酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

しあわせなハリネズミ

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寂しい。

ということで、私は考えた。
今私を私たらしめているものは、己のこの在り方を恥じる気持ちだけである。

この矛盾の中にしか私の存在はないのだ。
苦しみも喜びも誇りも一つの存在としてこのダイナミクスの中にある。

これが本日の総括としての論理的帰結である。
(そして今一番憎いのは匿名の正義ヅラどもである。例えばそれは不倫でモラハラのクズっぷりで評判になった芸能人への批判的な気持ちよりそれに傷ついた苦労人妻女優への同情よりも(そりゃものすごいあるけど)あれこれと正義に酔って他者を裁き踏み込みコメントしてる匿名の一般人たち。(こういうの理解できん。何故私生活を裁こうとするのだ。裁く者は裁かれなくてはならないだろう、普通。聖書によると。)私をほんの少しのあやまちでぶっ飛ばして両足を不自由にした暴走自転車よりへの怒りよりも、…論理的に破綻した矛盾した言説、論点ずらしすり替えながら恫喝による物言いによって私を侮辱した電話口の向こう側、国家権力のかさをきた脳たりん警察官の誠意のなさとその在り方の仕方のなさの中にある世界と、なによりもそれにまるめこまれた自分なのだ。あらゆるものに甘えようとした自分なのだ。)

昨今考えていたこと、見田と柄谷の考えのこと、様々の災難、限りない寂しみや恥ずかしさや自己嫌悪や絶望や欲望や、周囲の人々の優しさや本や音楽やココアや珈琲や愛すべき街の風景や、絵本。

「しあわせなハリネズミ藤野恵美)」(今読んだから)、論理的でさびしさにも気付けないハリネズミ君と生きる喜びと前向きのキャラクターモグラ君、いい人正義づらでハリネズミ君を一層傷つけるカワウソ君、素直な優しさのうさぎさん。それぞれ誰も悪くない。それからドクター・フーのめちゃくちゃな娯楽としての面白さ。これは切ない。己が己であることを問うという祈りの娯楽。(第七シリーズに入ったぞ。)

 

私は何にも間違っていないし生まれなければよかったと思ったことはない。
(けれども生まれなければよかったと叫びたい。心にもなく、いや心にいっぱいになって。さっきから私はにんげんのこの矛盾のことを言っているのだ。)

そして感情的帰結としては冒頭の一言である。

寂しい。

 

寂しさとは死に至る病である。
ひとはこれを避けるためにこれをあらゆるものに転化して生きている。敵意やハリネズミになることや憎悪や正義ヅラや恥知らず根性に転化してゆく。そうでなければ芸術や宗教や愛や自己犠牲や、いろんなそんなもの。神に己の心の本質的な汚らしさを見せられた世界一の義人は耐えられず失神したという。聖書によるとね。これは寂しさとは結局同じものなのではないかしらんと私は思っている。

これにまともに向き合って生きられるひとはいないという意味からだ。
漱石の「こころ」のKが自殺し、そして先生が自死を選ぶ理由の本質は、ここにまともに向き合ったことによる、

…のではないかねい。
とにかくねえ、はよ足なおしてお祓いしてどうにかして日々を生きるんだよ自分。