録画してた「パーフェクト・ワールド」。
うっかり目頭熱くなってしまった。「グラン・トリノ」でもそうだったんだけど、どうしてこうイーストウッドにはたやすく泣かされてしまうのだ自分。こんな人間ではなかったはずなんだが。
理不尽と痛ましさ、どうしようもなさを突き抜ける潔さ。
音楽と残虐と。…ううカッコいい。
(そういや私の父は昔から大層イーストウッドを好んで観ていた。メリル・ストリープとかね。いやルパンの映画もTVの前に並んで一緒に観たけど。マモーのやつとか。)
弱ってるせいだ。今のオレは赤子の手をひねるようなもんだな。…マディソン郡もいいのかしらんいっちゃおうかしらん。
お涙頂戴力業韓国ドラマ典型的少女漫画その他は現実の鬱屈を忘れさせてくれる。こういう力業な物語、娯楽っていうのは搾取される側の一般小市民の日々の辛さを慰撫しその知性の都合の悪い方向への眼をふさぎ眠らせるための大いなる戦略であるのかもしれない。都合のいい道徳を上手に仕込んで。
江戸時代に被差別民を設定し或いは悲惨で残酷な美しい自己犠牲のドラマをプロパガンダにした古今東西の権力の共通したパターンを描く戦略構造。
「これと比べたら自分の不満なぞとるに足らない口にするのも恥ずかしいワガママだ」と思わせるための。
あらゆるテクストはプロパガンダに利用されてきた。
…逆も言えるのかもしれぬ。
例えば「アメニモマケズ」は時の権力に利用されることによってそれを利用し生き残ってきたテクストであるという解釈もあるという。
…やっぱ弱っている。「なめとこ山の熊」を眺める。「春と修羅」を眺める。「銀河鉄道」を眺める。ひとつひとつの言葉遣いにいちいち胸が刺される。描き出される風景のうつくしさに。
「おお小十郎、お前を殺すつもりはなかった。」
梅やらっきょう、しとしと滴る濃い緑、ぼんやり浮き上がるどくだみにくちなしに紫陽花。
梅雨が来るのだ。くらくあじきなく輝かしくまばゆい短い夢のような青春のような五月はもう終わりなのだ。
毎夜、今日の続きの明日が来ないことだけ祈りながら酒を飲んでただ眠ろう。
誰かこれを終わらせてくれないか。めんどくさすぎてうんざりだ。