酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「100分de名著」最近の録画視聴備忘録(メモ)

小松左京スペシャル」

第一回は、伝記的事実とその心持ちと作品の結びつきを追っていて、その戦時の体験や概念への思い、感覚、メッセージ性や世界観の発生、その「小松左京SF」というスタイルの持つ原点、人間としての発想の重み深み知性のありかたのようなものを初めて知って、うわ、と思った。わくわくした。

その原点とは、終戦時死ぬはずだった少年であった小松左京が、死が瀰漫しそれが当然であった世界とそうではない世界の変貌ぶりに、その時空の境界線に劇的に遭遇した、その激変に際して「存在」の根幹を揺るがされる経験というショックだ。一日にして世界は入れ替わった。まるでパラレルな異世界に移行したかのように。

「地には平和を」で小松はその原点を形にして見せている。
ポツダム宣言が受領されず日本が破滅的な本土決戦を迎えることとなったパラレルワールドが出現するという物語だ。自決しようとする少年兵、タイムマシン・タイムパラドックス・タイムパトロールマッドサイエンティスト、とわくわく要素てんこ盛りの面白さはお約束。

…そして最後に、生き残り、平和な正しい戦後を迎えた世界軸に戻ることができ、大人になって幸せな家庭を持ったその少年兵がふと「この平和な現実が実は虚偽と欺瞞に満ちたものと紙一重なのではないか」という、現代の「当然の事実・ゲンジツ」である平和や豊かさに対するリアリティへの不安、その危うさという問題提起をも孕んだスリリングなシーンが描かれる。

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世界はもはや固定された絶対性、真理としての拠り所とはなり得ないものである。アイデンティティの消失とともに。

…そこから彼の世界の多様、その異様な不思議さを、分岐してゆくタイムトリップ的パラレルワールドSFのスタイルをとって示すものであるあの発想がうまれてきた。魂に刻まれた、その激しさを孕んだ原風景としての原点だ。

良かった。

んだけど、尻つぼみ、二回目以降は深みを感じさせない「小松左京作品ヴァラエティインデックス」な優等生に出来上がっているだけだった。読みたくならなかったってことだな。いや機会があったら多分本文は物凄いだろうから読みたいけど。まあ100分でまとめた理屈がきれいすぎる。

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ただ色々全てがつながる。今自分が考えているさまざまのこと。(常識として知っておきたいがためにメール配信企画読書でちびちびかじってるドグラ・マグラしかり)

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続いてロジェ・カイヨワ戦争論」。
…残念ながらこれも同じ印象。なんというか、トータルな論理が見えてこない構成という印象なんである。

吉本隆明の「共同幻想論
カント「純粋理性批判
西田幾多郎善の研究

ものすごい大作ばっかり、興味のあったものばかりでえらい期待したんだけど、…う~ん。ということでどれもこれも結構同じ印象。キレイな優等生で論理は独特のタームなんかのおいしいとこ取ろうとして変にまとめてるくせに散漫。入門だから仕方がないのか。それと現代社会の問題と上手に無難に結びつけちゃうっていう課題があるんだろな。

…100分でこういうの、いくら入門とはいえ欲張り過ぎとはわかっているが。だけど前述した番組だけだったらおそらく私はこれらの著作に興味を持つ機会を得ることはできなかったと思う。西田であれだけ感動したのは異なるところから入門したからだ。とにかく番組構成と解説者による。(西田入門したときはこの記事。

まあアタリ棒ばかりってわけにもいかないよなあ、いくら毎日期待して棒アイス買ってもさ。

その分当たったときの感動もあるってことだし、自分の方の脳髄コンディションの問題やもしれぬ、これは。

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とりあえず相変わらず自分の中の春樹再読祭りは続行中。
これにだけは救われている。

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で。ここが大切な備忘録。

大江健三郎「燃え上がる緑の木」

いやね、これも最初は手つきがこの番組特有で、基本共感できるし優等生っていう枠組みで、いいんだけど連続し過ぎて金太郎あめ的に食傷かな、と思ってた。

…んだが。

回を追うごとにじわりと特有の深みが見えてたような気がしてさすがこれが巨匠のノーベル賞受賞のチカラか!な感じでぐいぐいおもしろくなってきた。読みたくなってきた、ということだ。ついでに解説者の小野正嗣の作品も。

解説者の「熱」が、「読者」としての解説者が既にメディアとして存在するところの、解説者自身のその人生や思想の重みと密接にからみあった「感動」と「熱」が伝わってくる命の思想の伝播の力の構造を感じた。

 

さまざまな不特定多数の読者にそれぞれ個別の「具体としての思想」のようなものが総体として真理としての「抽象としての原点、テクスト」を成立存在せしめる。伝える力とはこういうところにある。あたかも虚空としての真理(作品それ自体としての真理)の輪郭を形作ってゆく意識と祈りのダイナミクス、その生きた魂の集積のように。

さて、ツボにはまった内容メモをいくつか。

文学があるいは物語が感じたものを「真理」として「言い張る」(祈りである)ということである、ということ。

「一瞬よりももう少しの長い間」という概念、すなわち人生まるごとの意味。永遠、という概念について、西田以来非常に気になっている永遠の一瞬、という概念の基盤について。

