酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

やなさんといっしょ~十五夜編 2016

久しぶりに愛しのカレ柳原陽一郎のライヴに行ってきた。

実は渋谷で毎月やってるんだけど、渋谷は遠いし迷うし何しろ嫌いな街なのでなかなか行けないのだ。今回は我がテリトリイ吉祥寺だったから思い切ってどっこいしょ。

…青山の方は幾度か行ったことあるんだけど、本家の吉祥寺曼陀羅は初めて。
ビル裏口から入ろうとしたことに気づかず、中に入れないじゃないかとパニックを起こした。ちゃんと正面入り口で待ってくれていた友人と必死で連絡を取り合い大汗かいてようやっとたどり着く。ヤレヤレ。

木曜だったせいか、思いがけず余裕で一番前のいい席。ゆったりと円いテーブルと可愛い木製の背もたれ椅子。

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地下の穴倉、秘密のアジト風、かっこいいバーカウンター。

非常に居心地がいい。開演を待つ間、のんびりと飲みながら、これまた久しぶりの友人としみじみ話す。

ほどよい大きさとほの暗さの閉鎖空間、ほどよい距離感のひとびと、その周囲のざわめき。

三々五々、それらしい人が集まってくる。おひとりさま、おふたりさま。皆それぞれにあるいは携帯画面を覗きあるいは文庫本を開き、飲み物をすすりぼそぼそと話をする。時折飲み物や食べ物を買ってくる静かなる行き来の、そのごそごそ具合。

秘密の穴倉は閉ざされているから外部から自由になれる空間だ。
そして、互いに干渉することは決してないが、ライブハウス独特の、その開演前の不思議な親密感を共有している。

その風景の一要素となる。

日々の中、ひとりひどく辛く思っていたことも、こんなところでは語ってゆくそばから重みを失い客観化されてゆく。目の前の風景の幻想的なリアリティ以外はただ単に頭の中の物語の織りなした出来事に思えてくる。(宗教勧誘とかオルグ、自白強要取り調べ室とか密室セミナー違法販売とかこういう心理を利用するんだな。)風景の一コマとなる自分を感ずることはこんなにも快いトリップだ。

そして気安い友人に聞いてもらえて笑ってもらえたりしているのだ。

すべてはココロ閉ざされたりつぶされたりする必要のない大したことじゃないことのように思えてくる、世界は多様であってよいのだ、ただその一コマであるだけでよいのだ、と、じんわりと解放されてゆくひとときの非日常。

こんなゆったりとこんな至近距離のいい席であの超絶いろっぽい愛しいカレの唄聴けるなんて、頑張って出て来てヨカッタ、なんとか日々を生きのびててヨカッタ…。

 ***  ***  *** 

で、まあ友人とね。まあね、近況報告。
まあとりあえず悩みを打ち明けたりするんであるよネ。

「最近酷いウツなんだよねえ。特に朝が激しい。虚無と絶望だ。」

深刻である。

彼女は即答する。

「血行が悪くなっているせいだよ。朝は血の流れが滞ってるもんだ。」

…そうだった、ここしばらく血行を良くする健康法に凝っているんだった、ヤツは。すべての不都合は血行の悪さに還元されてしまう。いやしかしここでこう外すか?もっとほかに精神的な理由があるとか思い至らんのか。

