酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

ある悪妻の記録

>>夜中ひとりで言葉を紡ぐ
 
逃げてやる、逃げてやる。
 
現実逃避。
どうしようもないお子ちゃまな私と、お子ちゃまな結婚相手、お子ちゃまな男性群。
 
…怖いよう、あのひとと二人のこのおうち、今、耐え難い。
ドアをたたく、私の精神を縛り上げる怒声の恐ろしさに耳をふさいで、飲んだくれ、部屋のドアを閉ざしてお籠り。
 
部屋のドアを開けると、あのひとが待ち構えている。文字通り追いかけまわされる。台所の壁の隅まで追いつめられる。少しでも避けるような素振りを見せると、罵る。ああ、トイレにも行けない不自由。悪夢だ。
 
今夜を何とかやり過ごさねば、生き延びねば、回復せねば。復活せねば、眠らねば。
 
 
楽しいこと、きれいなもの、うふうふ笑っちゃうもの、…嬉しかったことや、あれやこれや、一生懸命、思い出して、考えて、数え上げて、すがる。パソの小さな画面に縋りつく。ツイッター。外部のさんざめく声にしがみつく。世界の存在の多様をその実在を信じる、信じる、信じる。
 
思い出せ、マイフェイバリットシングス、あの唄だ。
 
 
うう、とにかくとりあえず、あと一日。
あと一日で、ひとまず、会社に行ってくれるんだ…
 
 
>>メールを打つ
 
ミエぽん、キミのメッセージ、しみこみすぎですわ~。
 
「その被害者ヅラがいやなんだよ。」
「夕食でかいサカナ二匹かよ、量だけの、僕は犬か。」
「じゃあ、どうすればいいの?おべんとのときだって、工夫して、少しでも、って、毎朝頑張ってたつもりなのにさ、どうやっても無反応で詮なくて、なんだかもう、くたくただよ…」
「弁当は、仕事の机で食べたから、味なんか全然わからなかった。ここしばらく次々仕事来るから、すごい大変だったんだよ。辛いんだったら、別に作らなくていい、かえって迷惑だよ。日の丸弁当でもまったくおんなじなんだから、やらなくていいって、言ったろ?」
 
…確かに、向こうの気持ちを考えると、無理ないんだろな。
ずうっと、激しい仕事ストレスにさらされてて大変なんだろう。
 
ああ、大変なんだね、だけど辛い時ほど支えあって思いやりあって…と思う気持ちが肝心なところで裏切られる。
 
上の立場(カミさんをやしなってやっている亭主)から、より弱い立場へ、自分のストレスでいっぱいになってしまって、理不尽な攻撃をすることしかできない。
 
その無神経な残酷さは、私の存在を無意味な汚いものとして、ざっくりと切り裂き、貶める。
 
こっちも、身体が不良品だから、あの人の三食、最低限の家事もふうふうで満足にできない。ぐったり疲れてほかのことなんか何にもできなくなってしまう。不始末だけ責められる。一日が、人生がまるごと、ずうっとずうっとそれだけで終わってしまう。自分のやりたいこと見失う。
 
…上げ膳据え膳で、どんぶりめしおかわりして、きれいに平らげて、テレビつけっぱなしで、ぐうぐう昼近くまでたっぷり眠ってる姿みてると、どうしても、何だか、「ああ、ワシは奴隷か。」と、恨んでしまう。
 
こういうの、確かにどこか病んでいるっていうのかもね。
 
何だかひたすらくたくた疲れてるのに眠れなくて、胃が痛くて、空腹感は確かにあるのに、胃痛と哀しみが交互に痛みになって内臓を襲って、せいぜい一食しか食べられなくて、後は、麦酒だけ。翌日の辛さをさておいて、深夜、ほんのひとときだけ、自分を取り戻す。
 
ミエぽんもそんな風に飲んでるのかな。
 
ういい~、しかしもうダメぢゃ、明日から二週間休みだって?一日家にいる、あの人と傷つけあう重圧。
 
憎んでしまいそう。
 
ごめん、どろどろ出して。
本当に、ミエぽんは、ワシとは別の苦しさでいっぱいなのに。
 
しかし、やっぱりね、クスリと酒の併用は、気をつけたまいよ。
どっちかにしなきゃダメだぞ。
 
深刻になる前に、も一回、実家にリフレッシュ休暇、とってみるテは、…ダメかなあ。
 
私は、頼りの実家では、みな、「オトコの世界は大変、すべてを受けて支えるのが主婦の務め」、私の心は、すべ「ワガママ」とされ、久しぶりに「父害」でダブルパンチをまともに食らってしまったのだが、…ミエぽんに、そうでない、ただ大切なコドモでありえた、そういう場所があるならば、恩は、きっと絶対に返せるんだから、…ぐんぐん甘えてみるべし、だよ~。
 
…ごめん、こっちのワガママばっかり噴出して。
ありがと。優しい言葉を聞いてしまって、ぷちん、ちょっとキレちゃったね。
 
どんなかたちになっても、なんとか、乗り切ろうね、
きれいな、この初夏の陽射しの、幸せを、吸い込んで。
(酒を飲むようになってから、大切なことを憶えていられなくなってきたような気がするよ。)
 
 
>>>仕事で失敗したから辞めるかも、と突然言われた。
 
 
土曜深夜、諍い。
 
腹くくって、おうちを売らねばならないよね、という話をしようとしたら、不機嫌になったのだ。
 
仕事のことで忙しいのに、めんどくさい、という。
 
めんどくさい?
 
