酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

二月の日曜日

二月の日曜日。
ひとりでぼんやりとガラス戸の朝陽の蜜の中サボテンを眺めていた。幸せだった陽だまりの日曜日の記憶の中にいた。非常にかなしく幸せな至福の朝であった。

穏やかに降る朝の光、静かな二月の早春の光。

光の春。柔らかな、そして力づよい新しい季節の足音。
冬の間大切に守り育んでいた己の中の新しい生命の歓びを、次の季節をたからかに歌い上げるための大切に守りながらまどろんでいたのだ、再びめざめようとする世界、新しい生命の胎動。(もう生命の力の尽きてしまった私は新しく描かれ始めたその螺旋の流れの中に再生していない。そこからはみ出してしまった寂しさと決して損なわれることのない過去の安らかさに満ちた外部からただきらめきを眩く眺めている。)

穏やかな朝の光。
カーテンに映った小鳥のシルエットとその朝の歓びを歌うさえずりで目覚めたのだ。

安らかなひとりぼっち。ぽっかりと明るい時空が開く。幸せだった頃の記憶ばかり思い出す。
陽だまりの中、家族そろっての遅い日曜の食卓。
ここで言及したシーンだ。

たきたてのほかほかのつやつや、白いごはんにお味噌汁。母特製のちょっと不格好で世界一おいしい卵焼き。絶妙のキツネ色のこげめからはみだす口の中いっぱいの濃いたまごの風味、甘くてとろりの黄金色のたまごいろ。焼き魚、おかかのかかったほうれん草のおひたし、生卵やしらす干し、胡麻がたっぷり、そして大根おろしや海苔が山のように盛られた納豆。四人でさまざまに分け合い取り合う。

姉は瓶詰のなめたけが大好きだったし、私は味付け海苔に白い炊き立てごはんや、ごはんの中央に穴をあけて卵と醤油を注意深く上手に落とし込んでから丁寧に混ぜる、両親から指導を受けながらのこの卵かけごはんを混ぜる儀式なんかも大好きだった。たまごかけごはんが食べられるのはこの日曜の朝だけだったからね。

我が家ではウイークデイはトーストやシリアルに目玉焼きで、和食の朝食は日曜日だけだった。日曜日の朝の陽だまり、穏やかな時間、まぶしい特別な幸せな思い出とセットである。

四人そろってのんびり機嫌のいい日曜の朝、すばらしくおいしかった、大好きだったあの卵焼きや納豆の並んだ、朝の光でまぶしい食卓を思い出す。

もうなんにも要らない。二度とないあの食卓があったということを思い出しただけで。その事実は真実になったから。一瞬は永遠に連なるものとなる。決して損なわれない真実。

新しい季節は私にはもうないのだ、とその過去の永遠の中、幸せの中で私は考えていた。
終わりと始まり。激しい命に躍動する新しい季節の物語は私のものではないのだ、と。

その至福と感謝と喜びと愛の中で終われるなら、本当に、これ以上のことはないのだ。
幸せだった。

どうしてなんだろう、それなのに、このうつくしい今が別のいつかどこかで夢を見ている非現実空間であるように感じられる。ひどく幸せなのに、ひどく寂くて寂しくてかなしい。幸福すぎるがらんどうは、未来に向けて生きようとする私の中の一部の心には耐えがたい。涙があふれそうだ。

死ぬ前に走馬灯のように人生がフラッシュバックする、というアレなんだな、と何だかそんなことを頭の隅っこでしきりに考えている。もうこの存在は年老いて疲れている。これ以上面倒でくたびれることはいやだよ。望むことはこれ以上何もない。

そうだ、何にもしたくない、もう何にも要らない、誰にも損なわれたく損ないたくもない。傷つけたくないし傷つけられたくもない。

何もかもめんどくさい、これ以上かなしいこともつらいことも要らない、これ以上望むことはもうないのだから。私は幸せだった。感謝して愛していると満足している。十分なのだ。もういまこのときを誰にも損なわれたくないだけだ。

ただ静かにこのままイマココにいるまま消えてしまいたい。ただ永遠にこの非現実の中にいたい。こわいのはただ、死というのではなく、虚無。小学生の私を怯えさせたのは、この虚無。

寂しい、寂しい。かなしい。私は無力だ。現実なんか私にはもうない、こんなにも与えられて生きて来たのに、誰にも何にもしてあげられないし何も与えられない、だけどそして幸福だ。幸福だったから。愛というものがあったのかもしれない、周りのすべては幸福だった。小さな諍いも何もかもよしなしごととして家庭の非凡な平凡さにまもられていた。サザエさんのような家庭が今現実にはなく、けれどもどこの家庭にもそのイデアの基盤が存在しているように。


一度壊れてしまったらもうダメなのかもしれない。一度心身が壊れてしまったら。既に一線を超えてあふれてしまっていたら。魂が損なわれてしまっていたら。次の螺旋にははいれない。新しい再生の螺旋には…

次の生命が、次の世代が来るのだろう。
私は私の生きてきた奇跡と軌跡を誰にも言えない恥ずべき事があったとしても、存在したことそのものは誇りに思う。感謝を思う。それは愛と呼んでもいいものなのだと思う。神や愛という概念に近いものなのではないかと。そう、幸福ということは。

高校生の頃から鈴木博文の「朝早い死」という歌が大好きだった。
夜明け前、ホームレスの老婆が道端でひとりひっそりと死んでゆく風景である。

「おはようとさよならを車の窓に鼻で描く。」

優しいメロディと歌声。
新しい生命の、新しい一日の光がその穏やかな表情を浮かべた亡骸をうつくしくつつみこむ風景に私はふるいものが新しいものに命の現場をそっと譲ってゆく理想的な死を見たような気がしていた。螺旋から零れ落ちて永遠の狭間に移行する。

その寂しさと、死と再生の狭間の、その世界の隙間、永遠の世界の果ての、世界の終わりのイマージュに浸された静かな風景。(ムーンライダーズにはどうもそのイメージがある。それで夢中になったのだ。)


なにしろね、寂しさというのは至福と相対しない。どちらも涙に値する(むしろ表裏なのだ。セットなのだ。)自我からの解放空間に触れる。ダメなのは閉塞感。閉塞。牢獄。

このことは「草枕」の冒頭で、画工が雲雀の声を聴いて思い出した詩人シェリーの雲雀の唄の一説の、その彼の解釈のことを思い出す。


 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後を見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極の歌に、悲しさの、極みの想、籠とぞ知れ」
 - [ ] なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲かなしみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。

 

至福と哀しみの極みは詩人にとってひとつのものなのだ。ひとつのところにあるものなのだ。
それは雲雀がどちらも持っていないことともまたおそらく表裏一体である。憧れるがかなわぬ、自我崩壊していながらしていない、ぎりぎりのところの陶酔。芸術の秘密はそこに在ると、メディアのところに在ると、繰り返しこの作品は主張しているのではないか。とりあえず文豪の知識と語彙の自在な繰り出しの難解さに非常に難儀しておるんだが漱石はやっぱり面白いんだよな。

人が死を恐れない境地を激烈な感情の昂ぶりの時か、おそろしく澄み渡った静けさの中に解放されたときの二極に分けている、その描写は漱石のどの作品であったか。どちらも自我のしがらみと牢獄の枠を軽やかに越える、その両極のところ、端っこ、そのメディアのところに在る、ということなのではないか、ということなのだ。

そうだ、どちらにしても、同じことなのかもしれない。最も遠いところにあり最も近いところにある。死後未生のような両極だ。同じところに行き着くその論理テリトリの両端。

私はどうなるのだろう。
どうするのだろう。