しかしなんなんだろう、この確信に満ちた口ぶりの説得力は。私はたやすく説得された。

「そうかあ、そうなんだ!」
「そういや、マッサージチェアとかお風呂入るとかで随分元気になるもんなア。」

彼女は満足げにギネスをすすって言い募る。

「そうなんだよ、夜に希望に溢れて眠りについても朝は絶望してるっていうのは私もよくあるよ。すべては血行だよ、血行。冷えと血行。」

…いやまあねえ、そこまで断言されてしまうと何だか愉快になってくる。真実とはそういうもので、ま、いっか。信じる者は救われる。

何しろ「そうかあ」と言って何故ここで二人して大笑いしているのか非常な謎である。

試しにもひとつ愚痴ってみる。

「体調がひどいせいもあるんだよねえ。」

「血行だよ。よくしないと。」
わかったよ。

「そしてね、もうひとつはね。」
と彼女は一呼吸おいて意味ありげな流し目をくれる。

「造血よ、ZO・U・KE・TSU!」
ここは確かにローマ字の発音であった。

夢に見そうな色っぽい流し目であった。

脳に刷り込まれた「ZO・U・KE・TSU」。

このとき「造血」という語は既にそのシニフィエシニフィアン構造における記号としての意味作用を離れ、純粋な音韻として認識されたのだ。意味と無意味の狭間を漂う、現象の生成する異質性、リゾーム。(ドゥルーズ)それは我が脳内で芸術、そして信仰の範疇へと飛翔した。

…流行語になってもいいんじゃないか、アイドルが歌ったら国民の健康に寄与するんじゃないか、医療費削減になるんじゃないか、この圧倒的な説得力。「ZO・U・KE・TSU」ソング。

…で、まあひじき食えだの鶏肉食えだのこまごまと指示を頂いたワケである。

 

***

 

 肝心のカレの唄はというと…

実に素晴らしかった。

前座に女子大生デュオが数曲演奏したんだけど、まあきれいな声で上手な演奏で、まあそりゃ確かに悪くないよねえって思ったんだけど、…悪くないだけっていうのはそれほど楽しいことじゃない。

ようやくカレと交代。

「歌手はうたうだけ」最初の一節を歌いだした途端、空気が変わった。
え、と思った。

音量が変わったのかと思った。ヴォリュームをあげたのかと。

違う。

魂へと鳴り響くその音量が変わったのだ。
頼りなく分散し手持無沙汰に浮遊していた意識がまるごとぐいっと取り込まれる。圧巻だ。精神がまるごとその歌声の圧倒的なうねりにまきこまれ捕らわれてゆく快感におぼれる。

唄の内容に関しては語りたいことが山ほどある。感動は言葉にできないし語るべきではないという。だが神や真理は語りえないものであるがゆえにそれを求め続けることを放棄するというのは違う。

論理へと翻訳したがるのは私にとって賛美のひとつのスタイルなのだ。神を讃えるにはさまざまなスタイルがある。音楽で、絵画で、舞踊で、そして言葉で。

(イヤ今それできないんですが。力足りなくて。)

とにかくね、何しろ超絶色っぽいのです、カレ。
くたびれたおじさん顔、トランス入って妖しく泳いでる目つき、そして少しひんやり怖いような冷酷さを秘めたどうしようもない哀愁。

きっと直接話したりしたら怖いひと。そういういろっぽさ。

私を魅了しつくすのは、そのどうしようもない哀愁を自ら笑いのめす突き抜け感だ。そしてその先にたとえようもなく切なく美しい祈りの歌がある。復興の唄が。

(ちょっとなあ、って思うよな苦手な傾向の唄もあるんだけどね。まあそれはまた。)

 ***  ***  *** 

帰り道、楽しかったネーとしみじみ語りあいながら電車にのった。
カレが唄いだした瞬間、空気が変わったという印象で意見が一致したことがなんとなく嬉しかった。

「一瞬で空気をつかむ、プロってああいうものなのかと思ったよ。」
と彼女は表現した。

 

…あと、もうひとつ。

「君はいないほうがいい」って唄があったんだけどね。なにしろミもフタもないあじきない罵りソングでメロディもひとりよがりっぽいやたらと陰鬱でアートな印象で、あんまり好きじゃないなアとワシは思ったんだけど。

彼女がこう言ったのは何だか脳髄に刻み込まれた。きっと一生いろいろ考え続けるためのネタになっちゃうな、と思った。

「あれ、ホントわかるよねえ。」

「歌はつまんない政治家とか権力者のことだったけど、目の前のひとのことで、時々ホントあんな風に思うんだよねえ。死ねばいいのにって。」


「きみは死んだ方がいい♬」と高らかに歌い上げる新曲のあのあじきのない残酷さは、なにか馴染みのある歌を思い出す、とずっと考えてた。思い出した。キヨシロの「きみはそのうち死ぬだろう。」、アレだ。