酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

栗子さん プロローグその2(おまけ)

クリスマススペシャル、「栗子さん・プロローグ・その2」的なおまけ番外編。
彼女が秋に本格的なモンブラン探求に至る予兆としての、プレ・モンブランな夏の思い出、マロン・ケーキ編である。

せっかくクリスマスなのでちょっと浪漫な恋愛小説風にしてみました。

 *** *** ***

インディアン・サマー

街は夏の名残、いちめんの眩さ。その、強いけれど切ない秋の陰りを帯びた静かな光に満たされていた。日曜昼下がり。

そのとき、栗子さんは、こいびとに非常に冷たい仕打ちを受けた。大層傷ついていた。そしてすっかり機嫌を損ねていた。

何か気に障ったのだろうか。それともひたすらひとりの哀しみにふさがれているのだろうか。不機嫌丸出しの表情のこいびとを前にして、彼女は途方に暮れ、ぴよぴよと囀りながらその周囲を旋回してみたりしていたのである。おろおろと歩き回り、たくさんのなぐさめのことを考えた。そして、どんなに言葉を凝らしても、何も聞かない隙間のないそのヨロイに為すすすべもなく、ただそうやって在るしかない己と彼をかなしんだ。そして最後にあらんかぎりの思いをこめてそっと差し伸べてみた手は振り払われた。「触んじゃねえ。」

すべては狂ったように静かで強烈な陽射しの中の風景である。じりじりと照り付ける、日曜昼下がり。(ああ、ムルソーよ。違う、これは違うんだよ。)

普段あまり感情をそのような形で表出することは避けている。が、これは外界へと表出し、対象に向けて態度に現さねばならぬレヴェルである、と、このとき栗子さんの精神は判断した。私はひどく機嫌を損ねている、彼に対抗し、これをそのままのかたちで表出してもよい、と。

そして、彼女の論理と精神は共に身体にその理性のくびきを外してもよいGOサインを伝え、身体はその信号のままに行動した。

徹底的に不貞腐れたのである。

普段ひたすらソフトで穏やかな栗子さんである。
普段ひたすら自分の機嫌で手一杯なタイプのこいびとも、いささか驚いたのであろう。そこでぷいっと栗子さんを置いて永遠に行ってしまうということもやりかねない人であると栗子さんは知っていた。既にもうその覚悟はできていた。あらかじめ心をかなしみでいっぱいに満たしてショックを和らげるクッション体制を整えた上でのGOサインである。感情を表出するとはそういうことだ。

だが。

非常に驚いたことに、彼は態度を軟化させた。非常に驚いたことに。
更に、非常に不器用な形をもって話しかけてきた。そのかたちとは、反射的に栗子さんをなだめようとしていたもの、なのではないかと思われた。ひょっとして。(それはとてもそのようには見えないものであったのだが。)そしてその反射はやがて、黙り込んだ彼女をひっぱって、無理やり可愛らしい喫茶店に押し込むという行為へと発展変容したのである。

ちりん、と木のドアのベルが鳴る。

「スイーツはわからん。選べ。」

目の前には、さまざまの意匠をこらしてきらきら輝く宝石棚のような洋菓子のショーケースである。いつどんなときで眺めれば心慰められてしまう魔法の飾り窓。

生憎そのときそこにモンブランはなかった。代わりにあったのは、マロン・ケーキ。

これはいろいろときちんと確かめねばならぬところである。
栗子さんは、ウインドウの向こう側のにこにこした女の子に、それが「ラムの効いたマロンクリームを柔らかなココアスポンジで幾層にも重ねたオリジナルの季節限定マロンクリームケーキ」であることを確認し、また、こいびとにはこれは彼が彼女の機嫌を取っている行為であるのかどうかを確認した。

 

