酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

真夏の日曜日。

炎暑に揺らめく日も、街はまたよいものだ。

灼熱の光と熱に焼き付けられた世界は奇妙に鎮められ、目の前の風景や現実が砂漠に浮かぶ幻のように感じられてくる。日曜日の夢。そしておおきな真夏の記憶が幻のようにそこに重なる。猛烈な暑さのこの季節はここでは「あちら側」が近くなる季節だ。お盆。そして大きな戦争の記憶。人々はどこかで共有する、その祖先や地霊の記憶。

大木はよいものだ。見上げると、空にはろばろと高いケヤキ並木、緑のトンネルでは緑金の光がちらちらと揺れ、行き交う車を影と光でゆらゆらと彩る。

さまざまの記憶を黙って見つめ年輪に刻み続けてきた大木の記憶が、優しい木洩れ日を落としながら、その下で今日、休日をさまざまに楽しむ人々の日常を包み込み、彩る。それもまた一つの風景として年輪に重ねられてゆくのだろう。未来へ。

涼しいカフェ、美しい花や華やかな流行りの服、珈琲やお菓子の匂い。装う女の子たちの香り、花のようなカルピスのようなメロンのようなその華やかな香り。うつくしいものやお菓子やおいしいものを買い求め、アイスクリームをなめ、ドーナッツの袋を抱えて歩く。家族やカップル。みな友達とお洒落してくりだしてくるのだ。

おおきな並木道では路上ライブや大道芸。大道芸もよいものだ。

けれど陽射しの中で、どこかすべての喧騒は鎮められている。子供らの記憶の中に刷り込まれて再現されるその脳内の未来の風景を感ずる。祖先と共有してゆく奇妙な共有記憶に繋がりながら。過去と未来。

ベゴニアかな。花壇の花も可愛らしい。午後の風がそよぎ、緑や花の匂いがする。

夕暮れ時もいい光の風だった。澄んだ空がゆっくりと暮れてゆく。

珈琲は申し分なくおいしかったし、珈琲の香りの中で、静かな人々の中で、よみかけの本が少し読めたから、夕暮れの本屋も覗いたから、今日も私は大丈夫。