酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

パンケーキ

タピオカの少し前に流行ったブツであるという印象がある。
 
(因みに私は今まで生きてきた中でただの一度もタピオカ及びクスクスの類を経口摂取したことはない。そして冷麺はたった一度盛岡の専門店で摂取したことがあるだけだ。これが冷麺というものかと感動した。つるつると食った。実につるつるであった。つるつる。《ほんの少しの絶妙のぐにぐに》この透き通ったつるつるっぷりに感銘を受けたのだな自分。つるつる。《そしてぐにぐに》確かキムチ的なるものがたらふく入っていてうまかった。…冷麺とタピオカとクスクスの関係性については語りつくせないのでとりあえずここでは語らない。ただ一言言いおくが、基本的に精製度の高いものを私は好まない。白いもの透明なもの、精製しやわらかく甘く味付けしたもの。日常食として不適である。あれはハレの日の祝祭のための食べ物なのだ。大吟醸だの白米だの。好きだけど。日常食なんかにしたら目がつぶれる類の食べ物なのだ。好きだけど。ハイジの白パンなんかもダメである。あれがクララをダメにしたのだ…ちなみに寒天及びゼリー類は別枠。あれはいいのだ。大変よろしいものである。そして言わせてもらえばゼリーの方がよりよろしい。ふるふるのやつ。もちろん甘すぎはダメね、なにごとも。)
 
そう、パンケーキ。
幸せのパンケーキとかそういうの。昭和のホットケーキが平成にパンケーキになって戻ってきたアレである。世界のセレブがどうのとかいう触れ込みで表参道だの青山だのああいうとこに鳴り物入りで戦略的に上陸してきたヤツら。ビルズだのエッグズシングズだの、ああいうの。お洒落でかっこよくてなにしろ何もかもファッションで、田舎の意識高い系少女たちが女性雑誌とか眺めて夢見ちゃうようなそういうやつ。東京をその頂点のシンボルとした、多様を圧殺・圧倒する一元的価値観、一極焦点都会至上志向を一気に高めていく一連の都市学に関連してくるような。そしていわゆるインスタ映え。世界の価値は喜びとは、モノその実質ではなくファッションと物語、幻想のために存在するうつろいやすく支配されやすいもの、というある意味本質をついた問題提起ともなる命題。
 
で、パンケーキ。何故自分こんなにパンケーキのことなんか考えてるのかと思ったら    アレだよ、モンブラン。そう、季節がモンブランになったからである。令和おじさんが3000円パンケーキ嗜好で庶民感覚がないとか非難されたとか言うしようもないニュースとは全く関係がない。(…嘘である。正確にいえば、あれが季節のモンブランパンケーキになっと知った時点でものすごい惹かれている。ものすごくうまいらしい、幸せになれるらしい。ふわふわたまごでマロンクリームでメープルシロップな天国の食べ物らしい。)(一度死んだ気で行ってやろうかしらん。珈琲とパンケーキで5000円…夢のホテルおやつタイム…)
 
それにしても嗚呼モンブラン。愚かなわたくしよ。
それへの執着からまだ逃れられないでいる愚かなわたくしよ。要するに最初にインプットされたもの、魂にプリントされたものからは知性がどんなにそれを否定しようと一生逃れられないタイプらしいのだ自分。モノにもコトにもヒトにも。運命ですな、節理ですな。(いわゆる三つ子の魂。)基本的に何のポリシーもないが実はフレキシビリティを持たない人間なんである。
 
で、パンケーキ。
これもね、好きなんである。(あんまり嫌いなものってないんだけど。)子供の頃には森永のホットケーキ粉の箱の写真、三段重ねの分厚いふっくり百点満点なやつを夢見てチャレンジし続け、その実本当は絶妙に生焼けな焼け方、全然万人の賛同など得ようなどとも思わないマイルール焼き加減ホットケーキのほうが好みであった。誕生日にはホットケーキ焼き焼きわいわいパーティを開いた。富安陽子さんの作品に出てくる晴れた日曜の朝の焼きたてパンケーキの時空(メープルとバターのとろけるベーコンこんがりじゅわじゅわ熱々パンケーキ)に夢をはせた。その思い入れが化学変化をおこして(春樹の言う、関係性における「ケミストリイ」に似たものがある。…違うか。)パンケーキへの思いへとソフィスティケートされたのであろう。
 