「もしかして私の機嫌をとってますか。」
一瞬の間がある。
「ウン。」
目は背けたままである。

栗子さんは、ただ衝動的に、純粋に女子の機嫌をとろうとする瞬間の男子一般の風景が意外と好きである。年齢の多寡、洋の東西を問わず、それはその世界の風景を一瞬にして優しい色で染め変える。その世界に対し、普遍的な愛しさのようなものを感ずるのである。いわんやその対象が己であり、且つその男子一般が一般ではなく自分が執着していた特定の個体であったりした場合、それはもう意識が空の彼方へと飛翔していくくらいのレヴェルで、対象との関係性における愛情へと変換することを必然とする究極の陶酔であった。

黙ったままの二人のところに、珈琲とケーキの皿が運ばれてくる。

昼下がりの小さな喫茶店、こいびとの頼んだ珈琲とケーキの甘い香り、風も光も窓の外。三時の子守歌のように明るく閑雅な街の風景であった。これはずるい。彼女はじいんと快いその優しい日曜日の風景の中にいた。

徐々に、これは何らかのかたちで対象に伝えねばならぬ、という衝動が彼女の内部でかたちづくられてゆく。その考えはそのうちに小さなこころのなかには収まることができずにあふれだし、何だかたまらなく笑いたくなってくる。そこで彼女は彼の肩をつつきこちらに注意を振り向けるのである。もしもし。

店内は微妙にざわめいていたしそれは群衆の前で演説すべき事柄ではないと思われた。それはあくまでも個的なメッセージであったのだ。

ということで、無心にマロンケーキを頬張っていた彼の耳に口を寄せ、彼女はそのとき決して偽りではないと思われた己の心象風景のその率直な観測結果の様相を、個的メッセージとして端的に述べたのである。

「あなたが好きです。」

実は、これは長いこと生きてきた栗子さんが生まれてはじめて口にする言葉であった。長いこと生きてから初めて口にできるようになった言葉であったということである。

一瞬の間があった。
永遠に感じられるようなその一瞬、ただひたすら愉快であった。くすくすと笑い出したくなるほど可笑しく嬉しい。胸いっぱいの、絶対の。一方的にあふれだす生命のエナジイとしての幸福。一生この瞬間を憶えているんだろうな、自分は。栗子さんはその永遠の光に包まれながらうっとりと確信していた。

その時、ごうっと電車の音がしたのではないかと思う。中央線が、遥かな時間の彼方を、永遠に続くこの夏の、あの入道雲の下を通り過ぎて行く音が聞こえたような気がする。今この風景をまるごとカプセルに閉じ込め、次元の彼方へと運んでゆく鉄道の音。

 

鳩が豆鉄砲、というのはこういう顔のことをいうのであろう。ヤーイ、豆鉄砲食らいやがった、と栗子さんは思ったのだから。

あまいケーキを口いっぱいほおばったまま固まった、妙なる調べを奏でる阿呆づらであった。彼の脳内ではラムの効いたマロンクリームの味と混ざってしまって、おそらくその言葉の意味がよく理解できなかったのであろう。実に言語というのは難しいものだ。

ながいながいその一瞬の後。
ごくんとケーキを飲み込んで。

呵々大笑。

あははははは、と、初めて見るようなあけっぴろげな笑い方だった。
素晴らしく理想的な反応だった。さまざまの、複雑なわからない感情の混乱を吹き飛ばそうとする生理的に反射的な反応だった。普段の、こってりと左脳で吟味しつくした外連味たっぷりのひきつり笑いとも皮肉な冷笑とも、日常の中のアクセントのリズムをもった笑いとも、優しさの表現としてのほほえみとも全く違う、ただびっくりした、という表現の発揚としての笑い。そしてそれは、嬉しい、という感情の輝きがそのすべてをほのかに覆ったものだった。すべてはこのとき正しかったのだ。自身も快くびっくりしたあと、安心して、栗子さんも笑い出した。

 *** *** ***

…さて、この小さな可愛い町の小さな可愛いお店の「ラムの効いたマロンクリームケーキ」は正式に言えばモンブランではなかったのだけど、これはあくまでもプロローグ、前哨戦である。

栗子さんの正式なモンブラン紀行はこれをその後の予兆とすることによって始まったのである。

 

(気まぐれに続く。)