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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

愛だの恋だの

恋は欠如であり愛は横溢である。

恋愛という語はおそらく類義による複合語として分類されるのだろうが、対義による複合語としてもまた認識することは可能だ。類義の中での対立される要素を抽出し、その違いを分析していくことは世界を深く豊かにしてゆく行為だと思っている。1を果てしなく2等分してゆけばその数は無限の深淵とつながってゆくものであるように。

例えば珈琲好きな人はブラジルとマンデリンとコロンビアとブルーマウンテンとコピルアク(これ一度飲んでみたい。)の風味を全く違うものとして認識し、各々の品質、焙煎具合すべての要素を事細かに見分ける味覚の鋭敏さを持っているがゆえに、専門店の珈琲だろうとネスカフェだろうとマキシムだろうとすべて「コーヒー」とひとくくりにしか認識しない味覚の持ち主よりも珈琲を喫するときのその喜びは巨大に深く豊かなものとなっているはずだ。

0と1の間を限りなく分類してゆくことによって世界はいくらでも豊穣なものとなる。

…ということで、恋愛である。恋と愛。

日本語ギョーカイの常識としては、「恋」の方が歴史が古いとされているようである。万葉の時代において恋は「孤悲」ひとりを悲しがる感情をあてはめてコイと読まれる語である。古非、古比とかもあって、まあ万葉仮名っていうのは基本当て字ではあるんだけど、それでもこの使用例が多いという事実は何かの示唆やもしれぬと思う。

今ここにいないひと、一緒に生活できないひとのことなんかを切なく慕う心持ち、というような定義である。(対象は異性に限らず、また植物とかモノや概念にたいしても同じように使用された。)

I miss you .(英語)  Tu me manques.(仏語)

ですな。「あなたの不在を私は悲しく思う。」
まさしく「恋う」の定義ドンピシャ。

あるべき場所にない、その欠損を悲しむ。心の穴ぼこ。欠如。

 

…大学時代、万葉集の講義(必須教科だったのだ。卒業のためやむなく取った。当時万葉集なんて興味なかった。…んだけど、やっぱりまあ必須となっているからにはそれなりの意味はあるもんで、結構面白かった。日本的なるもののルーツをイメージするという意味で目からウロコのことも。)できれいな白髪のおじいさん先生がのんびりと椅子に腰かけて机にもたれてその日の発表担当学生の総評をしながら「恋っていうのはねえ~、遠く離れててないと成り立たないものなんですよ~。」とおっしゃっていたことを印象深くおぼえている。「一緒にいるときは決して成り立たないんです。」

ほほう。

ってことは欠損を抱えた心が欠損を抱えた心と引き合い互いに補填されたとき欠損という「対象を求める動き、欲望、欲動」としての恋は雲散霧消、というか止揚されてしまうということなんだな。

だが一緒にいてなお「恋」が成立しているとすれば、それは一緒にいてなおひきつけあい続けずにはおられない、その限りない欠損の深化、吸引力の持続現象のことをいうのであろう。もっと、もっと。もっと一緒に、もっと相手と近く、深く。もっともっと知りたい、知ってほしい、語りたい、相手のすべてを…欠損は次々と深化し次々と限りなく求め続ける。そして失うことを、離れることを激烈に恐れる。このような心の欠損の感覚は一緒にいることによってもなお成立し続けることができる。飲んでも飲んでも収まらぬ渇き、満たされぬ餓え。そこが補填されてゆく刹那刹那の快楽を限りなく追い求め続ける、蕩尽。

だから恋は病だ。恋わずらい。恋の病。胸の痛み。苦しみ。このような語彙があふれかえるのも至極当然である。欠損なのだから。餓えなのだから。

 

で、愛である。

愛の病、とは言わない。愛は欠如ではないからだ。愛は苦しくない。愛は欠如ではないからだ。恋はひとりをかなしむが愛はかなしまない。愛はあふれるもので取り込もうとする、吸引する衝動ではないからだ。ただいとしい。ただ大切だ。あふれる光のような思いの強さ。大枠はそこである。

恋が万葉の時代から存在したのに対し、愛は中国の仏教用語からの輸入品、弘法大師がその漢字をもった経典を持ちこんだところからなんではないかといわれている。密教で「愛染明王」といえば性愛を認めたところから遊女の信仰を集めたといわれているらしいが、必ずしもその対象は性愛には限っておらず、俗っぽい意味合いではなかったようだ。が、とにかく欠如と孤独感、寂しみを根幹の意味とした恋と、その定義は明確に異なる。性愛を主とした対象への思いの強さ、という意味のテリトリイの重なりからごっちゃにされているというだけの話だ。大意としての愛という概念の大枠の中に狭義の恋の概念が含まれる、という構図を想定してもいいかもしれない。

時代が下って江戸後期から明治、欧米文化が輸入されてくると事態はまた一層紛糾する。文化と言語の輸入。

LOVEの輸入。

キリスト教の神のLOVEを性愛のニュアンスの色濃かった当時の「愛」という言葉に翻訳することができず、宣教師たちが「基督の御大切」といううつくしい言葉で翻訳したことは有名な話である。「I LOVE YOU」を漱石は「月がきれいですね。」二葉亭四迷は「わたし、死んでもいいわ。」と訳してみせたという都市伝説的なエピソードなんかもまた味わい深い。

