酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

西加奈子「i」

読了。
 
この人の作品初めて読んだけど、なんかだめかも。
いい作品なのかもしれないけど自分にはダメだ、響いてこない。
 
帯にある中村文則の宣伝文句どおり、この小説は「この世界に絶対に存在しなければならない。」を否定はしない、寧ろ賛同はするけれど。考えはするけれど。
 
説得力がない。
 
国際間の貧富の差、貧困、テロ、暴力、差別、自然災害、LGBT、…テーマは節操がないほどキャッチーで現代社会への問題意識が高く、それが非常に繊細な少女の感覚をもって描かれている。(この辺りの繊細で鋭敏な感覚描写はさすがにプロ作家、素晴らしいとは思う。)確かなアイデンティティを、確かな居場所を求め苦しむ彼女。そして、言ってしまえば結論はとてもこぎれいにまとめられている。自他の生命の存在への無条件の祝福。確かに。…確かにそうかもしれないけど。あざとい文体、文章構成。そして結論に導こうとする論理に飛躍と隠蔽を感ずる。論理の印象はひどく乱暴だ。
 
肝心なところでお仕着せのお涙ちょうだい感動(それは万人に対する一種のモラハラだ!疑問を圧し潰し権力機構に組する可能性が高く、作品自体の問題意識に根源的に鋭く対立する矛盾ですらある。)にそれは流れる。イージーなできすぎの愛(人類愛、友愛、家族愛、男女の愛)の既成の物語の絶対性に頼る。
 
それは果たしてそもそも何か、という成り立ちを見極めるための疑問にたどり着かない。その外側にまで、その起源のところまで、それ以上食い下がることができない。登場人物が己の中の深みにただひたすら素朴に真摯に踏みこんでいこうとする方向性のないイージーな設定だからだ。
 
意味ありげな数学モチーフも虚数の記号「i」と主人公アイの名(日本語の愛と英語の一人称Iとのダブルミーニングから名づけられたもの。養母は日本人、養父はアメリカ人)のメタファも今ひとつ隠喩としてビシッとハマってこない印象を受ける。
 
ひたすらあざといだけ。
 
仮定された、想定された存在しない便宜上の観念だとされている概念は、しかし実は「存在しない」(「この世界にiは存在しません」という高校教師の因縁-呪詛の言葉。)のではなく、それは「思い」によって、想像すること信ずること愛することの純粋な激しさ、つよさによって実在になりうる(例えば、愛。愛の実在)というテーマの理屈はなんとなくわかるんだけど、説得されるだけの論理の整合性がない。ただキイワードを繰り返してみせる、力技のエモーショナルな「雰囲気」だけだ。
 
この直観はおそらく正しいと今私は信じている。ひとつひとつ検証して論じることもできると思うんだけど、膨大な作業で本腰を入れなくてはならなくなるし、今はただでさえリソース少ないワシの脳みそ、否定のための(おもしろくないことの解説)に割く価値を見出すことはできない。仕事で依頼されたとかなら別だけど。比較対照して他の素晴らしいものを論じたてるためでも別だけど。

何しろ主人公のみならず、登場人物みなにいっこも共感できないのだ。共感できないのはその境遇や行動や出来過ぎの性格にというよりは、描かれるその人物像のティピカルさ、そのペラさからくる。強引に主人公を結論に導こうとするストーリー盤の上の駒だ。
 
…ほかにもあたってみるかなあ。この作者、あんまり期待できない気がするけど、一冊だけで決めることもできんよな。

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追記メモ
 
我慢して前半を読みすすめていくと、後半から当初の展開は少しおもしろい。東日本大震災のときのアイの変化のくだりだ。あのあたりだけ前半のぐにぐにした伏線がどう回収されてゆくか、どう展開するのか期待して、ちょっとわくわする。
 
それはアイの中に巣くっていた「己に存するべきではない幸福、己がいるべきではない恵まれた場所にいる、誰かが己の負うべき苦しみを苦しんでいる、という罪の意識(原罪というテーマに通じる。)」が、災害という不幸に「選ばれる」ことによって免罪符を得て一種の解放を得る、という非常に興味深い論理を孕んでいるからだ。
 
この唯一興味深いと思ったテーマも、すぐに人工授精による無理やりの妊娠や流産の「外的なテーマ」に流れて立ち消えになっちゃうんだけどね。