酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

矜持と堕落

信念や矜持でばっかり生きてる人ってかっこいいし尊敬するけど、ときにくたびれてしまう。おバカで信念のない自分が蔑まれるのがやだなあと思って構えてしまうからかな、と思う。

確信をもって言うけど、オレに信念ってもんはない。

で、強いて言えばこの「信念がない。」「矜持がない。」ってのだけが我が信念であり矜持なワケで。(なんか逆説的だが。)これはこれで難しいのヨ、なかなか。

 

 春樹の「羊をめぐる冒険」の「鼠」のアレだな、あの徹底した弱さにこだわろうとする思想。「俺は、俺の弱さがすきなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。(中略)…わからないよ。」

 

でもさ、だからさ、矜持とか信念とかそういうかたくなでストイックな、一種自己陶酔な美学こそ諸悪の根源でもあると思うんだよね。

光を持とうとするから同時に闇を生んでしまうシンプルな構造で。

その信念の拠り所となる価値観や倫理は決して「唯一絶対の真理」ではない。故にその相対性は、己のみを正義とし他を否定する盲目と蒙昧により、それぞれの正義と正義の不毛なぶつかり合いを呼ぶ必然をもつ。ストイックな自己陶酔、思惟の流れの滞りとしてのかたくなな信念が、そのフレキシビリティを欠いた余裕のなさが、日常の小さないさかいから世界的な戦争まで、諸悪を、あらゆる悲劇をうみだしてきたのだ。

 

…あらゆる相克を生み出す「強さ」(或いは「権力」「有」)のアンチテーゼとしての鼠のいう「弱さ」とは?という問いの答えは、「僕」から「鼠」への「羊が鼠に求めたものとはなんだったのか?」という問いへの答えに重なってゆくものだ。「すべてだよ。何から何まですべてさ。俺の体。俺の記憶。俺の弱さ。俺の矛盾。」

…存在そのものだ、その在り方だ。
(ここで「羊」が何を示しているのかは解釈が難しい。が、とりあえずこの「鼠」の、己の弱さを見つめるありかたと鋭く対立する権力的なるもの、暴力的なるイメージに通じている。)

この「弱さ」とは、否定、拒否、といった反骨、というよりは、ひたすらただ光(力)によって生み出された闇(力に蹂躙されるもの)としてのアンチテーゼなのだ。弱さ。それはあらゆる否定を拒む。力を拒む。

鼠は、自分を「愛している」。すなわち「世界を」「存在を」まるごと、激しく愛し肯定しているのだ。)(それは「異邦人」のムルソーの、「己の内側に生ずる内発的自然」的なるものに対する異様な誠実さと奇妙に正反対な方向性を持ちながら重なってゆくものだ。)矜持と信念のアンチテーゼは外部権力の物語によらない自己肯定(或いは世界全体の肯定といういわばアプリオリな「前提」)に通ずるという命題がここに顕れてくる。細い、細いかすかな光としての可能性。

 

…まあね、だからといって矜持を持たない生き方は虚無に近いものでもあるんだけど。そうして拠り所を持たない恐怖と堕落の恐怖とも背中合わせなんだけど。

(堕落と節操がないのとは全然違う。)

(賢治のデクノボーは堕落じゃないしさ。)
安吾堕落論で言っているような堕落は、アンチ信念としての堕落である。それは人間存在の根幹を絶望で腐らせる闇としての堕落とは異なる。寧ろ、信念が目をそらす箇所の矛盾から目をそらさない態度、パンドラの箱の底の底にある生命の強靭さの源泉にその重点がおかれた種類の堕落である。これは私がここでいう「節操のなさ」にとても近いものだ。堕ちよ、堕ちつくしあらゆる矛盾をただそのものとしてなめつくした先にあるものに辿りつけ、と。)(「信念」や「美学」は人が若く美しく穢れないままに死ぬことを尊ぶ。恥辱にまみれ生きる老醜のその醜怪さよりもカミカゼ特攻隊の自爆を人生の価値とし、60の老婆の現実よりも永遠の20歳の美女を好む。信念に照らし合わせたときにその基準による「価値」のない存在を否定する。)

 

美学とそれに反してゆく、或いはそれによって損なわれる現実の生活、生命の姿という二つをどうやって止揚するか、という命題を、彼らは語っている。意味や物語無しで人は生きてはゆけない。

 

…結論はいつも同じだ。これらは常にその矜持を否定する力に砕かれながら新たに再構築してゆく思想のスタイルであり、それを為すものである知性の根幹、その源泉のようなものの存在をあらしめる思想の論理構造を指し示している。

ニーチェニヒリズム力への意志」を「権力への意志」として、それを否定からの飛翔としてとらえようとする姿勢であっても、それはいいのだ。

 

ああホントとにかくね、いろいろ全部めんどくせえ。

(とにかくもう聞く耳持たないクレバーで立派で愚かな人間たち、めんどくせえ。)
(そしてどうして酔っぱらった翌日は二日酔いになってしまうのだ。)