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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

おやつ大魔王

今は需要がないのでまったくやらなくなってしまったが実は菓子拵えるのが好きであった。菓子職人になりたいと半ば本気で思ったことがあるくらいである。

食うのが好きから始まるんだが、こおんな素晴らしいものが自分の手で拵えられるなんて、という感激がいちいちあるのだ。料理よりもずっと化学変化なマジックな楽しさの要素大きいしね。

原材料の姿をとどめない、生物としての自然との関係をぶっちぎり義務としての日常を逃れた、ムダに加工度の高い、高度に文化的でソフィスティケートされた不健康なものほどいい。去勢された自然の力。(実にこれは退廃である。)

素朴な甘納豆とかおしることかアジアンなものよりも、むくむくに泡立てた卵に幾度もふるいをかけた小麦粉、甘いはちみつにやわらかなバター、ふくふくふくら んでこんがり焼けて、オーブンからしやわせの香りがいっぱいに漂ってくるような、ぽってりクリームかけたような、芸術的に飾り付けたような、お誕生日ケー キ。長い長い時間と手間暇とテクニック、うんとムダに己の全能力を傾けた、一瞬の歓声のためだけの芸術、洒落た洋菓子の方がずっとずっとゆめゆめしい。

人生をかけて無心に白球を追う高校球児のような愚かさである。

… 子供の頃、一時期おやつにうんと不自由した時期があったせいか、おやつに異様な執着心をもっていた。中学生の頃は限られた小遣い銭をはたいて、幾度も幾度 も本屋に通いうんと吟味した自分だけの菓子のレシピ本など購入したものだ。飽きもせず繰り返し熟読した。どこにどういう挿絵があって、どういう表現があっ て、とか一生ものの記憶である。将来アルツハイマーになったらこういう記憶だけが残っていくんだろうと思う。

三度の飯、とは違う、生命維持及び活動に必要な日々の糧とは違う、食べなきゃいけません的な要素をもつ食餌とは異なる、純粋によろこびのためのもの、余剰のもの。身体には寧ろあだなすもの、だけど限りなく心の栄養。

酒みたいなものだな。

下戸は甘党というのが一般的な傾向になるというから、何かに耽溺する、その何か正しいのではない、純粋な余剰というべきものが人間には絶対に必要なのかもしれない。妙に逆説的な言い方だけど。