酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

クラシック喫茶「でんえん」再訪

本日はどんより曇天から雨模様。
五月なのに肌寒い。

ということで鬱々と地元クラシック喫茶、田園再訪。
初めての時は友人と一緒だったのだが今日は鞄に読みかけの文庫本潜ませてひとり潜入。相変わらずの佇まいが嬉しい。ドアを開けるとタイムトリップ異空間、大音響のクラシック。

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コロナ禍である。加えてご高齢の店主マダム、心配していたんだけど、ご健在でよかった。だいぶん弱られた感はあるが。最近はさすがに娘さんがお手伝いでお二人で営業が常態らしいが本日はマダムおひとり。

店主と2、3人程度の静かな読書を楽しむ紳士淑女の客層合わせて予想平均年齢…店内をざっと見まわし、80歳くらいかな、と予想した。

甘かった。

常連さんらしい紳士が帰りがけマダムに「ボク明日誕生日なんですよ。91歳になりますわ。」「まあああ〜。お若いですワ〜。」

…どひゃーっ!

推定見直し、平均90歳。皆さま部屋の中をゆっくり移動するのも心許ないヨタヨタとした足取りでカタカタとお盆で珈琲運んでくれるときも「わ、私がやります。」と言いたくなる。マダム今年御年93歳。

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今日のような心持ちとお天気の時、ここはとてもしっくりと肌になじむ。
大きなスピーカーから大音響でクラシックが響き、大音響の中の調和と静けさの核に包まれ、古い人々はそれぞれが懐かしい時間の中に沈みこみ、静かに各々に開かれた古い空間で本を読む。誰にも損なうことのできない何人もその存在の完璧さを脅かすことすらできない永遠の時空間。

別空間。さまざまの荒れ狂う喧騒と欲望と刺激がむき出しにあふれた現代という物語、外界と切り離され、そこから守られ解放されるためのひとときの、それぞれのためのちいさな、そして完璧な宇宙。

流れる静かな古い時間。このままドアの外に出たら昭和、戦後の武蔵野の文士崩れたちの時代の風景の中に出ていけるんじゃないか、と、ふと本気でそう思う。

ここは基本的に「パソコンや携帯電話はご遠慮願います」なとこなんだけど、写真撮っていいでしょうか、とお窺いしてみたら、どうぞどうぞと言っていただけた。
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おしゃべりをするためではなく、仄暗く温かなアンティークの洋燈の灯りが灯るなか、ひとり静かに本を読むための場所。日常の雑事雑念から離れて書きものなんかするのにも本当に最適だ。

読みかけの本は再読本、梨木果歩の壮大な糠漬け小説「沼地のある森を抜けて」。
すべては糠床から始まる。疑いもしていなかった己自身のアイデンティティが、思いが、倫理が、家族が、愛が、生命観が、そのルーツが、すべてがそのアルケー、源泉から問い直されてゆく。

微生物相と人類との生物相としてのアナロジーへの思いからどんどんとすべての既存の物語が溶解してゆく空恐ろしさと痛みと解放と赦し、深い優しさと再構築と。

さて後半戦、ここからが面白い。

私は今日この日にここに来られてよかった。
明日はまた晴れる、コロナの惨状が嘘のように思えてくるような美しい五月の新緑薫風うの世界が。

どこか行きたい。