酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

阿佐ヶ谷 (サーティワン)

通りがかったサーティワンの店先を眺めていて不意に思い出した。
(今月スペシャルフレーバーはキャラメル抹茶オレ)

初めての街で初めての買い食い、初めての友人からの奢り。
一度に何人もの取り巻きの友人たちに専門店のアイスクリームを奢る中学生なんて奇妙な風景に出会ったのは初めてで、その是非もわからず、ただ「これが東京というものか」と思ったものだ。

潤沢な小遣いを持って周囲に奢るお金持ちの子だったから皆を連れて歩いていたようだった。人気があったのだ。穏やかで優しい、悪口なんていわない、いじめなんかも絶対しないような、鷹揚に育ったほんに素敵ないい子だった。

引っ越し、転校にともなって、子供にはさまざまの儀式や通過儀礼がある。個人として、社会として様々なレヴェルで。(大人にもあるんだろうけど、もちろん。だけどとにかく自分が子供だったから大人のことなど知らぬし知る気もなかった。大人は今のご時世とは違う、子供と同じ人間じゃなくて大人だった。子供は子供だった。)

ここに比べれば、とんでもない田舎から引っ越してきたらしい。わたしにはカルチャーショックだったのだ。すべてが違っていた。街の空気の匂いはもちろん朝の光や夕暮れの光の色すらも。

東京で生まれ、小学校に上がるころまではそこで暮らしてたんだけど、住んでいたのはローカルな私鉄沿線サザエさんどっぷりな昭和な住宅街。憧れていたのはせいぜい校則で禁じられていた裏通りの秘密の駄菓子屋。(それでもスリルとサスペンス禁じられた歓び、どきどきの大冒険だったけど。10円でチョコレートやなんか買えて、200円もあったらものすごくいろんな宝物なお菓子やおもちゃたくさん選べたりして、それだけでお祭りみたいな感激の楽しさだった。)都心のデパートとか、母の買い物のお供ででかける日なんかは特別な日。お洒落した母や姉と出かける週末わくわくの大冒険だった。デパート屋上の遊び場や食堂のお子様ランチやパフェなんかのフルコースがもちろん一番お約束の楽しみで。

父の転勤で田舎に越してからは、山犬毒団子注意報が出されるほどのワイルドな山の上、ほとんど店らしいものもない山の中腹の坂道だったり病気で療養所暮らしだったりの思い出ばかり。読書が好きでも一人で図書館にも行けない山暮らし、週末たまに町や図書館に車で連れて行ってもらうのが最大のイベントだった。食い入るように書棚を検分し読みふけり、精一杯魂の力を振り絞って本を選びぬいて借りるものを選ぶ時間、至福の週末、ずっとここにいたい図書館オバケになりたい、と、今とまったく同じようにと願っていた。小学校の図書館もそりゃ目いっぱい活用したけど、街の図書館はまた特別なところだったのだ。大きな子どもたちが勉強している別室なんか覗き込んで別世界を感じたりね。

遊びと言えば押し入れから天井板をこっそり外して上った自宅の屋根裏探検や屋根の上での昼寝、物置の上でたわわに実った枇杷を好き放題に食べるおやつ。すべての木で試みる木登り。気に入りの枝からの私だけの秘密のお気に入りの風景。はろばろと暮れていゆく空と海が見渡せた。

とにかくどれも私だけの秘密の魔法物語に満ちた冒険だった。洞穴を掘ったりありんこと遊んだり(…イヤいじめてたんだが。砂糖運ばせたり運搬してる虫の死骸とか移動させたり一匹捕まえて花びらにのせてバケツの水にうかべたり。)。そして屋根の上でひとり寝転んだり物置の片隅に隠れて本やまんが、おやつ。ひたすら想像力は空の向こう側。お小遣いは山のふもとの小さなタバコ屋のラムネ菓子やチョコ菓子、ごくたまに連れて行ってもらう本屋で選び抜いた大切な漫画本。月に一度の本屋さんからの配達日、「学習」と「科学(付録が楽しみ)」や姉の漫画雑誌を発売日には朝からわくわくと首を長くして待ちわびていた。空き地にやってくる移動パン屋のあのメロディ、米をもってゆくとぽんぽん菓子にしてくれるぽんぽん楽しい菓子屋のトラック。

廊下の突き当りの窓の下に転がって入学祝いにドーンと揃えたもらった世界名作全集繰り返し読みふける永遠の時間。

裏山に近所の子どもたち皆で拵えた、落とし穴的罠付きの、木の枝あちこち結んだり縄を付けてみたりしたみたいな創意工夫の手作りアスレチック、洞穴秘密基地。

どこに暮らしていても子供たちには世界は不思議と魅惑と未知と物語と意味に満ち溢れている。遊びが世界そのものであり生きることそのものであった。

そして都会の子供たち、それが街や店に変わってたって同じことだ。…ただそれがどのように大人の世界の論理に組み込まれ利用され或いは逆照射されているのかの場所と時代と文化の違いがあるっていうだけだ。そのことをきちんと分析して考えたら学問になったりもする。一概にどっちがどうってことでもない。

 

さて今日はアイスクリームの日でな、それでこんなことを思い出したのだ。(5月9日)

昔、アイスクリームの日には件のサーティワンで店員さんとじゃんけんをして、勝ったらダブルのレギュラーコーンひとつタダになるってのあったのになあ。負けると払わねばならぬこのギャンブルなスリルとサスペンス。女子中学生午後の授業、クラスルームは既に浮き足立っていた。

そしてチャイムが鳴り、いつも楽しい放課後もその日は格別。学校帰りにはみんな商店街の二階秘密倶楽部サーティワンに鼻息荒く繰り出したものだ。(学校校則寄り道禁止。更に盛り上がるスリルとサスペンス。)店員さんも女子中学生集団相手に連続じゃんけん勝負ノリノリ。

今はもうそういうご時世ではなくなっちゃった。おおらかな世界の隙間はどんどんなくなっちゃうのだ。

…とにかくね、あちこち世知辛くなるばっかりで、みんなキリキリしてて、なんかね、正しいとか正しくないじゃなくてね、息苦しいのがさ、ちょっとさ、…ヤーネー。

緩みのない機械は壊れるざんす。社会も人間も然り。