酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

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おうい雲よ

…って言いたくなる空だなや。

 

夏キライ、猛暑辛い。バテバテ高温多湿キライ早く秋風…とは思うけど、やっぱりスコーンと青い夏の空、まっしろくてもくもくの雲、8月の夏休みの空は好きである。(特にまっさらできらきらの朝、そして長い長い夕暮れ)(湿度さえなければ、こんなに強烈な猛暑でなければ、きっと江戸時代くらいの夏だったらオレ夏好きなのかもしれぬ。ただし限定一週間、長くて二週間。)

おうい雲よ、の有名な詩は山村暮鳥
「いちめんのなのはな」の人だね。

このひと、こういう小学校一年生の教科書に出てきそうな素朴で優しい牧歌的風景を描く詩の人として有名だけど、実は若いときは先鋭的で、前衛的、アグレッシブな実験的詩作の人だったそうな。「聖三稜玻璃」なんつう難解な詩集を出している。青空文庫でこの詩集ながめて「おうい雲よ」とのあまりの格差に、若気の至りと年老いてからの境地という、さもありなんな話とはいえちょっとびっくり。

いやまったく違うってわけじゃないし、(実際「なのはな」はこの詩集に収められたもので、なるほど実験的スタイルであり、知に角が立った病める月のイメージなんか仕込んでたりする。)これはこれでなかなか面白い詩集ではあるんだけど。なんというか、世界に抽象的概念を一生懸命読み取り盛り込み感じようとする。おそらく文芸への新しい可能性を追いかける時代の流行ってのもあるんだなあ。…こういう感じね。

 *** ***

  十 月

銀魚はつらつ
ゆびさきの刺疼(うづ)き
眞實
ひとりなり
山あざやかに
雪近し。


  印 象

むぎのはたけのおそろしさ……
むぎのはたけのおそろしさ
にほひはうれゆくゐんらく
ひつそりとかぜもなし
きけ、ふるびたるまひるのといきを
おもひなやみてびはしたたり
せつがいされたるきんのたいやう
あいはむぎほのひとつびとつに
さみしきかげをとりかこめり。)

 *** ***

…で。

つまりだな。

こういうタイプの転向ってなんか好きである、自分。
なんというか、抽象的な概念をこねくりまわして、言語のスタイルをこねくりまわして、事象に、世界にあらゆる意味を重ねる試みの正しさにおぼれ、そして疲れ、新しいステージとして何かもう一段階深いかたちで、抽象と具体を溶け合わせた第三のフィールドとして一見「平易な風景」へと回帰するように見えるアクション。「舞い降りる翼」的な、その懐の深い優しさ、のような長い時間の果てにあるもの。

個我の、その日常に感じる牢獄の苦しみ、それをもがきながら破壊し、個のかたちの現実での破滅を意味するその外側を知覚する恐怖とその向こう側にある真理や解放の祝祭へ、…そしてそれから再び見いだされる故郷としての日常へと「再生」する。その螺旋。まったくあたらしいかたちで。

日常現実破壊から、そこへの回帰への運動、具体から抽象へ、そうして再び具体へ。
死と再生。現実のくびきから飛翔する翼の強さ、そして再び新たなかたちでの自由を孕んだまま舞い降りる翼の強さ。

それはおそらく、創造、という力の示すもの。

螺旋を描き現実の平易に回帰してくる者。けっして「若気の至り」「あの頃はやんちゃして」というレヴェルの過去への安易な甘えや怠惰や否定を持たない。既存の型を壊し、生き生きとした存在としての風景を「発見」する「創造」という体験はそのまま生かされている。そしてそれらすべてをインテグレートし統合する回帰の姿が、雲や菜の花、故郷の風景であるという構造。このような優しいテクストとしてコトバのファンタジーの、シニフィエシニフィアンの結びつきへのセンスオブワンダー、その原点としての詩作という芸術スタイルにもどったものであるという構造。

…そう、好きなのだ。これが、このような、二項対立を止揚してゆく世界の読み替えという再生の物語を孕んでいるようだから。ひとつの人生の季節をめぐるものがたりとして。

とりあえずちらっと詩人の略歴を拾ってみた。
サライ」web記事から。味気ないwiki的なものより素敵にまとまっていたから。


「大正3年(1914)萩原朔太郎室生犀星と、詩、宗教、音楽の研究を目的とする「人魚詩社」を設立。その後さらに、第2詩集『聖三稜玻璃』の刊行で、先鋭な表現意識による前衛的挑戦を繰り広げ、詩壇に大きな波紋を投げかけた。多くの非難を浴びる半面、「日本立体詩派の祖」とも呼ばれた。

大正9年(1920)、胸を患った36歳の暮鳥は、職を解かれる形で教会を離脱。暮らしを立てるため、童話や童謡にも手を染めていく。長からぬ余命を自覚することで、詩風も自ずと変化し、枯淡の中に清明の味わいを醸した。

掲出の『雲』と題する詩がその典型。ここには、無垢なる童心にも似た、東洋的な無の境地さえ感じられる。かつて先鋭的技巧に突っ走った暮鳥が、この頃は「だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない」とも語っていた。

大正13年(1924)師走、暮鳥は41歳の誕生日と詩集『雲』の刊行を目前に、生涯を閉じた。」

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このね、「だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない」という科白。これがものすごく気に入ったのよ、ワシ。

本日の大ヒットである。

死を前にして、何もかもそぎ落としたとき、くすくす笑いたくなるような優しい楽しいうつくしい風景を、幸福を、個の形を、己の人生を、世界まるごとをこんな風な風景の物語に回帰しあるいは見出す感覚。それを幸福と感じている幸福。子供と老人と死に近いものだけが持っている視線なのかもしれない。死後未生のそのふちにちかいもの。

存在自体を美と歓びとしてとらえるという幸福を感ずる能力。或いはそれは、老人だけがもっている己の中のこどもの再発見、という構造の中にのみ存在しうるものなのかもしれない。

 *** ***

「雲」

丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる

  おなじく

おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか

***

「風景」

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな