- 作者: 安房直子,降矢なな
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2011/10/31
- メディア: 大型本
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安房直子さんの実発表作品を、新たに読めるとは思わなかった。あんまりもったいなくて、なかなか開けなかった。
図書館で見つけて、胸に抱きしめているだけで、あの世界の存在を思い出し、ほっくりと暖かい気持ち。
「ひめねずみとガラスのストーブ」
1969年、目白児童文学に載っただけで、ちゃんと出版されたのされたのははじめて。絵もとてもいい。
…素晴らしい、やっぱり素晴らしい、じいん。
やわらかく優しいうつくしい言葉で世界を情感ゆたかに彩る描写。
その素直で柔らかな情緒は、五感の捉える鋭敏な世界への感覚を蘇らせ、世界全体を、新鮮な驚きと歓びに満ちたものへ、と、再生させてゆく。
物語と言葉の力だ。
風の子フーの感じる吹きさらし木枯らしの寒さに、暖かなうつくしいガラスのストーブの描写。そして、ストーブが呼び寄せた、小さな優しいひめねずみ。
一人ぼっちだったフーに、一緒にあたたかいシチューを食べたりお茶を飲んだりする、たったひとりの友達、家族と帰る場所ができる。
「森の中はそれはつめたくてまっ暗ですが、たったひとところだけ、ぽつんと明るいのでした。ガラスのストーブがもえているそこだけが。
フーは、なんだか胸がわくわくしました。たったひとつのストーブのために、たったひとりの小さい友だちのために、こんなにも心のおどる思いを、今まで知らなかったのです。
ずっとひとりぼっちだったものですから。」
だが、ある夜、遠い異国の街から駆けてきた風の子、ちょっと派手で失礼な女の子のオーロラに誘われて、フーは、ひめねずみに、ちょっとまっていておくれ、と言い残し、オーロラと一緒に、異国へと旅立って行ってしまう。
ちょっとしばらく、のつもりが、何年も。
大人になって、ふるさととひめねずみが恋しくなって帰ってきたフーを待っていたものは、フーを待って、そのまま、とっくに亡くなってしまった、ひめねずみの、大勢の子孫たち、彼らが受け継いだ、フーとひめねずみのものだった、ストーブ。
彼らがあたたかく灯す、ふたりのものだった、小さな小さな炎、懐かしいおなべとやかん。「でも、そこはもう、フーには入っていくことのできない世界でした。」
(ぼくはほんとにおとなになったんだ。)
そのときフーは、目に見えない、夢をみることも、ものをいうこともない、心をもたないただの風になってしまうのである。
この絵本のカバー見開きには、「風の子フーとひめねずみのすてきなすてきな物語」とある。
嘘である。
…いや、語弊がある、というべきだろう。
寧ろ、非情なんである。
読後感は、寧ろ、胸の痛くなるような切なさなのだ。
安房直子さんの作品には、非常に優しく美しい、おいしい楽しい、あたたかいものを愛しむ心があふれている。なのに、それらは決して、怖さ、別離、哀しさ、寂しさ、切なさと切り離されることはない。
誰が悪いのでもなく、ただ、かなしみは訪れ、大人になることが、強烈な、決定的な大切なものの喪失、ひとつの死を意味する、という、淡々とした時間の無常。
この、無常さ、非情さが、けれど、そのままに、たとえようもなく、美しい。
美しいものを美しく、愛しいものを愛しく。そのかけがえのなさを讃える大きな深い優しさで包み込む作者のまなざしによって、世界は、意味に満ちた、価値に満ちたうつくしいものへと浄化されることができる。
安房直子さん、亡くなられてしまったときは、ひどくショックだった。
本当に、もっともっともっと、たくさん、たくさん、書いて欲しかった…