酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

クリスマス

クリスマスが好きである。

キリスト教徒ではないので、いわゆる雰囲気としてのクリスマスが俗物的に好きなんである。敬虔な荘厳な宗教的なイメージをも単純ないいとこどりで潜ませた狡猾なその華やかさ、異国のカルチャーに憧れた我が国のカルチャーとしてのクリスマス、己のものとしての深淵を持たぬファッションとしてのクリスマス。

誇り高く生真面目で傲岸で敬虔なクリスチャンや、我が国の文化の退廃や軽薄さ、表層の宗教イメージに踊らされる大衆の俗と無知蒙昧を指摘し非難し軽蔑する知ったかぶり文化人、楽しく軽蔑して我ひとり賢く清く正しい人間ナリな心持ちになりたければなればいい。既にうまれてしまった文化はいきいきと最強のエネルギーを放つ、生命そのもの。生まれたからには生きるのヨ、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン。

 

 冬は暗くて寒くてかなしい。寂しい。お日さまは死にそうだ。

だから人間界はことさらに暖かな灯りを灯し、親しい人同士が寄り添う、華やかな夢を飾り付ける祭りをここに置く。限りなく広大な暗く冷たい空の下、街は小さく暖かな灯りをともし、その繭の中で己をまもって慎ましく華やぎを努力する。お日さまはこの祈りによって復活する。

 

何もなくても休日の街の賑わいの中をほっつき歩くのが好きなのだ。好きな街懐かしい街新鮮な街。たくさんの思い出、そしてたくさんの文化、たくさんの人々の人生の風景がすれ違う。たくさんの物語の渦の中を流れてゆくよな目の回るよなその気持ち。

クリスマスファンタジーにきらっきらに飾りたてられて、繰り返されるクリスマスソング、ここぞとばかり意匠を凝らした美麗な菓子だの店々の飾り付けだの、クリスマス商戦に賑わう街なんかもう楽しくて楽しくてぶっ倒れそうである。

手をつなぐ初々しいカップル、はしゃぐ恋人たち、老夫婦、家族連れ、気張って背伸びしてめかしこんだティーンの女の子たち、男の子たち。贈り物を選ぶ、可愛い洋服や靴を選ぶ、新奇できれいな流行、おいしいものをワイワイ言って喜ぶ。

寒空の下、街の賑わいは暖かい。
こういうところをひとりでほっつき歩くのが好きなんである。

 

マッチ売りの少女遊びである。

華やかに飾った女の子たちがピカピカ素敵な買い物をしたり、家族や友達大勢で笑いながらきれいなケーキ食べてたり恋人といちゃいちゃ楽しそうに話してたり、そういう平和で幸福な休日風景を眺め、ああ、いいなあ、と幸せな気持ちになる。

自分もああいう風なときがあった、ああ、あんな風に過ごせる人生だったら、とか、本当にものすごく寂しくてみじめなのに何だかそれがうっとりしてしまうんである。

なるべく地味でくすんだ色の上着に身を包みマスクと帽子、ポケットに手を突っ込んで仏頂面。着飾ってまばゆく幸せそうに笑いさざめく軽やかな女の子たちの群れの中、光の中を澱んで歩く孤独な闇になってゴンゴン歩くのがよい。

大好きな店を眺め、可愛い服に触れ、雑貨を眺め、値札を見てタメ息をつく。

ああ、貧乏なので買えない。

こんな部屋でこんな暮らしやあんな暮らし、あんな人生こんな人生してみたい。どんなに素敵だろう。あの人にこんな贈り物してみたい、びっくりさせてみたい、そんな人生の風景を思い描く。

かなわぬ夢は強くなる。心に魔法のマッチが灯る。

もし~だったら、の欲望と妄想のエナジイである。

さまざまの物語やさまざまの考えがマッチを擦るたびに、ひととき、何よりもリアルに輝く。そして最後に一番愛しいひとの魂が絶対の大いなる愛で儚いそれらのすべての夢を、自分のすべてを包み込んでくれる。今のみじめな自分はその至福の光の中に滅びてゆく。新しい別の世界、この閉塞から解放されたフィールド。あらゆる夢憧れ物語の各論を総括するもの、その魂へ通ずるための道程、そのメソッド

心の中にその、外部へと通じる「魂」を見出す。

 

…そういうマッチ売りの少女ごっこである。街がクリスマスモードになってくるとやめられまへんな~、コレ。