どう転んでも、結局必要なのに。
不安で、分からないのに、何も教えてくれない。
 
ある日突然、失敗した、やめる、もうだめだ、と告知だけする態度なのだ。
 
善後策はたてねばならん。それじゃあ、ただ不安な私ができることを、と、一生懸命動いても、動けば、「二人のこと、自分勝手に考えるな。」じゃあ、どうしよう、と相談すれば、「僕は仕事で忙しくて手一杯なんだよ、あなたがこのまま今の仕事頑張れって言ったんでしょう」、と、すべては私のせいで、結局、これからのことは、何も考えてはいない。話し合う気もない。ただ、イライラをぶつけて怒るのみ。前を向こうとしない。どうしろっていうんだ。
 
あんまり眠れていない。
二日酔い。口内炎、背中に、顔に、ぶつぶつ、かいかいが出現。
 
 
あの人はすぐに、ぐうぐう。
 
 
…どうして、平気でいばるのだろう。
 
小さなことから大きなことまで、一時は万事。
 
あちこちの部屋で電気つけっぱなし、冷房も暖房もテレビ、コンピュータつけっぱなしで寝るのも、布団を干さないのも、おずおずと、ごめんね、お願い、消していい?(「ああ、そっちはいいけど、こっちはだめだ。さわらないで。コンピュータは、後で仕事続きやるから。」といって、99%はつけたまま、寝てしまうのだ。)と、ビクビクしながら、顔色を伺いながら、あえて頼んで曲げてもらわなくてはならない、いばってとおる強者の正義なのだ。
 
何か、自分が惨めである。
 
どうして、自分の気分で、人に対して理不尽に声を荒げることができるのだろう。
 
ストレスで疲れているのは分かっている、けど、どうしてそれを、味方のはずの私にぶつけるのだろう。(私は、あの人にぶら下がって生きているから、感謝している。だけど、だから、二人で乗り越えようよ、と、一生懸命自分なりに支えようとしているのだ。弱い人間は、この、より弱い立場の人間を、労わるという方向ではなく、いたぶる、という方向に走る。あさましい。
 
…この立場で、パワハラやられちゃ、もう、どもならんのだ。人間としての尊厳もへったくれもない。
 
びっくりするほど頭が悪いとしか思えない、相手を責めるだけが目的の、不毛な論理のすりかえ。
 
理をつくしてみようとすれば、論理すらない。怒声と暴力の恫喝。サンドバッグとしての味方を限りない甘えの対象としての味方を、そのようなかたちでの絶対を、そのようなかたちでの女性性を望むのか?
 
そんな幻想、まっぴらだ。共に支えあい励ましあい戦友ともあるべき家族となるために、そのようなかたちでの味方になるための未来をかけて婚姻関係を結んだのだ。
 
賭けに負けた。見解の相違。(好きではない人と結婚した報いである、と認めなくてはいけないのか。でもそんなみょうちきりんな理不尽が「好き」であることと関連するとは私は思わない。)
 
>>>謝罪
 
…今日、確かに、謝ってくれた。一応、ちゃんと本気で謝ってくれているのは、わかる。涙すらにじませて本気で謝っていた。
 
だけどね、これを、彼は、幾度も繰り返したのだ。
いいたい放題、人にあたって、後から、自分は気持ちよくかっこよく謝って、忘れて、もう、こざっぱりだ。
 
だが、一度人に向かって放たれた悪意と言葉の刃は、取り返しがつくものではない。
 
あのひとが自分の心からこざっぱり流した罪と穢れは私の胸の奥に突き刺さったまま、恐らく、永遠に残る。
 
私は、これらの言葉の記憶を、ひとつひとつ、日々、新しく丁寧に掘り起こしては、ぴかぴかに鋭く磨き上げ、新たにそれに傷つきながら、彼の帰宅を恐れる日々を過ごすのだろう。許さないとはそういうことだ。(阿呆で因果な性分である。)
 
だから私は自分自身の演技に酔っている彼をひんやりと眺めていて考えていた。
 
「豹変」ということ。
 
確かに、優しい人だ。
だが、重要な場面になれば、幾度でもこれを繰り返す人なのだ。
 
 
理屈ではない。既に、これは感情的な恐怖である。
そうだ、豹変とは致命的な恐怖なのだ。一切の信頼関係を不可能とする。信じた瞬間裏切るひと。
 
目玉が熱くなって涙が出るのは、悲しいからじゃない。
この恐怖、暴力的な理不尽への怒りと惨めさのせいだ。
(そして、自分の罪深さへの絶望と怒りのせいだ。)
 
