酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

ロケンロー

キバをむく激しい罵り。

イヤだな、つらいな、どうしてこんなに過剰なのだろう、ほとんど非論理的にまたそれを自覚しながら相手を攻撃し相手も自分をも毒々しく毒づき傷つけようとするのだろう、激しい苛立ち、憤り。

なぜこのように世界を呪詛するのだろう。

そしてなぜほかの通りがかりのひとの文章のように、ただ理解できない攻撃的防御、傲慢卑劣、思考の欠如、露悪偽悪の官能に何の痛みもなく身を任せる怠惰さ、醜いものとしてそこから離れ封印しようとすることなく、ひとすじのそれへの共感を自分の中に探しあるいは相手への反論を探して一生懸命考えてしまうのだろうひきつけられてしまうのだろう。

…わかった。

ロケンロールなのだ。

この過剰はそうなのだ。

これがこのひとのアブナさなのだ。目を背けたくなるような深く暗い痛みであり魅力なのだ。


この歌の歌詞を思い出すよ。
「♪だから僕は君が好きなのだし同時にまたとても憎いのだ♪(柳原陽一郎)」


怒り、哀しみ、寂しみ。

あまりにも祈りが強すぎるゆえに、潔癖であるがゆえに。己に対しても他者に対しても。どこかでごまかしを許すということができない。都合のいい「己の内部の醜さへの眼差しの欠如」あるいは「正しきもの」への翳りのない自己陶酔、それへの違和感を見逃すことが欺瞞を見逃すことができない、閉じることのできない鋭敏すぎる視力を持て余しているのだ。

ロケンロール。

それはよく生き方のスタイルと言われるがまた一つの知性のスタイルでもある。
激しい怒りや欲動の露悪的なまでの噴出は、優しく切ないブルースや限りない優しさの表白、純粋な生命の喜びの歌、愛の歌と表裏一体のものである。片方だけでは完全性をもって存在することができない。