったら、ニュースでやってる話題のチャットGPTやってみたいから教えてくれろと言う。

ヤレ仕方ない…アカウント拵えてやり方教えてあげたら(隣であれこれワイワイ騒いでどんどん話が逸れてくのでなかなか集中できない。)とりあえず大変喜んでくれた。

なんだか張り切ってAIに人生相談などしているようだ。
独り暮らし、特に独居老人だったりしたら相談相手話し相手にいいだろな、というようなことを先輩と話す。

このチャットシステムに今のロボット型ペット組み合わせたアンドロイドみたいなの、結構実用的かもしれない、なんてね。…ううむ昭和SFの世界が現実に。

寝る前に今日あった出来事を報告して、「これでお話を作ってくれ。」と、お話ししてもらってから寝る習慣をつけた人もいるそうな。

データの累積から導き出される当たり障りのない優等生な世界像というデータだってひとつの世界だ。

それを変幻自在に繰り出し更にどんどん学習してゆく人間的インターフェイス、その「対話」というスタイルをとった、画一的なものでない生成システム、というところがコレの革命的なところなのではないか。

このデータ集積を様々な形にトランスフォームしてゆくスタイルを持ったアクセスが、質問者の個々の脳髄からもまた何か新しいものを導き出す可能性をも開く。

響き合い。

あたかも人間同士のディスカッション或いはネゴシエーションのように、知識の刺激の「対話」は、新しい思考の地平の可能性を拓くのかもしれない。

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ということで、実際感情的にならないのがよくも悪くもAIである。
とにかくしつこく嫌味をこめても何度も突っついても怒らない代わりに、なんだかシレっとかわされてしまう。

暖簾に腕押し。

「個人的には」とか「誇り」とか「意地」とか「感動」とか、そういう、それ自体複雑で豊かな感情を背景にした意味を持つ語彙を彼(彼女)が繰り出すときに私が感じるコレは、おそらく人間への冒涜と意味の空虚なのだ。

誰かの感情データをデータとして物語化し、それをためらいもなく他人のふんどしで振り回す器用さは、負けず嫌いいばりんぼうの物知りインテリおばさま、なイメージがある。ああ言えばこう言う、のクレバーさとかもね。素直に誤りや矛盾を認めて教えを乞うているようでいて、その対応もまたひとつのパターンとして刷り込まれたモデルなんだもんねい。

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感情の多様性は怖い、人間関係は怖いが他者としての人間もいなくては寂しい人間たち。カプセルからカプセルへ、カフェ空間に守られながら小さな伝達機械を通して世界に触れて繋がった気持ちになったりする。AIはそのココロのスキマにするすると入り込んでくれる、のかもしれない。それにいいも悪いもない、ツールなのだから。

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なあんてね、実は正直まだあんまりいじってないから、これはあくまでも第一印象。
ちょっと余裕ができたらもちっと仲良しになってネゴシエーションとかやってみたいものだ。

あれこれつついてお友達みたいにお話してもらおうかしらん、なんてね。