酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

マモー。いろいろ思いつき脳内メモ。

子供の頃から刷り込まれてきた、何しろ大好きだったルパン三世

劇場版第一作「ルパンVS複製人間」、ラストの巨大なマモーの脳のイメージは殆どトラウマになるほどの衝撃であった。

こないだ再放送してたから録画しといて観ちゃったんだけど、やっぱり感服した。

古き良き昭和の究極があのアニメーションにはあったと思う。

1978年の作品なんだけど、翌年の第二作、宮崎駿の「カリオストロの城」できれいに毒抜きされて封印され塗り替えられてしまった、昭和の哀愁と毒の真髄がこの作品には残っている。これはかけがえのないものとオレは思う。

全然ダメなエログロナンセンスアクション娯楽なのかもしれない。低俗なハードボイルド美学。それは、だけどここではそのあじきなさの残虐の中にどうしても生き残るひとすじの輝きとしての愛や信頼のようなものがある、その美学には徹底した透徹がある。徹底した軽さ。テーマは壮大で重いのに、その歪んだ欲望による重さのいやらしさを打ち砕こうとする壊滅的に徹底した軽さがある。

それはおそらく、欺瞞がない、という快さなのだ。男性原理の女性蔑視、セックスシンボル不二子ちゃんであっても。少なくとも彼女は馬鹿にされてはいないのだ。そして何しろ次元がシビれるほどかっこいい。

やっぱり刷り込まれている、ああやっぱりカッコイイ。そのあぢきない終末感、哀愁を孕んだ、その先の、ひたすら人生を燃焼させてしまう、そのホモ・ルーデンスな感覚。米ソ冷戦時代の、あの時代の空気。それを笑いのめすシニカルで雄大なパロディ感覚。未だ嘗てない、地球規模で世界が終わるという大きな危機感をいつでも感じながら科学万能主義はひたすら突き進んだ。輝かしい未来と破滅の両極の矛盾を生きていた日常。

かっこいいってどういうことだろ。
その潔さってなんだろ、って考える。寂しみを乗り越えるもの。より一層哀しいけど同時に笑ってしまうところへ昇華する、その止揚の構造を美学というんではないか。

手にしたものはすべて失う、いや、失うべし、とそれを宿命とうけとめ、それを遊びながら求め続け盗み続ける美学。(TVのエンディングテーマで、夕陽をバックに不二子ちゃんがバイクで走り続けるシルエット流しながら、「この手の中に~抱かれた~ものわああ~すべてえ~消えゆく~さだめ~なのさ~ルパン~三世~♪」って歌好きだったのだ。夕方の再放送枠で、多分おんなじ時間帯で「はじめ人間ギャートルズ」のエンディング「なんにもないなんにもないまったくなんにもない…なんにもない大地にただ風が吹いてた~♪」が好きだったのとおんなじ感覚でね。夕方の再放送枠の哀愁の素晴らしさったらなかったな。)


(全然逆の方法って言えばそうなんだけど、春と修羅小岩井農場

「すべてさびしさと悲傷とを焚いて/ひとは透明な軋道をすすむ」

っていう言葉がある、この寂しさを焚いて進む(いやもちろんだから軌道の方向は大違いなんだけどね。)っていう構造が同じであるように思えるのだ。

既に大切なものはどこかに失っている。そのひたすらのあきらめの上に成り立つ人生、というような、何か重たいリアルのため、ではなく、ただひたすら己を燃やし尽くすようにして己を賭して遊びを生きるスタイルとしての重さのないゲーム人生の感覚。「グスコーブドリの伝記」の冒頭で、飢饉で食い詰め絶望してすべてを投げ出して去って行ったブドリのお父さんの家を出てゆくときの最後の科白、すごくひっかかっているのだ。「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」ここでおそらく死ににゆく彼の口から、どうしてこの遊びという言葉がでてくるのか。ものすごくさまざまに解釈される、深い言葉だと思う。「遊び」研究テーマ思いつきメモね。

そう、この、人生賭けるゲーム感覚、ルーデンスな感じ、今とてもひっかかってるのだ。)

 

とにかくね、なんかね、これを今観るとさ、どうしてか救われちゃったりするんだな。
どうしてかな、わかりそうでわからない。

ただね、誇りに思うよ、この時代に生きたこと。生きていること、この世代であること。自分と、自分が生きた世界が確かに存在したのだというリアリティ。

これは、世代の刻印。…ああ、例えばこういうことなんだな。誇りや矜持の根差すものの、感覚は。刻印、ということ。確かに存在したのだ、というただその感覚のリアリティだけ。世界と自分があのようであったことの証明と標本。

証明と標本、というのは、銀河鉄道の夜春と修羅にも繰り返し出てくる賢治文学において需要な意味をもつモチーフ、まあいわゆる賢治用語なんだけど。これを見田宗介がものすごく興味深い分析をしていて、いつも思い出すんだ。

この文章はメモだ。この感覚も、いつかもう少しちゃんと書いてみたいと思っている。証明と標本っていう意味の紹介も一緒にさ。