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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

幼児語

幼児語が嫌いである。

はい、おっきして〜、とか、ブーブーがきまちたよ、ブーブーが〜、とか、犬猫のことをわんことかにゃんことか呼びあらわす、ああいう業界用語である。

非常にねちゃねちゃとして気持ちが悪い。

はい、起きましょうね。車が来たよ。と言えばよい。

犬、そして猫、と言えばよい。

なんだか馬鹿にしている、という気がしてしまうのだ。相手がたとえ二歳児であろうと同じ人間として普段の自分の言語レベルをあからさまに落としたわざとらしい舌足らずの真似っこカリカチュア風の別次元用語を使用することはない。大人と子供で使う単語を変える必要はない。

こどもは、車なら車、犬なら犬とたとえつたない発音であろうとも済んだ言葉での正式名称をおぼえてゆくであろう。
(幻の「子供」像を想定したいかにも子供向けの言葉づかいや奇妙なお説教調やあまあまの思い込みの絵本や児童向けの物語も好きになれない。子供を馬鹿にしている気がする。同じ人間として対等にがっぷり読者に挑戦するべきだ、なんて思う。子供を見下してに己の幻想や理想をあたかも絶対真理のように上から目線で賢しらにその新しい脳髄にプリンティングしようとする浅ましさは慎まねばならぬ、語るなら真摯に己の願いと祈りをそれとしてそのままに、そしてまるごとの「わからなさの森」はそのわからない森のまま投げ出すべきだと思っている。)

相手に理解できるように説明することと業界用語としての見下したような幼児語でねちゃねちゃ言い換えることは全く違う。

いわんや、大人同士。

ツイッターとか覗いてみればオジサン世代の人々が平気で「わんこ」「にゃんこ」。「〜たん」と呼び合ったり楽しそうにじゃれている。

おそろしく気持ちが悪い。目を背けたくなるおぞましさである。イヤ善良な人々が楽しそうにじゃれあって楽しんでるとこに余計なこと言っちゃならねえ、別にそんなの自由だしただおセンスの問題で、自分の個人的な趣味嗜好にすぎないから言っちゃならねえ。

わかっている。
もちろんひたすら黙ってる。

…だけどね、そういう人に限って政治や社会現象、犯罪事件や思想を巡り、無意味に難解な経済用語や和製英語、鋭く毒々しい言葉で居丈高に正義を語り誰かを罵ったりなんかしたりする。

あの意図的なウラオモテのつくりかた、あの豹変が怖くて気持ち悪いのだ。
(バイオレンスエログロ少年漫画なんかで筋肉隆々極道チンピラみたいな悪党面がわざとらしく幼児語やハートマークとか使って相手を馬鹿にしつつ恐怖感を倍増させるあの悪趣味。)


昔、間違って付き合った人からまちがった愛称で(○○ぷー)(○○はmomong実名ファーストネーム)呼ばれたときは、その瞬間全身からトリハダがたって脳天から浅間山が噴火して相手を金属バットで宇宙の果てまでぶっとばしてから自分の頭の上に掘った井戸に飛び込んでしまいたくなった。

…何しろとにかくなんかね、耳の後ろのあたりがぞわぞわしてトリハダたってきそうな気持ち悪さなんである。


ああちょっとスッキリ。

覆面ブログありがたや。