「幸せのパンケーキ」こういうコピーにも大変に弱い。基本的に踊る阿呆なんである。
 
イヤつまり、今年の各種モンブランを検索してしまったために現れてしまったモンブランパンケーキの詳細画像。これのせいで頭がパンケーキになったというわけなのだ。イメージイラスト・アンパンマンならぬパンケーキ星人。
 
思い起こせば先月実家近所の高倉町珈琲店で(ふわんふわんのリコッタパンケーキが名物である。)カミングスーンのモンブランパンケーキ予告の画像(季節のパンケーキはその時点では芋であった。)が脳裏にこびりついていた。そして取りあえず検索のきっかけは先日阿佐ヶ谷パールセンターにある星乃珈琲店のウインドウの中に飾られていた写真。モンブランパンケーキとモンブランスフレに目が釘づけになり思わず立ち止まって数分の間じいっとじいっと見つめてしまった怪しい人物は私です。…そのとき脳内で前頭葉が激しく活動するのを私は感じた。…すぐに調べる。口コミ。ここのパンケーキもその独自性が買われている。ふわふわのスフレ状態でふわふわの幸せになれるという。(ちなみに幸せになれないパンケーキというのを私は知らない。)だがふわんふわんの質が高倉町のものとは違うようだ。セレクトはシングルとダブル。…考える。画像を見る限りモンブラン部分は量的には少なめである。ダブルで行くとパンケーキ部分が多すぎることになるだろう。大盛りのどんぶり飯に数切れの貧弱なとんかつ、ということで最後にはソースだけでご飯食べる的にメープルだけで食べる状態になるのは目に見えているという予想がはじきだされた。
 
うむシングルだ。それにしても多すぎる。誰かとシェアしなければ私には無理である。モンブランクリームは和栗ではない。マイナス1。しかし中にマロンアイスが仕込まれている。プラス1。
 
そして検索の途上、モンブランパンケーキ繋がりで阻止しがたく浮上してきてしまったのが中野のJSパンケーキのブツだった。(吉祥寺は混んでいると見た。ポイントの高さは公園前のシチュエーション、そののどやかな店構えにある。)
 
趣旨替え。断然こっちである。段違い(平行棒)。
和栗。こんもりふんわりたっぷりの栗クリーム。無花果バター、ナッツにマロンアイス。

f:id:momong:20190823203538j:plainひとつ、しかしパンケーキ本体部分に関しては危惧が残った。

星乃や高倉町、幸せのパンケーキやぐりとぐらカステラパンケーキ、ホテルオークラ三千円のパンケーキに比して個性、その特徴や評判が今ひとつはっきりせず、決して悪くはないが感動を呼ぶほどではない、ヴィジュアルのインパクト、お洒落さばかりが勝ってしまっている、という印象なんである。
 
まあね、案ずるよりも生むがやすし、結婚する前は両目でギロギロ不幸へをまねく恐れや落ち度を確かめ、取り換えしがつかなくなったらその時点で片目にふんわりひいき目で、という視力の知性が幸福のセオリーである。選んでしまったものが運命であり既にコーランにも記してある己にとって最上のものなのだ、何事も。信じる者は救われる。銀河鉄道は常にその人にとっての一番のさひはひへと辿る道のりである。後悔という文字は我が辞書にはない。
 
…やっぱパンケーキより王道モンブランかなあ。
(長野の小布施堂の朱雀を一度は体験してみたいものだ。)
 
今年も一つ馬齢を重ねた己の寂しさに捧ぐ独り言である。