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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

梨木香歩「f植物園の巣穴」

f植物園の巣穴

f植物園の巣穴

梨木香歩「f植物園の巣穴」

濃度の高い液体の中、ゆらり、ふわふわと、夢の中のような幻想を泳ぎ渡る感覚と、文章の、センスのよい小気味よさ。クラシックな古きよき時代の日本、下町の親密なニュアンス。そのような「隙のあった時代」という設定に、入り込んでくる、精霊、妖怪変化の類、それら世界の流動性、柔らかな不思議さを、楽しむ。

そうしているうちに、どんどんと、現れてくる、主人公の来し方、記憶の風景。

実は、そのアイディンティティを、すべてを封印していた(自分の名すら!)主人公、「佐田豊彦」。

夢の中で設定されていた「引越し後のf郷での暮らし(夢の見始めからの設定)」で始まる物語。それ自体、大変凝った造りである。

「仮のアイディンティティ」、職場と下宿、その来歴の「仮の生活環境」から、歯痛という「謎の痛み/病理の発覚」とともに、彼自身の記憶の断片が、次々とあたかも外部からの魑魅魍魎の襲撃であるかのように、次々と襲い掛かってくる。

「どうして忘れていたのだろう」という彼自身の驚きとともに、現実の日々、日常生活の中で封印されていた「水面下/過去/アイディンティティの核」が、暴き出され、読み直されてゆく、…それは、病理を解きほぐす催眠療法の如く。

問い直し、生まれなおし、生きなおしてゆく。
沼の底、心の底の底、封印された過去、その深い闇の部分までもぐってゆき、戦い、自分自身を、その一部を打ち砕く。

「さらばだ。あれもまた、私を形作っている何かには相違なかった。」

これは、このような、過去も現在も未来も溶解した、世界すべてが自己内部であるドリームタイムを舞台として、いわゆる死と再生の物語としての構造を持った小説といってもよい、と思う。

中途からの、どっぷりとインナーワールド道行的な夢幻世界に入り込む場面に至る以前から、既に瀰漫している、沼の底、闇からにじみ出てくるような気味の悪さを伴う異界的な奇妙さは、もちろんそれが既に夢の中であるという理由によるのだが、寧ろ、捏造された自分自身の来歴の記憶でもって封印したはずの真実の記憶が、封印されきれず、さまざまの「異界的奇妙さ」という徴として、象徴として見え隠れしているからであるというべきであろう。(歯の痛みに示される心の痛み、いつの間にか履いている女物の草履に示される、自分のために溺死した「ねえや」の千代の存在…)

この、夢の中で示される魑魅魍魎的な怪異、歯痛、「千代探し」の冒険の中で、主人公は、現実の生活の中で、あたかも封印されていたかのように忘れていた記憶を正しく掘り起こし、漢籍の知識による己の高慢という「殻」で護ってきたカラッポの自尊心を、逃げてゆく「紙の烏帽子をかぶった鯉」という滑稽な姿で去らせることによって打ち砕き、罪と悲しみと、がっしり正面から向き合うことによって、新しい世界としての「現実」へと目覚め、再生してゆく。

滞った泥水を治水し、流れるものとし、膿んだ乳歯の残る歯茎から激しい痛みとともに乳歯を取り除き、新しい歯への希望を手に入れる。

(現実の生活の中では、厳密に言えば、記憶がないのではなく、それに関する己の「感情」や「倫理」と正面から向き合う、対決する、解決することから逃げ続け、ただ無感覚、無感情のうちに封印していた、ということになる。…これは、日常を日常として暮らすために、必要であるがゆえに、我々は皆、多かれ少なかれ、同じ心的作業を行いながら生活しているものだ。無辜であるものはおらず、また、己の罪と絶えず向き合いながら日々を過ごす苦行など、誰にもできはしない。…だが、ときに、その無意識の忘却本能による無知、無恥、無配慮と無神経は、アイディンティティそのものを損ない、病ませ、また、あらたなる、あまりにも大いなる罪、大いなる悪の元凶ともなる。)

また、4ヶ月で流産してしまった息子の存在が、主人公のドリームタイムにおける道連れであったことがわかるシーンは、非常に感動的である。名のないカエルのようなものが水から出てきて、ともに冒険をしてゆくうちに、人間性を獲得してゆく。そして、優れてまっすぐな、その心の聡明によって、主人公の心を、己の蒙昧と高慢への気付きへと導き、浄化する。主人公「豊彦」は、生まれなかった彼に深い愛と別れの悲しみを感じ、「道彦」と名づけ、袂を分かって、現実へと戻るのだ。その、流産した自分の子供に対して、初めて抱いた、激しい心の痛みと深い愛情を新しく抱えたまま。



…そして、最後。

最後の最後に、やっと、それがすべて、そのような「夢」であったことの、クリアな、種明かしがなされる。

ことんことんと、すべての符号が腑に落ちてしまう、非常によくできたその造りに、そのオチに、読後、しみじみと感動する、作品である。