酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

我々はJKだったので、お茶会をした。

我々はJKだったので、お茶会をした。

初夏の陽射しのあふれる、秘密の庭園のようなM子の自宅の庭が会場に選ばれた。赤いギンガムチェックのクロス、M子とっときの野薔薇のお茶セット、持ち寄りのお茶とお菓子。

ひな祭りには期末テスト前週間、部活も禁止された緊迫した時空であったにも関わらずNちゃん宅にて女子だけの秘密倶楽部茶会がひそやかにひらかれ、苺大福だの桜餅だの白酒とともに女子トークの繰り広げられるJKだけの貴重なひとときをもった。皆の未来をもそこでさまざまに語られた。意味もなく笑い転げた。親密な永遠の午後だった。(今わたくしはそれを思い出す。未来を夢見た過去。ねじれた時空構造の豊かな恍惚を思う。)

そしてまた昼休みには教室にて綿密に企画された手巻きクレープパーティが催された。JKの資格を持たぬ男子全般は女子の華やかな企画に輝く瞳とハナイキの荒さに気圧され、教室の片隅に追いやられていた。

我々は自主自立連帯を掲げながらその筋骨が崩れた後の、ヒッピー文化的にユルい時代の都立高最後の残り香の中にいたものだから、グラウンドに永遠の放課後夕暮れの光が差し込む中に生息していたのであった。(だがそれは自主自立連帯の本質のところからは、寧ろそれがスローガンとして声高に叫ばれ権力とアナロジーであった時よりもズレてはいなかったのではないかと密かに私は思っている。)

授業中の居眠りの邪魔をする先生に居眠りの自由を侵害する権力濫用だと腹を立て、そそくさと早弁をして昼休みは部室で楽器をさらったりやたらとしゃべったり遊んだりいつものメンバー、永遠に変わらぬあの光の中の時間。自習時間には大挙して学校の裏門から抜け出してモスバーガーにしけこんだり駄菓子屋でガリガリ君選んだり人工着色料たっぷりのジュースだの菓子パンだのなんだのの買い食いをしたしたりしていた。永遠に変わらぬあの…

大層楽しかった。
(50円ガリガリ君がせいぜい、リッチなときはジャイアントコーン、というレヴェルにあった我々なので、現在の女子高生たちがスターバックスの限定フラペチーノiPhoneで写メとかで遊んでいるのを見てまったく贅沢になったもんだ!と妬ましく思わんでもないが、あのミョ~にゆるかった昭和情緒の風景を知らぬ彼らに対してほのかな誇りを抱いていることもまた事実である。)

どうしてだろう。この日々は永遠に続くものだと感覚は信じていた。限られた時間であることを論理では知りながら。未来はただ夢見るためのにあった。

だがそうしてまた、その感覚は確かに寧ろ真理であったのだと今わたくしは確信している。永遠に続いている。魂の中に永遠の無時間が刻み込まれているのをわたくしは感ずるのだ。

もう少し真面目に勉強しておけば、或いは何のためらいもなくもっとめちゃくちゃに遊んでおけばよかった、くらいしか後悔はない。どっちにしろ、街遊びをしたり早熟に性的な冒険に先走ることなく、(それは別世界の夢の包み紙にくるんだ淡い憧れのキャンディの形でとっておいたままで)この時だけできる精一杯を過ごしていた、部活と、友人。…こんな地味でくすんだ平凡なタイプのJK生活だって楽しかったのだ。知らなかった世界のことは知らなかったから豊かだった。

すべてその日々の苦悩は喜びの裏面に過ぎない。一生残る魂に刻まれる人生の「とき」。
濃密な意味に満ちたアドレッセンスに、その苦悩も含めて永遠の祝福を贈らねばならぬと思う。

JK万歳。

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