「解説者の小野正嗣は多くの大切なことを教えてくれているが、私のこころに残ったことをふたつだけ書く。ひとつはこの宗教の「祈り」のやりかた。からっぽの繭に向けて意識を集中すること。これだけ。これはシモーヌ・ヴェイユの「注意力とはもっとも純粋なかたちの祈りにほかならない」という考えに対応する。注意の努力は何年もどんな結果ももたらさないかもしれないが、ある日それらの努力に正確に対応した光があらわれるという信念である。もうひとつは、私たちが生きたあかし、この世に生まれてきた意味は、「一瞬よりもいくらか長く続く時間」の至福(例えば、ある景色を見て感動するとか、そういうささいなことでもいい)があれば十分おつりがくるということ。その時、ごく短い時間は「永遠」に匹敵するくらいの価値を持つから。」(amazon一読者感想から)(私はこのひとの意見にものすごく共感したのだ。)

確か吉本ばななの短編集の中の作品でもあったのだ。今日と、明日ともう少しの間の幸福、というような。なんだっけなあ。今を永遠にする、西田の「永遠の現在」のあの概念。

如何に生くべきか。
この命題はそこに繋がってゆくものとしてある。


そしてフィナーレ、最終回。

うう大江健三郎いいではないか。最後まで期待を裏切らない面白さで番組はフィナーレを迎えたんである。私の中で。

いや~流石ノーベル賞とった作品だけあるんだなあやっぱり…そしてやっぱり解説の切り口が素晴らしいのだ、この番組は。指南役の先生によるけど。じいんじいん。論理や構造に、詩が物語が、イメージが…美しさが生命として与えられる瞬間について思った。読書ということ語り継ぐということ言い張るということ考えるということ川の流れの渦に飲み込まれるのではなく一滴の水のまま沁みとおり個から個を明け渡すところまで、個的な土地に沈むことにより土地をこえた普遍へ、マクロへ。(あくまでも駆け足メモ)

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ミヒャエル・エンデ「モモ」

「モモ」はねえ、とにかく幼いころから心に焼き付いてる作品だから、思い入れは深い。

とりあえず子供の頃の記憶は間違いなく自分オリジナルに捏造変成されているものであるからな、なんかあれこれ違っている。

少しだけ原典に触れて思い出さねばならぬ。(ところで懐かしい思い入れのあるあの岩波版の単行本モモ、これじゃなくちゃ、って思ってた表紙や中の素敵な挿絵はエンデ本人の手によるものだと知ってなんかびっくりというか感慨というか。)

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指南役の先生が心理カウンセラーの河合俊雄さんということで、でしてね…。
なんか嫌な予感というか、カウンセラーとしての役割のモモ、という枠組みで解釈してくんですわな。これが。ピンと来なくて、心理学用語とかカウンセラーとしてのアタマしかなくて、物語としてのこの面白さとエンデの思想の深淵、文学としての深みに触れない。

なんか専門的概念やキーモチーフを思わせぶりにあちこちにあてはめていって現代の問題につなげていこう、な感じの印象。論理の焦点が結論の方にトータルに絞りこまれていない。

生命、時間、その豊かさとは何か、ひとを飛びつかせるふかぶかとした命題を、どこかで見たような、決めつけた結論に持ち込んでゆこうとする。コレはアレを象徴する、これは心理学的にこの構図を意味する。だから作者の言いたいことはコレだ…物語の中に「わからなさ」の余地すら残さない。

思い入れがあるだけにがっかり。
冒涜されたような気持ちにすらなるだよ、なんとなく。いやそんなの僭越なものいいかもしれないけど思い入れってのはそういうもんだ。

記憶と違う印象の解説されたりさ。嬉しくない。
…でもね、まあ優等生ではあるんだよ、いい人にはいいのかもしれない、こういうの。一応ちゃんとポイントきれいに抑えてるしさ、優等生。

だけど私にもよかったことは、おかげで作品読み返したくなったってことだな。自分の中でも凝り固まった「時間泥棒」がメインテーマだっていう概念だけでなく、物語との関わりで少し新しい視点を示唆してもらったとこもあるし。もっとじっくり読めそうな気がする。

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ただねえ、今春樹祭りを中断するわけにはいかないのでまだダメなのだ。(現在「海辺のカフカ」にかかっている。以前はつまんない駄作とか好きじゃないとか思ってたけど、トータルに読み返していったらなんかもう全然印象が違って猛烈に面白いのだ。)

 

いろいろもどかしい。(本を読む力自体ものすごく弱ってるのだ自分。既に我が存在の、生命力そのもののピンチ。)だけど、逆にさ、これ読んで考えるまでは、っていうようなの、そういうの楽しみにして生きる未来の希望を繋がねば。欲望希望夢喜びがなければ人間は生きられない。

「モモ」素敵な感じで映画になってるやつあったな、あれも観たいな。パソ君に保存したまま観てないからこれも。

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