酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「合成怪物の逆しゅう」レイモンド・F・ジョーンズ

1950年に発表されたアメリカの子供向けSF。
(66年前かよ!)日本で刊行されたのは1967年。
 
小学生の頃読んだときの強烈な記憶があって、ずっと読み返したいと思ってたのだ。「ゴセシケ」って言葉と脳だけになった科学者がぶよぶよした合成細胞生物になっちゃうとか、ラストシーンがえらく切ないうつくしい風景だったというような断片的なイメージの記憶だったんだけど。
 
ゴセシケ」の検索で発見。しかしこの手の子供向けの昭和の古典SFなんていうのはイマドキは図書館であってもどこにでもあるわけではない。隣町まで遠征してようやく長年の懸案スッキリ。

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…そうそう、この挿絵のこの奇妙な不気味さだ。手にしてなんとなくじいんと感慨。(復刻版ですが。)
 
「合成神経細胞群塊」長いから略して「ゴセシケ」。
実にものすごい翻訳センスである。もとは
 
合成細胞製端末 = cluster of synthetic neurons
 
ということらしくて、ああ納得な感じなんだけど。この愛称的な呼び方の習慣ってアメリカと日本じゃおセンスが違うからね。それにしてもあまりといえばあまりにも激しいインパクトである。「ゴセシケ」なネーミングセンス。子供心にショックだった。(いろんな意味で)…でまあ表紙のイラストの激しさと相まって結局我が人生において一生心に残ってしまうほぼトラウマ的なるイメージを持つ言葉となった。ゴセシケ
 
海外児童文学の昭和的翻訳ネーミングセンスっていえば、ナルニア国物語の「どろあしにがえもん」ていうのもすごいけど。…何にしろ、最近の洗練されきった児童書や絵本の中ではこういう昭和なおセンスが入り込む隙間ってもんがなくなっちゃってるんだな。やたらとカッコいいとか完成されてきれいな素晴らしいものだらけなんだけど。なんかもっと「ナンだよこれ」的な穴だらけ闇だらけなものをある程度おおらかに許容する世界の方がいいような気がするね、どの業界においても。テゲテゲな空間がないと寧ろ全体がゆがみ瓦解は早まる。鵜の目鷹の目で言葉遣いの落ち度をつつきだして炎上させてるばっかりじゃ大きな大切なところ見失う、きっと。不謹慎を一滴も許さない世の中は逆説的な弱いものイジメの温床になるぞ、きっと。五人組とか隣組とか差別用語狩りとかそういうのって親戚だ。世の中心貧しく息苦しくなる。鬱病や自殺や猟奇殺人とかヘイトなんたらとか天変地異とかゴンゴン増えるに違いない。
 
…というのはともかくとして。
 
いやあ、感服した。この時代のSFっていうのは、なんというか問題意識が古臭いというよりはむしろ先見の明だらけで怖いくらいなのだ。
 
で、その感服とはまた別で、純粋におもしろい。この時代独特の子供向けの翻訳表現、ひらがなだらけの文章にひるまずきちんと読めば、十分オトナの鑑賞に堪える。全然子供だましじゃない。不覚にもツボってしまった。じいいん。ラストシーンの切ないほどのうつくしさには胸が熱くなる。
 
国家ぐるみの倫理感無視のバイオ科学技術利用(生きた人間の脳を電脳パーツとして大量に利用するのだ。もちろん闇の殺人によって。)、暗殺集団、それと戦う科学者たちのさまざまの葛藤。いかにもアメリカ映画的なキャラクター設定とストーリー、アクション。映像が浮かんでくるような。これはきっとハリウッド映画にぴったりだ。いい監督と俳優で映画になったら結構ピッカピカの一流の娯楽映画になると思うなあ。
 
下手にオトナ向けの表現でないから、政府や暗殺集団、報道関係者の描写がいちいちカリカチュアライズされたパロディになってる味わいもある。政府のために働く闇の暗殺集団「協力党」の親玉マクレーの口癖が「正義ということをしらん人間が、世の中にはいるものだな。けしからん!」であることは非常に味わい深い。彼は本当に国家の権威の保持のために少数の犠牲者を出すことが正義だと信じているのだ。「政府を助けにゃならん。」
 
政府に脅され事実を知りながら協力してきたジャーゼン博士が殺されたかつての同僚の脳にむかって語る言葉もまた素晴らしい。
 
「きみは、むかし、こういうことがあったのを、歴史の本でよまなかったか。ドイツの皇帝フリードリッヒ二世が『国民をだますことは、国をおさめていくうえに、有効であるか、どうか』というテーマで、学者たちに、そのこたえをけんしょうぼしゅうしたが、ほとんどの人が国民をだまして政治をしたほうが、うまくいく、というへんじをしたのだよ。まだ世のなかがおろかだったから、こんなこたえをしたのだときみはおもうかね。ちがう、いまだって、これからだって、政府は国民をしょっちゅうだますだろう。」
 
フリードリッヒ二世持ち出すとはまた奮っている。啓蒙専制君主。(オレ世界史にはものすごく暗いので調べた。両義な存在なのネ。賢いとか有能とかってのかな、大雑把にいって。)
 
永遠の命題だろう。永遠の、葛藤。「うまくいく」ことの意味はなんだろうっていう。
 
衆愚、という言葉は許されないかもしれないがやっぱりあるのだ。(大学時代、この言葉をしみじみと呟いた友達がいて、ひどく印象深くおぼえている。禁忌であるこの言葉。あきらめの言葉。)だけど、それは、ほんとうは衆愚を生み出さないためのシステムの理想をかかげるための言葉であるほかの意味はない。それをだますことによって「うまくいく」ことはうまくいってないことと似ている。(…だけどきっといろんなテゲテゲがここでは必要なんだろうな。うまくいくためには。「嘘も方便」的な。そのときだけ成り立つ正義の綱渡りが必要なんだ、きっと。臨機応変正義。法律じゃなくて大岡裁き。)(おそらく今だってソノ現場では訓練されたピカピカ優秀なプロ脳みそ構造のひとたちが、一般人の脳ではもはや理解不能な専門性に特化して複雑化してしまったそのシステムを生きたものとして生成変成編成し続けている。そのネットワークの総体のさまざまの葛藤に満ちた不断の努力が、活動がそのためになされているんだろう。生きてくのっていつでもどこでもほんといくらでも大変で面倒になっちゃうんだよな。)
 
このジャーゼン博士もマッドサイエンティストなキャラクターで結構魅力的なんであるよ。カッコいい娯楽アクション映画にぴったりな。
 
読んでみる価値アリ、と思う也