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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「ドミトリーともきんす」高野文子

「ドミトリーともきんす」高野文子

図書館でさあっと眺めた程度なんだけど、くらくらするような、なんとも不思議な読後感。

自然科学と詩の近さと遠さ、その共通と違いのこと、世界の見え方のこと。

カオス、こみいった複雑な曲線のみで構成される具体としての自然と、そこから抽出 される直線という抽象概念で構成される自然科学(これは比喩である)、そのロゴスとの距離のこと、双方の豊かさの質のこと。

そんなことを考えさせてくれる。著名な科学者たちの研究の夢を、彼らの日常風景を絡めながらコミックスの手法で非日常性の中に示しだす、ファンタジックで魅惑的な研究の紹介ぶり。

私は不幸にしてあんまりお脳がよろしくないので(地図が読めないし大人のピタゴラスイッチもなんかいろいろ全滅。)数学的抽象世界の類は全然イメージできないんだが(ものすごく悔しい)、その豊かさをほんのり想像することくらいはできる。もどかしくて、なんだかうっとりしながらもうらやましくなる。

それは春樹の「1Q84」で、主人公天吾が数学に没頭しその美しい精緻な理論の世界にダイブし、それによって透き通った正しい答え、唯一絶対の答え、世界の数学的真理を得て安心する感覚。そして、けれど本当は、それは世界が今目に見えているような気がするものとは別の多数の可能性を秘めた奔放なアリスのワンダーランドのようにいきいきとさまざまに変容していく不思議、わくわくな発見の連続のイメージであるという解釈でもありうるのだ。

なんかおもしろい。

詩と科学。

センス・オブ・ワンダーを共通の母とし、そこから分岐し再び融合する予感(構造)を述べている。科学と宗教という真理へ向かう二輪の車輪の喩えのように。世界とはなんとうつくしく楽しく多様で、歓喜にみちたものであるのか、ということの証明。

とりあえずだな、仏教と最新物理学が通じてくるっていう話思い出しちゃうんだな。なんだろう、認識論の領域か。

(自然科学はカオスからロゴスを発見抽出する作業ではあるんだけど、そのロゴスから詩に至る道程は…ううむむむ、わかんなくなってきたけど、飛躍があるんだ、 絶対。ジャンプ。そこに直感だの神だのいろいろ怪しげなものも関わってくるんだけど、本当の本当はすっきりしたものすごく美しい理論体系であるはずだ。神の理論。カオスへの差し戻しというのではなく、けれどカオスの領域をも凌駕する、螺旋を描いた次の一つ上の次元。絶対の科学のような。)

 

それは賢治が、「銀河鉄道の夜ブルカニロ博士編)」で宗教や幸福や真理が、科学的に証明されるものとなるという未来の「科学的思考」のありようへの夢と祈りを語った理系と文系の分岐と融合の図式的構造とおそらくは同様のものである。

「おまえは化学をならったろう、水は酸素と水素からできていることを知っている。いまはだれだってそれを疑やししない。実験してみるとほんとうにそうなんだ から。(中略)みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう(中略)それからぼくたちの心がいいとかわるとか議論するだろう。そし て、勝負がつかないだろう。けれども、……実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も科学 と同じようになる。」

初期形とされるこの頭でっかち解説論理の勝ったブルカニロ博士編の生硬さからとりあえず最終形とされる現在出回っている洗練と余韻と謎にみちた抽象性へと投げ上げた祈りとかたちの銀河鉄道の夜、どっちもいいんだな、そしてどっちもあってやっぱりよかったな、最終形っていうのはないのかもしれないな、なんて思うんである。多面体賢治くん。