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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

節操がない

節操がない、というのはどっちかというと節操があるよりなんだか好きである。いや、ずっと好きである。

うむ。

 

…高校時代、なんだかなんとなく周囲には、大人ぶって大衆的なものを馬鹿にするとか斜に構えた皮肉な知性とか変わり者紙一重の個性とかスノッブとかポリシーあるのとかがかっこいいという風潮があった。(前述した「みょうちきりん」なS君はポリシーと個性からのみ構成された人間ではあったが、この「かっこいいとされる」分類からは完全に真逆の方向に外れていた。)

が、ピンクのキャミソールが大好きで毎日安っぽい色合いのピラピラのピンクの服ばっかり着ていたYちゃん(彼女は自転車までピンクであった。夜目にもまばゆく下品に輝くあでやかな蛍光ピンク。)はそんな風潮に決してまどわされることのない徹底したミーハーであった。

正直言って、当初、(人間性に対する評価はまったく別にして)彼女のそのような趣味嗜好に関していささかの軽侮の念を抱いていたことは否定できない。その我が認識の下賤な浅はかさ。そうだ、だが彼女の徹底ぶりは実は本当に尊敬に値するものであったのだと思う。

一番感動したのは、絶対の確信をもって堂々と言い放たれたこの科白である。

「Yにはねえ、ポリシーって、ないのお~。」

軽やかに言い放たれた言葉であった。だが、鳩に豆鉄砲なマヌケづらを余儀なくされた我が精神に一瞬後にやってきた感情は、確かに、尊敬、に似たものであったと思う。

強い。

彼女にポリシーはある。作られたポリシーに、あるいは己の創り出した物語による硬直したポリシーに縛られ振り回されないというポリシー。

まっすぐなのだ。
どしてこんなに外面も内面も毛色が違うのに親しい友人であるのかわからないと思っていたが、共通項はあったのだ。この阿呆なレヴェルでの自分の内面へのまっすぐさ。

 いや、逆にこれは私には持てないものであったのかもしれぬ。私はきっと己の中のどこか固着した部分に拘泥しており、あのような軽やかさを持っていなかった。

彼女の軽やかな自由はその後の人生にも一貫して貫かれた生き方のスタイルでありつづけた。猪突猛進、欲しいものに向かって突き進み、さまざまを失い傷つき、だがそのやりかたと結果を後悔する様子を見せたことは一度もない。常に未来への希望と欲望に向かうエネルギーしか彼女にはない。

あれは確かにまっすぐな生命力そのものであった。

 

…で、ポリシーから宗教、というところで、母である。

ウチの母は確か私が高校生の頃いきなりキリスト教徒になって、毎日曜日吉祥寺の教会に通うという新習慣を身につけた。そして激しい家庭内布教活動にのりだしたものだから家族全員大層閉口した。

だが数年後。

転んだんである。

あれだけ家族に強要しておいて、あっさり、まさかの棄教。ころり。

仏教徒になったんである。

実にものすごい節操のなさである。

 

…素晴らしい。

皮肉ではなく。今私は、人間に大切なのは、この「節操のなさ」なのではないかと思っている。

大切なのは、己の中の声。ひとは外部の権威や既成の物語、ドグマに縛られ肝心なその核のところを見失う。正義や信念や美談に縛られ、外部の大きな声は自分の根っこのところの小さな声を覆い尽くしてしまう。見えなくなる。食われてしまう。

正義や信念が戦争を生む。絶対にそうだ。信念と正義が人間に残酷を許す。あらゆる意味で正義と信念が悪を生む。罪を生む。

己の中の考えのその物語のパーツを己で選びながら、オーダーメイドなトータルとしての思想をかたちづくり続ける不断の努力こそが、状況のそのときそのときの正義に応じ、節操なく変化してゆくフレキシブルなほんとうの、よどみ腐ることのない生きた正義となるのではないかと思うんである。うつろうはかない正義のペルソナ。

 

一般に、日本人ってそういうとこ結構優れた国民性を特徴としてもってるんじゃないかなあ。

絶対の唯一神に基づかない世界観の基礎。よそからやってきた慣習は、クリスマスもバレンタインもハロウインも、その歴史も思想も深みもすべてはぎとられて雰囲気盗まれて換骨奪胎、すべてはファッションになって商業主義に踊らされる大衆的で破廉恥な節操のなさを身に着ける。

…そして、実はファッションというその節操のなさは最強の力なのではないかと、なんとなくそんなことを思う。

…敬虔なクリスチャンならば別に目を背けておけばよい。良識派はひっそりと眉をひそめていればよい。なんでもテゲテゲの寛容のゆるみの部分がないと社会は苦しくなって国は立ち行かぬ、きっとね。

オレはといえば、踊る阿呆に見る阿呆、とくるんなら、踊る阿呆を選びたいでゲス。そりゃまあちゃんと見てないとそれはそれでダメだけどさ。

 

だがとにかくやっぱり個人的には家庭内布教活動はかなりツライです。やめて、ママ。