そのへんの輸入概念もまた混入してきたってことで。その混迷の極みに達した「愛」という語、さまざまの概念と文化をひとくくりにした延長線上に今日のその愛の概念は存在している。

 

恋は欠如であり、愛は横溢である。

よく、恋は欲望、愛は献身、恋は利己で愛は利他、とか言われたりするがそれは定義とは違うだろう。現象のひとつのセグメントに過ぎない。構造的な対立関係をいうのならばそれはまず欠如と横溢であると定義するのが一番適切である。

確かに恋は己に執着した利己である。が、愛は利他なのではなく、単なるその「大切に思う」現象である。己のアイデンティティの枠を越え相手に向かって横溢する強い思い、という現象に過ぎないのだ。自己と対象の区別は既にそこにはない。自己犠牲があるとすればそれは自己犠牲として認識されない。そこに自己の枠組みがないからだ。そこにあるのは「御大切」という心的エネルギイ、或いはそこに名付けられた抽象概念。

日本古来の「思いの強さ」というシンプルな概念の土壌に中国の仏教的概念を統合した「愛」、そこに更に異質な文化を持つキリスト教の「神の愛」の概念が混入することによって、その概念の意味範囲は広大さと深遠さを深めた。

LOVE。これはおそらく恋を含む「恋愛」一般の広義。そして英語には(少なくとも中学高校で習う基本単語の中には)日本語の「恋」にあたる単語はない。あるとすれば前述した、I miss you .更に正確さを期すならばこれにいわゆる「アイラヴユー」と重ねてブレンドして言う、といったあたりにその概念は位置している。

 

…異性交遊にわくわく興味を覚え始めた女子中学生だの高校生だのがよく「○○君にコクられたの、そりゃ嫌いじゃないんだけどさあ~…アタシ、カレはLOVEじゃなくてLIKEなのよね~。」などと知ったふうに言ってみせる。恋と愛の違いというテーマとともに、LOVEとLIKEの違いも彼らの間ではよく議論のネタになるところだ。

まあここでのこの違いは「思い」の軽重っていうレヴェルの違いでしかないんではないかと思う。或いは「唯一無二」か「その他大勢」か。恋愛か友愛か。

この辺の微妙なとこはキヨシロの「I Like You」なんか絶妙だと思うんだな。I Like You、と、繰り返し繰り返しのリフレイン。そしてI Love YouとI Do Like Youをそこにひそやかに織り交ぜてゆく、歌いあげるその巧みさ。

そしてこの友愛、或いは恋愛とそれとの感情のあわいを微妙に行き交う青春応援ソングに利己と欠損と寂しさ苦しさとしての「恋」はない。あるとすれば愛ばかり。

 

恋は欠如であり、愛は横溢である。

だから愛は多数へとその対象を広げることができる。さらに言えば全世界を対象とすることができる。博愛。だからそして恋は同時に多数を、その他すべてを対象とすることはできない。博恋はない。その本質は鋭く利己的に唯一を求める欠如と寂しさなのだから。

欠如と横溢。だがこの対義である両者を分かちがたく結びつけたところに「恋愛」という複合語がある。恋は愛に変わり、愛は恋を含有する。たやすく両端を行き来する心の揺らめき。これは全体としてひとつのものだ。そうだ、欠如と横溢、一人の中では満たされることのできない、この自己への取り込みへの欲動と心を外にあふれさせる欲動の共存。あふれさせ与えずにはおられない、そして手に入れ己の中に取り込み独占することを求め奪いとらずにはおられない。決して自己の中で完結できない他者との関係性への希求、そのダイナミズムの総体としての一つの概念。矛盾したこの真逆の衝動は、ただひたすら他者と関係しあうことによって止揚される。

 

恋は欠損である。病である。痛みであり苦しみであり利己である。

…だが否定しようもなくそれはそれ自体としてこの上なく甘く輝かしく美しい。

自己の欠損、他者を求める衝動の自覚が生命の本質の輝きに繋がるというのはどういうことなのか。そのときめきとは、喜びとは何なのか。その未熟で幼く暗黒を孕んだ生命そのままの姿が、愛に至る衝動を未来に秘めたダイナミズムそのものであるということ。そしてそれは成就を、未来を夢みる力であるということ。夢みる力は生きる意志、欲動、エナジイ。その不完全体としての生命の輝き。

…わからない。もどかしい。その論理的構造を知りたい。もっとクリアに、きちんとストンと腑に落ちてくるように。もっと力強いその血肉を備えた原理を探り当ててみたい。

…なんて思うのだ。世界はきっとまだまだおもしろい。

 

「これはBAD LOVE。ひどい恋の病。楽になれるのは君の中で眠ることだけさ、治る見込みもないこの胸の痛み♪」(ヤナちゃんこの歌詞文法的に問題アリヨ。まあいいけどさ。)