酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「一人称単数」村上春樹

「一人称単数」
春樹新刊短編集、読了。

力の抜けた感じがして悪くなかった。感想を一言でいうと、年をとるってことは悪くないんだなってことかなあ。ひと回りして、戻ってきた、という感触があった。

デビュー当時の、章ごとに様々のシーンを重ねて多層の世界を組み合わせてゆくような、またそのひとひらひとひらが切れ切れの心象スケッチのようでもあるような初期短編集の物語構造。その多層世界同士の断層構造の裂け目に瀰漫する理不尽、不条理、カオスや虚無への敏感さ。そしてそれを感じ取ってしまうことによる世界に対する己のスタンスがわからなくなる、そんな居心地の悪さ。

その多層世界のあいだの「軋み」のようなものを周りの人たちのように当たり前に感じることができずその己の感じ方にどこか致命的な孤独感を潜ませている。そのほのかな違和感という基本だ。

 

石のまくらに
クリーム
チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
ウィズ・ザ・ビートルズ
「ヤクルト・スワローズ詩集」
謝肉祭(Carnaval)
品川猿の告白
一人称単数

割とね、深いのにどこか馬鹿々々しいナンセンスな味わいがあるっていうのかな。力の抜け方に春樹の作家としての技術的成熟という意味の年月を感ずる。ひとまわり、というのはそういう意味だ。戻ったというより螺旋を描いたというべきか。若さによるとんがりがなくなっている。

まことしやかな嘘というか、現実と幻想、そのあわいが溶解していくところに見えるものの、そのじんわりとしたところがポエジイと深淵だ。エッセイ風の小説。裁ち落とされた物語の余韻を読者に受け渡す短編ならではの特長がいかんなく発揮される。

思わせぶりで虚々実々な幻想性の中に現実との違和を見出し、その裂け目のカオスの中にこそ何らかの真実を感じ取って行こうとする。現実の裂け目からのみ見出す可能性をもつ「真実」(これは正確にいえば「真実」ではなく「真実の可能性或いは周辺」だ。」)。という確固たる作家の信念を感ずるような。(そしてそれはたとえば読者個々個別にしか辿り着くことはできないものとしてある。)

 

まあね、遊び心の部分のセンスは好き好きだろうけど。
あと作品として優れているかどうかもちょっと別として個人的に好きな部分ってある。(いやこれって作品として優れてるって言うべきなのかもしれないが。)

「ヤクルト・スワローズ詩集」なんかの、特に詩の本文のとこのおセンスは春樹の苦手な部分が凝縮しててちいと私には苦しかったところ。野球への興味のなさってのもあるけど。一人称単数もそれほど評価できない路線。多層世界の分岐点みたいな「1Q84」的物語構造自体は面白いことは面白いんだけど。

石のまくらに、は、ううむ、可もなく不可もなく、いいと言えばいいんだけど、こと恋愛や性行為に関連し傾き過ぎたものは春樹の志向にはちいと鼻白んでしまうところがあるのだ自分。

対して、「クリーム」「ウィズ・ザ・ビートルズ」「チャーリー・パーカー…」なんかはいいなあ、しみじみ。どうしようもない不思議と不条理と謎に満ちた世界をファンタジー仕立てで具現化している。

 

もうひとつ。(懐古であるというスタイルにそれは色濃く現れているんだが。)時代の中に生きていた自分を振り返る年取った後の「語り手の僕」の層があらかじめ設定され、物語を物語らせる入れ子的スタイルだ。それは、己自身を客観化し物語化する一つの超越された語り手層を設定し、年月が経ったあとそれが何を意味していたかをひとつの感情的な帰結として物語る。決して種明かしをするのではなく。それが他者に謎かけのようにしたまま語るスタイルで。そこに、「それでもなお」愛し求め関係しようとする祈りの姿勢、その生き方のスタイル、モラルのようなものが年月の中に新ためて確認され浮かび上がるのだ。


逃れられようもなく運命づけられた己の属する、己自身を構成している時代全体、そのルーツ、それに対するかけがえのない初々しい感性のアドレッセンスのセンチメンタリズムの中に一生を通して永遠に深く包み込む謎や死やモラル、のようなもの(モラル、というのはラテン語にあった「生活様式」としての語源的な意味をもトータルに含めて)、人生への姿勢を決めてゆくその決意を選択してゆく意志や祈りという個としての己のスタイルが、あとから振り返り物語る形の中に醸成される、そのナニカ。わからなさがわからなさのままにわかる、という、矛盾のダイナミクスがそこには成立している。激しい祈りや思いや謎を感じ考える態度に、生きてきた軌跡そのものを意味づけて行くような、

…特に「クリーム」の「わからなさ」は異様にイイ。これは沁みた。この不条理の中に孕まれる理不尽の重みと永遠の謎の迷宮は、思惟のための課題だ。

…これがね、最初に言った「年をとるってのはわるくない」っていった意味なんだよ。
人生も終盤に差し掛かったところで初めて成立可能になる物語というのはあるのだ。

品川猿、って評価するのは難しいかもしれないけどなんか好きだなあ、この奇妙な感じ。
ひなびたボロ旅館に泊まったらいきなり下働きの猿が出てきて背中流してくれたりして、偉く礼儀正しくて知性的で、ひととき一緒に麦酒飲んで人生(猿生)やかなわぬ恋のことなんかも語ったりしてね。切ないんだなこれが。川上弘美的なしれっとした奇妙な「ひょっとしてアリかも」を感じさせてしまう力業、眞正のウソツキ感覚。

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それにしてもどうも昨今の流行の本の表紙のイラストっぽさ一律過ぎてなんか苦手。なんかイヤ。