酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

2016-01-01から1年間の記事一覧

中山式快癒器

中山式快癒器である。 東京駅周辺のご立派な高層ビルディングにご立派な広告がドーンと掲げられているのには驚いたが、このロングセラー商品、ばかにできないスグレモノである。 肩腰痛む人は試すべきであると私は考える。なにしろ「快癒」である。電気をつ…

チョコレートを買いに

珈琲だのココアだのが好きである。 ココアはキロ買いする。 今はヴァンホーテンの5kg袋を買って日々せっせと摂取している。 ほんとはフェルクリン(スイス)やチョコヴィック(スペイン)のカカオパウダーの方が好きなんだけど、いささか高価なので、とり…

京都と東京と

京都に行った。 季節は春。ソメイヨシノも枝垂桜もそろそろ終わり。はらはらと雪のように舞い落ちる桜色と萌え出した新緑に淡く彩られたうつくしいパステル風情の時候であった。 もともと京都には縁がない。遥か昔、中学の修学旅行で名所をおざなりに流した…

「ソラシド」吉田篤弘

時代と、街と、音楽、そして言葉。 独特の透明な空気感。 この人の作品世界には、言葉遊びのようなスタイリッシュな文体によって醸し出されるあざとさと、どこか高踏派的な空気感が漂っている。そして、行間ににじむほのかな哀愁、小粋なエスプリの快さ、ノ…

故阿佐ヶ谷住宅

高校時代憧れだった、思い出のつまったあの阿佐ヶ谷住宅が壊されたことは知っていた。だから今実際どうなっているのか見るのは少し怖かった。 うわあ…。 やっぱり、分譲マンション。そうだろうなとは思ってたけど。 目の前にした途端、胸の奥に不意に広がる…

「ぬすびと」及び「ドタマ」

昨日私の頭の中では賢治の詩の一節がくりかえしくりかえし再生されていた。半ば音韻化され、半ば文字面の記憶として、半ば想起されたイメージとして。 こういうことはよくあることだ。気が付くと歌が繰り返し再生されていたり風景がこびりついていたり。その…

美辞麗句

美辞麗句って書いてて思い出した。 びじれいく。 この言葉は何度も口の中でつぶやいて発音を練習したんである。 何故か。 …耳から入ってくるよりまず書物で字面から覚えた言葉っていうのは結構多いものだ。特に書き言葉、四字熟語とか漢語とかではそっちの方…

恩師ご退任

ゼミでお世話になった先生が定年を迎えられた。この3月で退任される。…ということで歴代のゼミ生たちによって催されたのが3月吉日土曜正午「M先生のご退任を祝う会」。 ピカピカ立派な渋谷のホテルの地下ホールにて賑々しく行われた。 渋谷は苦手である。…

フードコート

フードコートって苦手である。好きになれないのだ。言ってしまうと嫌いなのだ。 郊外によくあるショッピングセンターなんかに必ずあるアレ。高速道路のパーキングエリアみたいにいろんな食べものやのチェーン店のブースがあって、そこでセルフサービスでトレ…

たんぽぽ色のリボン

岡崎京子やっぱりすごいな。あのまっつぐさにヤラれている。あんなに嫌いだったけどやっぱり泣けてくる。 …もちろんオレのバイブルは安房直子だ。魂が死にかけてるとき最後の手段のカンフル剤のようにオレの存在の根幹のところを、一番大切な場所を蘇らせて…

日曜散歩・早春

中央線N駅南口から線路に沿って東の道を行くと、ひどく古い薄汚れたアパート群が並んでいる。昭和の時代にタイムスリップしたかのような印象の団地群がうっそりとうずくまっている。 昔、私が通っていた都立高校の広い校庭の片隅、テニスコートの南側にどこ…

アルメニアン・ダンス

姉の友人がファゴット吹くというので誘われてアマチュア吹奏楽団演奏会に行ってきた。(ファゴットはかっこいい。賢治の詩にも愛妹追悼関連の一連の挽歌群の中に出てくる。電車の中で聞こえてくる、葬送行進曲のテーマだ。青森挽歌。従って私の中でファゴッ…

涙と笑い

さて。 毎度おなじみべろべろアル中の夜、ものすごく久しぶりに中島みゆき(古いやつね)を聴いてすっかり昭和な心持に浸っている。思えば中学生のとき生まれて初めて自分のお小遣いで買ったレコードは中島みゆきの「生きていてもいいですか」であった。「別…

キリン3

干し柿が送られてきた。 年末、田舎からの荷物。野菜だの餅だののこまごましたものの中に一袋。 母さんが、庭の柿で毎年拵えるんだ。あれはすごくいい柿の木だし母さんは熟練干し柿職人だ。今年はいいのができて地元の農産物コンクールで優勝したなんていっ…

インスタント・シャングリラ

何をやっても世界全体アホらしくてダメという日はまああるもんだ。 街には梅の香が流れ桃の花がほのぼのと咲き、春めいた陽ざしに包まれた日曜を過ごす街の人々の風景は心楽しい。 友人にゴリ推しされて観始めた「アドベンチャータイム」にはすっぽりハマっ…

