真綿で首を絞められるような一日の始まり、一週間の始まり。空転する思考。陰惨な赤い空。
誰か隣にいたらいいのに、泣いてすがる。怖い夢を見ただのさまざまの悪い考えのことなどをいうかもしれない。だがそれらがなんであってもどうでもいい。問答無用でただ抱きしめてくれればそれでいい。そのときの衝動のまま。
大切なのはこの「問答無用」だ。
身体が機能し生きようとしているような、そこにある必然の大前提のことを考える。
「人間とは無意味な存在であり、すべてが無償である」というその大前提の命題。(これは到達点ではなくあくまでも基本としての前提である。)
そして世界の無関心が冷たいものではなく優しいものであることに対し心を開いたムルソーのことを考えている。
世界は無関心で人間は無意味だ。
だがそこから始まる。なにもかもは等しく無意味に(無償で)「存在する」権利がある。
だからただそのとき大切なのはただ「問答無用」ということなんだ。みっともなく泣いてすがるからどんな形でもただ少しの間抱きしめてくれればいい。
そしたら優しさも強さも生きる希望も見いだせるはずだと思うんだけど。何の裁きもなく代償もないところから、己の中からおのずと構築されはじめるものとして。
苦しいのは寂しいのか虚無が死が怖いのか虚無そのものなのか。
全部同じものひとつのもの。
カミュの異邦人の印象が頭の中にこびりついている、ムルソーと司祭のことを考えている。
もう私にはそんなに時間がないということを考えている。
なんでもいい、信じたい。溺れているから藁でも掴む。どんなにみっともなくても何でも信じる。この朝を救ってくれるものを信じる。そうだ、なにか宗教を信じたい。
たたく扉が見つからない。