酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

あんぱん考

最近ツイッターで「夜廻り猫」なる漫画が出回っていて、なんとなく楽しみにしている。

リアルタイムなんで季節にあったテーマで、先日は、冷え込む夜のおやつがでてきた。火鉢であんぱんを炙ってバターをひとかけ挟んで、牛乳珈琲といっしょにこたつではふはふいいながら食べるというゴージャスなものである。半纏にざぶとん、みかん、傍らには猫。

素晴らしい。

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あんぱんはジャパニーズカルチャーの金字塔である。

その歴史は明治大正の激動期に発し、その精神やまさに現代の日本人の精神土壌の基盤をなすもの、そのルーツを示しだす。

明治開国、文明開化。西洋文明の急激な流入。政治経済文化、すべての面において我が国はまさに激動の時代にあった。

西洋の文化をおおらかに受け入れながらも我が国の風土にあったものへと改変、換骨奪胎。オリジナルとは似て非なる日本文化としてそれを消化しついにはそれを凌駕してしまう、「食ってしまう。」悪食スタイルのこの節操のなさ、フレキシブルにしてしたたかなやりかたでオリジナリティを守るこの固有のスタイル、素晴らしき哉我らが文化。

異文化を取り入れる進取の気性、パイオニアスピリッツ、野心、研究心、インスピレーションと試行錯誤、職人精神、技術への畏敬の念、勤勉さ。これらすべての気風を熱く孕んだ黎明期の文化の貪欲さによる、異文化の融合。

それは未知なる広い世界、洋々と開けた未来への希望に溢れた清濁併せ持つエネルギーのるつぼ、「始まりの精神」そのものである。

銀座木村屋は、明治天皇に桜の花の塩漬けと酒種の風のあんぱんを献上し、アンパンマンはこどもたちに正義のおやつを与え、ヒッピーの時代にはシンナー吸引の隠語とされた。

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…ということで、今日の百花繚乱あんぱんの世界の礎は築かれた。くりあんぱんにクリームあんぱん、うぐいすあんぱん、抹茶あんぱんチーズあんぱん、チョコあんぱん、どんなヴァリエーションもその深い懐で許容する。

おいしい。

パン屋もパンメーカーも必死で時代の流行を追う。職人技と時代感覚、そのアンテナとセンスを必死で磨き、踊り、踊らせ、踊らされて日本経済はそんな風に「表徴の帝国、記号の国」(ロラン・バルト)として、ありとあらゆる目先の風味の違いを記号化、差異化してファッションとして追い求め発展し、そしてだがひたすら表層的な差異の戯れを追い続ける目まぐるしさはその限界地点に達している。表徴の王国が、既に疲弊の表情しかもてなくなってしまったほどに。

発展と未来、希望の熱いエネルギーに満ちた、あの懐かしい始まりの時代は既に遠い。

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大昔、大学に入ってすぐのことだ。父の転勤によって両親がアイルランドに行ってしまった。心身共に脆弱な私を心配し、留学で一緒に連れていくことも考えたらしいが、何しろやっと大学入試を無事終えたばかりである。ここは置いてくか、ということで生まれて初めての親ナシ生活。阿佐ヶ谷の古い家に姉と二人暮らし。

姉と生活のこまごまを相談し、土曜の朝には二人で大掃除、ということになった。起きてすぐにふたりしてごうごうと家じゅうを掃除する。で、スッキリ充実のその後に、ゆうゆうと駅前モスバーガーやなんかにブランチに繰り出すのだ。なかなか楽しいひとときであった。

で、帰りにはその日のお茶タイムのためのうさぎやどらやきとか、季節には苺餅、柏餅なんかを買って帰る。

 

…そんな姉との日々の中のあんぱんのことである。

駅から帰る途中、今はなきぱん屋(好味屋)がちょうどいいとこにあったので、時折ここのぱんを買っていた。ここのヒット作がよもぎあんぱんだったんである。

小ぶりでころんとしたかたちも可愛く色もきれいでよもぎのかおりもとってもよくて、姉と私の好物であった。ちいさなあんぱんをふたつ抱えてふたり暮らしのおうちに帰る、という感じはとてもよい。

これをレンジでちょっとあたためてふんわりあつあつんとこを冷たい牛乳と一緒に、というのがあんぱん評論家を自称する姉のあんぱん美学であり、妹の私もこれを踏襲した。

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…なんとなくね、あんぱんあっためて食べるっていうこと考えただけで、この頃の風景、空気の色、いろんな出来事思い出しちゃうんだよね。

好味屋のよもぎあんぱんもうさぎやどらやきも、もう何年も何年も食べてない。もう一生食べないんだろうな、と思う。

こんなふうな個的な思い出の数限りなく集合した集合的な記憶、その集大成が社会全体を動かすような大きななにがしかのパラダイムをかたちづくる要因になっていて、そしてまたそれが一つの現実のあんぱんとして集約し象徴として現前している、と、観念のレヴェルではそういう風にも考えることができる。あんぱんによる個と社会の関係、その世界構造モデル。これってちょっと吉野源三郎「君たちはどう生きるか」の「粉ミルクの法則」みたいだな。(この本、我が母校の入学前の春休みの読書感想文の課題図書だったのだ。入学した4月中に提出、とかいう。全校生徒が読んだ(はずの)本ってことだな。)