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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

朝の憂鬱。カミュ「異邦人」。

恐れていた朝は恐れていた通りやってくる。

 

空いっぱい奇妙な砂色の光で満たされる瞬間を見た。これが朝か。

 

不吉な光の中で、カミュ「異邦人」について考える。

昨夜読み終えた。実は今まで通して読んだことはなかった。(知識としてショッキングな出だしや有名な一節を知ってたくらい。)

…有名だけど読んだことないっていう古典は多い。(そればっかりだ。)特に海外のものは「ガイジンはわからない。」というハラがあって敬遠してたんだが、ふと読みだすとのっけからぐいっとひきこまれるような面白さだったので正直おどろいた。

「今日、ママンが死んだ。」Aujourd' hui, maman est morte.

 

…こんなに面白いとは。そして一気に読んだらちょっとヤラれた。

どうしておもしろいのか。こんなに心が哀しみながら安らぐのか。…ひどく難解ではあるんだがどこかで何かがわかるような気がしている。それを考える興奮とその静けさとのアマルガムがおもしろいという現象なのか。

難解さとシンプルな面白さがひとつの律動をもって言辞の美しさを構成している。そのまっすぐな言辞は不思議に心を鎮めてくれる。

 

ムルソーの非常に奇妙な形なのにナチュラルである不思議なつよさをもつまっすぐさ、誠実さ。「ごく普通の社会人」としてのその「普通」さ。

(文庫の背表紙に書かれた内容紹介には「通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソー」とあるがこれはまったく納得できない。彼は終始一貫している。『通常』の解釈なんだろうけど。)

そしてそこにあぶり出される異様な冷淡さ、無関心。「彼に欠けているナニカ」についてあれこれ思う。「己の内側に生ずる内発的自然」的なるものに対する異様な誠実さ、その他に対する傲岸なほどの冷淡さというその奇妙なつよさとセットになったもの。それは隠された恐怖のような感情である、ということについて考える。ラストの爆発的な怒りとそれによる浄化の感覚はその発見と昇華なのではないか、という命題について。


これはなんだろう。その強さは不条理を突き抜けるものということなのか…?

今すっきりとその構造、論理は見えていない、わからない。でもおもしろい。

 

とにかく私は己の心がムルソーの心理にあまりにもたやすく共鳴することにかすかな安らぎと、それと同時の戦慄を見出した。

そしてそれは司祭に対しても、なのだ。対照的な彼ら二人の言動に対し、同じ尊さを、羨望を、尊敬を、感じた。彼らは真理を求める、一つの真理のためにはおそらく死をも選ぶ積極性を持った人間である。(ここで真理とは解放、救済、幸福と同義のものとなる。)

すべてが擦り切れてゆくような痛ましさ、独房のなかでのやりきれない日々の描写の後、なお失われないムルソーの真摯な己への誠実さ。その極限状態において牙をむく司祭への反感、何もかもそぎ落とされたその研ぎ澄まされた純粋なつよさの凄み、双方の信念と矜持のぶつかりあいは、…圧巻だ。


白井浩司の解説のこの言葉が深く胸の中に刻み込まれる。
「人間とは無意味な存在であり、すべてが無償である、という命題は、到達点ではなく出発点であることを知らなければならない。」

たくさんのことを考えさせてくれる。

司祭は司祭のやり方で、検事や弁護士は検事や弁護士のやり方で、そしてムルソームルソーのやり方で。その勝利の賜物としていずれもただひとつのものを目指している。誰の中にもこの全員がいる。

(私は司祭かムルソーになりたい。そして誰にも何にも裁かれる必要はない。)

 

とにかく今朝、目がさめて私は生きている。

 

今日はこれから始まる。

この虚無と恐怖と寂しさにどう立ち向かうか。