年末年始、両親のところに帰省している。
恐ろしく丈夫でおしゃべりで騒がしくて運動量が多くてエネルギッシュで出たがりデベソで働き者の母(私と正反対のタイプである。)は、朝四時起きで台所仕事に掃除、オカリナ練習にウォーキングにおしゃべりに買い物、とごうごうしゃべり続け活動し続け働き続け、午後になるとリビングのソファでとことんと昼寝する。電池が切れるのだ。
で、昼食後ソファででれんとラグビーかなんかを眺めていた父はそっとテレヴィのスイッチを消してソファからテーブルに移って静かに本など読み始める。
ふいに静寂が訪れる。
平凡に幸福なこの世代の一対の夫婦のひとつの幸福の典型のような風景、のような気がした。そりゃあいろいろ問題やらこぜりあいやらガアガア普通にあるけれど。
かけがえのないもの、という思いがしたのだ。こういうひとときのために結婚制度があってこういうひとときのために役割を生きているのではないか、と。
人生いろいろのりこえてきてやりこなしてきて、やれやれどっこいしょ、と充実のためいきとともにまどろむとき共有される、あたたかな夫婦の拵えるひだまり空間。この晴れた午後のひとときの陽だまりカプセル。安心というラベルのついたカプセル。
外はきりきり冷え込む真冬で、やたらと風景がきらきらまぶしくてガラスのように鋭くて、ぱかんと晴れあがった瑠璃玻璃細工の青空は正月みたいで(明々後日は正月だ。)でも窓ガラス一枚内側は柔らかな金色、午後の陽だまりでぬくぬくで、ただ光にあふれたあたたかいリビング。しんと満たされた静けさの中母は眠り、傍らで父は本を読む。父が大切にするもののことが分かってくるような気がしてしまう、そんなものに満たされた空間。
私は音をさせないようにそっと隣の部屋にゆく。これを損なうようなことは絶対にしてはいけないのだ。
そのうち目が覚めたら、約束してたパソ作業のやりかたのことあれこれ教えてくれろと私を呼ぶだろう。夜には近くの温泉に連れてってくれるっていうから楽しみ楽しみ。