医者も薬も嫌いだ。が。

医者が嫌いである。 薬もよほど激烈な症状がない限り、また痛み止め的なもの以外は極力飲まない。風邪薬なんて実際たやすく飲むもんじゃない。飲むとしたら葛根湯だ。 大学時代、アイルランドで風邪をひいて現地の市販薬を飲んだことがある。 …ラリッた。こ…

ふつかよい

本当に弱くなった。大した量を飲んだわけでもなかろうに土曜朝から一日中ふつかよいの雲の中。 足元フラフラめまいクラクラ、全身半分麻痺していて身動きするのもおっくうで何か考えるのもおっくうで、希望も欲望も絶望もなく世の中すべてリアリティ失って薄…

蕎麦

深夜、漱石の「猫である」を読んでいると絶対に猛烈に蕎麦が食べたくなってくる。 迷亭君がツウぶってツユをほとんどつけず噛みもせず、ひどく苦しそうに涙をにじませながら大量の蕎麦をひといきに飲み込む、極めて食欲をそそらないあのシーンである。だがあ…

漫画とか

映画や演劇には詳しくない。 圧倒的に音楽と書物、五感のうち単品しか使用しないで鑑賞するものを愛好するタイプの人間である。 製作者サイド、既成の物語要素一方的に押し付けられるとだめなんである。情報が大きすぎるとだめ。時間的拘束にイライラしてし…

漫画とかについて書きたいと思った前書き

中高生だった頃オレは何しろ少女だったので少女漫画と少女小説を愛した。(幼女だったころはウルトラマンの上履き入れとガッチャマンの水着入れを愛用し、段ボール箱いっぱいの怪獣フィギュアを宝物としていたが。) 少年漫画一般は大層軽蔑していた。エログ…

恐怖の大王

久しぶりに澄んだ夜空にオライオン。 …ハルメンズとか聴きながら缶麦酒缶から直接ぐいぐい飲んでて思ったんだけどさ。 あのころ、80年代。爛熟と退廃の文化。 今の厨二病的な一種ヒステリックなコドモ文化と比較すると、アレはオトナのディレッタンティズ…

日曜の図書館

晴れた日曜の昼下がり、陽だまりの図書館は至福空間だ。 日曜の図書館ビトたちが静かにそれぞれの営みを営んでいるあの安らかな異次元特殊空間にすっぽり包まれる。朝方の悪夢をひきずって世にも不幸な気持ちだったのにいきなり輝くような多幸感に包まれてし…

週末

今度の日曜日、母さんの誕生日を祝うから来いとメールがあったが行かなかった。 *** *** *** この夢見は風邪をひいて体調が悪かったせいだろう。 ナウシカに出てくる腐海のムシみたいなありとあらゆる奇形の巨大なハエがじゃんじゃん出てきてひたすら追いか…

散文と詩歌

エンデ「はてしない物語」再読、後半部にかかっている。 …で、同じくエンデの「モモ」でも同様の設定があったんだが、非常に気にかかっているエピソードがある。モモは口がきけないのに歌は歌える。すべてを知る声としての存在、ファンタージェンのウユララ…

あんぱん考

最近ツイッターで「夜廻り猫」なる漫画が出回っていて、なんとなく楽しみにしている。 リアルタイムなんで季節にあったテーマで、先日は、冷え込む夜のおやつがでてきた。火鉢であんぱんを炙ってバターをひとかけ挟んで、牛乳珈琲といっしょにこたつではふは…

デッサン・裸婦

去年だけど。 美人の女優さんの出てくるドラマを見ていてあんまりきれいなので見ながらいたずら書きしたくなって、手元の紙切れに鉛筆でいたずら書きしてみた。 アラ、なんだか楽しい。(似てないけど。) そういえば、編み物学校に通ってた頃、デザイン画の…

悪夢ということ。ナルニアとファンタージェン

悪夢、あの暗闇に囲繞された世界観について考える。 やるせない絶望と閉塞と虚無の闇に浮かび、辛うじて息をする先の無い苦い暗い日常生活、世界の解釈。そんなものはもともとなかったのだ、と、幸せの存在自体が蝕まれてゆく、その記憶さえ読み換えられ否定…

日記

眠れない。 なんとなく何かを探して古い戸棚をさぐる。 …無印良品のノート数冊。日記である。高3のときから大学時代、不定期につけてたんだった。 顔から火が出そうなとんでもないシロモノであった。 あかん。ショックで目が覚めた。 暗黒歴史とはこのこと…

筆談

これは、遥か昔、高校生だった頃の時空だ。 そう思った。あのときの吉祥寺と今目の前の吉祥寺の風景が次元の位相を違えながら、重なり存在していた。その危うい狭間を漂うようにして、街をゆく。 今はもうつぶれてしまった、懐かしいクラシック音楽専門喫茶…

最古の記憶

記憶なんてのは8割が捏造である。 歴史学やなんかと同じだ。古いものほど確証性が薄い。想像と仮説がその物語のほとんどすべてである。 今私の中での人生最古の記憶は図書館の風景である。 たとえばこんな感じ。 …これは地元図書館子供コーナーの奥。 こど…