 
感情を抑えて、陳謝に対し、正しいと思われる行動をとる。
自分と相手がこれ以上不幸にならないように、前向き、と理性が命ずる態度を演ずる。
(妻はどんなときも、賢く、夫に折れよ、と母に言い含められている。)
 
だけど、いざというときには、この人は、信用はできない、と、取り返しのつかない刷り込みは既になされている。永久プリント。あのひとは味方を得る可能性を失った。罵る価値も既にない。
 
悪い人というのではない。弱いだけだ。そうして、悪いのはそれを受け止めることができないさらに弱くあさましい私だ。
 
いつもどおり、身体に鞭打ってごはんをこしらえる。月曜を待つ。心を無にする。
機械的に、自分も詰め込む。
 
胃の辺りに熱い重い石が入っているようだ。
…ほんとうに、味がしないのだ。食べ物に申しわけないくらい、味がない。胃が痛い。
 
逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい。
 
もともと父から逃げるためだけに、ここに踏み出した。
確かに、申し訳ないことだ。バチがあたったのだ。
(どうも完全に、男性不信である。ぶつかっても謝らないのが男性、相手の痛みに鈍感なのが、男性。自分の罪に目をふさぐのが上手なのが、男性。)
 
…どっちにしろ、父のいるところへは、戻れない。
結婚のとき、実家の母から持たされた、「いざというときのためのママのへそくり」を持って、逃げて、僅かな残金が続く間だけ生きていようか、と、一生懸命考える。
 
ういい~、麦酒の空き缶が6つに見えるじょ。
(3つだ、ダイジョブだ。)
 
 
 
>>不動産屋
 
今日、不動産屋さんに、このおうちを査定してもらった。
何を言ってもにこにこ笑って、やたら丁寧で、ホメ言葉いっぱいくれて、でも、ちびっと疲れ顔の、営業マン。
 
立派なスーツの人に、深くあたまを下げられてしまう、「営業おじぎ」をされてしまう、…ああ、こういう関係性って、何だか、
 
…もんのすごい、イヤ!
 
吐きそうに、イヤ!
めりめりと落ち込んでいってしまう、ココロの闇壷。
 
つるつると表面を流れる空虚な会話。透けて見えるマニュアル。人間の心が見えない。
 
突然激しい孤独と恐怖にかられる。
大人の世界?
 
こういう世の中って、怖い。
 
人が、金持ちになりたいと願うのは、そしたら、こんな風に、何かのシステム、(経済至上主義社会システム)に支配され、お金のことで心を疲れさせられてダメにされる自分や人のことを考えなくてよくなるからなのかもしれない。
 
マンションの中庭で、五月の風、新緑に午後の陽射し、子供らが、思いっきり笑って走って、遊んでる風景をぼんやりと眺める。
 
ああ、あの子らの、ひとりになりたい、と、一瞬、つよく願ったりする。
 
 
 
さっき帰宅したあのひとに、ぶつぶつ、このおうちを売るときのマイナス面を強調され、最悪のときは私は返品、自分も実家に避難して、…なぞなぞ、実に感動と尊敬から遠い、疲れた投げやり言葉を聞いて、ぐぶぐぶ。
 
明日よ明日よ、辛い明日なら、もう、来るな!
 
 
>>>牢獄の週末。
 
 
ああ、ああ、明日はやっと月曜日だ…
 
今日はどうしようもないけど、明日、明後日、心は、変わる。
この悪い考えは、今日だけのもの。
 
晴れた五月の月曜日、お日さまが私の心の中の暗がりを隅々まで照らしてくれて、そうやって、静かにひとりで休める時間があれば。
 
とりあえず、今日も飲む。
 
どうかどうか、明日は、この貧しい心が、感謝や、祈りや、喜びや、愛しさや、夢や、そんな、よきもの、幸福で満たされますように。
 
 
>>あのひとの帰らない夜。
 
久々に、幸せな夜だ。
深夜、少し罪深いけれど、秋の虫の鳴き続ける、静かな静かな、このひとときの独りの時間を、抱きしめる。
永遠に、少し繋がる。ああ、でも、少し切ない、シンデレラ。
 
もう、三時だ…
 
二度と、同じ明日が来なければいいのに、と、少し思う。
全然別の世界に目覚めたら…
 
本当の、イデアの、そんな、スーペルな日常に、目覚める、
真実の、本当の、イデアそのものとしての、現実の、朝に。
 
…きっと、私は、赤ん坊で、記憶の中の、白と金との朝の光で、家族で、ゆったりと、日曜の朝ごはんを食べるのだ。