クラシックな道徳の教科書みたいな少年小説を下地に、意識的にか、少し生硬な思想、テーマがゴリっと硬く浮きでる少年の語りの青さ。しかし、後半、ぐいぐい深みにはまってゆくツボ。村上春樹の問題意識にも通じると思う。「普通」という言葉の暴力性への小さな違和感、それに対する鋭いアンテナ。
こなれていながら技巧に満ちた物語構成の見事な手腕、手練の作者にしては、青さ、ぎごちなさを感じさせる生硬な少年の語り口の印象。が、この青さこそが、この、祈りや理念や怒りや、そんな思想の温度、その熱さ、若さ、に、ふさわしいのかもしれない。
内容の深み、重さ、思想的考察が前面に押し出されているために、明朗壮快な青春小説の面白さ、というところには行き着いてはいない。けれども物語構造の熟練、巧みさから、思想の深み、言いたいこと、それらが痛いように伝わってくる。そんなじわりと深い面白さ、がある。きっと、この作者のものには、どの作品にも、この理念が通奏低音として流れているのだ、と確信する。何故書くのか、という根幹のところ。
私の中で、私の中のヴァージョンとして、この本の言葉は転生し生きつづける。それが、時空や他者、アイディンティティの壁を超えてゆくテクストの可能性、その力。
「大勢が声を揃えて一つのことを言っているようなとき、少しでも違和感があったら、自分は何に引っ掛かっているのか、意識のライトを当てて明らかにする。自分が、足がかりにすべきはそこだ。自分基準で『自分』をつくっていくんだ。」
他人の「普通」は、そこには関係ない。
…テーマは見えない暴力、みたい、だな。戦争と性的暴力とをめぐる権力と悲劇の構造のアナロジー。「普通」という大義名分を巧みに正義としてかざすことによって、弱い者、搾取される側の、繊細な心の内側への自責の念を利用する、モラル・ハラスメントの構造。
主人公の少年が感じる、戦時中の少年たちへの共感と徹底的な違和を生じさせる分岐点。
彼らの、現在の非常識としての「常識」「正義」の感覚が、実は今現在の自分をも包み得たものであり、そうして別の形のもの(自己自身の内部に組み込まれている社会システム)に、今実際、自己自身がその一部として内包されている、という複雑な内ー外にわたる、思想の檻への気付き。
一見言論が自由のように見せかけられている今の我々の社会でも、「言っちゃならねえネタってあるだろ。」とか、「地雷を踏んだな」、ということで表されている、触れてはならない領域、という不文律がある。
タブー。
それこそが、世界をゆがみなく見極めるためには明るみに引き出して徹底的に異化すべき、パラダイム、個の内部にまで組み込まれた超自我としての「枷」のようなものなのだろう。
そして、この作品にはさらに、関連した自虐というワナの隠喩に関しても言及されている。
吐く草を好んで食べる、本来毒を排出するためである自然の摂理を超え、ただのクセ、嗜好として。
食べては吐く、吐くのが好きになる、(その苦しみは苦しみなのに)その犬のエピソードだ。
繰り返す、愚かさの。
- 作者: 梨木香歩
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