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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

みょうちきりん

S君と私は大変仲が悪かった。

 

高校の同級生である。

喧嘩もよくした。(仲が良くてじゃれあう、というレヴェルの、中高生によくあるごちそうさま痴話げんか的な微笑ましいものでは決してない。本当に仲が悪かったのだ。)

それでもとりあえずやっぱり友人ではあったんだけどね。

 

まず初めて見た時から近づきたくなかった。

見てくれからしてみょうちきりんだったんである。
我が母校は当時いろんな意味でたいそうユルい都立高で、制服もなく、皆当時の高校生(デザイナーズブランド台頭の時代)らしい個性を生かしたおしゃれな恰好してたりしてて、日々女子らは品評会なんかしててそれはなかなか楽しいものであった。(いやもちろん派手とかおしゃれでなくて地味とか真面目であっても、まあなんというか、みんなカジュアル。今でいうようなユニクロとかその辺が普通な感じ。面倒だから学ラン、ていう人もいたし。)

しかしその中で強烈なこだわりによる異彩を放つ彼の服装は、センスの良し悪しのレヴェルをはるかに超えていた。毎日ピシッとアイロンをあてられてぱりっと糊のきいたワイシャツは白か水色、あるいは淡いピンク。折り目のついたスラックスに黒の革靴、金ボタンの紺のブレザー。異様に直線的な姿勢の良さ。整えられた七三的ヘアスタイル。眉毛の濃い生真面目なサラリーマンを漫画にしたようなアクの強い顔、ひとつひとつ芝居がかったその表情、そのしぐさ。社会人の没個性スタイルを逆手に取った激しく異様に輝くその個性のオーラ、それは巌のような頑迷な信念を感じさせる生き方のスタイルの顕示であった。「歩く近畿日本ツーリスト」と呼ばれたのも無理はない。

更に、吹奏楽部で自己陶酔しつつ30°の角度に首を傾けて磨き上げたトランペットを吹くその姿、彼はそのとき必ず白い手袋を着用していた。完璧である。

近づきたくなかった。

私はといえばちびで地味でおとなしくて、髪の毛はもさもさで、いつも醤油で煮しめたようなドブネズミ色のヨレヨレしたくすんだ服装で教室の窓際の隅っこにくすんでいるスタイルを好み「座敷童」「眠り姫」「昼寝ネコ」と呼ばれることに安らいで甘んじ、決して目立つことなく平々凡々と、ただだらしないままに誰の邪魔をすることもされることもなくひっそりと本を読んだり居眠りをしていられれば十分のくすんだ人生を謳歌していた。

…相容れない。

そして徹底したことなかれ平和主義を標榜していた私が何故彼と喧嘩しなければならなかったのかはよくわからない。

ヤツの方が売ってきたから仕方がなかったのだ。

私は本当にことなかれ主義の怠け者のめんどくさがりからくるタイプの平和主義者で傷つきたくもないし傷つけられたくもない、小動物のように臆病者で自分に自信もないし意見するほどの知識も主張も情熱も正義を知る知恵も語るべき自分も信念もなかったので、決して自分から人に喧嘩を売ることはなかった。今だってそうだ。

だが徹底して器が小さいので売られたものを黙殺するほどの度量もない。そりゃさすがに腹が立つだろう。得意げに振り回される価値観を押し付けられたくなかった。だから押し付けられたからには謹んでそれは押し返さねばならなかったんである。

 ****

さて、部の仲間たちの間では、大晦日から元旦にかけて街へ繰り出し、竹芝桟橋から初日の出を拝むツアーというのが恒例であった。非日常わくわくイベント嬉し恥ずかし青春のいろいろ。思い出すと甘やかでほろ苦いのすたるじやが…

…はともかくとして。

その年、東の空、海の上には雲がかかっていて、うすぼんやり。日の出の予想時刻になってもまだお日さまは雲の中状態。だが、もうすぐその雲の上からきらりと頭を出しそうな様子であった。

そこで「雲の上に出た時が我々にとっての初日の出である。それを祝おう。」という私の前向きにしてまっとうな正論を彼は権威主義にて打ち砕こうと牙をむいてきたのである。

フン、とせせらわらい

「momongは相変わらず変人のばかだな。我が国の気象庁が今年の初日の出は○時○分と発表したからにはもう初日の出は終わっているのだ。」

「Sに言われたくない。Sには主体性というものがないのか。今の状況においては制度及び権威による客観ニュース、他者にとっての日の出ではなく我々の主観による日の出を現場性として認識すべきであろう。」

「なにしろ気象庁が正しいのだ。」

…まあ一事が万事でいつもこういう具合で。
実に決して解決するはずのない不毛な堂々巡りの議論であった。

そのときも妥協を知らぬおこちゃまな我々は新年早々がっぷりと心ゆくまでたたかい、いつものバトルにいいかげん鼻白んだ周囲になだめられながら「ばかめ。」「ばかめ。」といういつものさよならの挨拶をして別れたのであった。

 

彼の七不思議のひとつに数えられるのは、その持ち物の謎である。

決して大荷物を抱えていたわけではなく、ごくあっさりと服装にふさわしい鞄の類を持っていたと思うんだけど。何しろまったく印象に残ってないくらい。

それなのに、彼に頼むとどこかにドラえもんのポケットを持っているかのごとく、いつでもなんでもかんでも出してきちゃうんである。超能力。三角定規や分度器、コンパス、虫眼鏡。糊にはさみにセロハンテープ。バンドエイドに包帯、傷薬に各種常備薬、ソーイングセットに懐中電灯、ろうそく、マッチ。携帯用のコメも常備しているというもっぱらのうわさであった。

部活動の途中、急きょ腹痛を起こし部屋の隅でうずくまっていたときは、

「おいmomong、これを飲め。」

とコップの水と一緒に、なんだっけ、ビオフェルミンだかわかもとだか正露丸だか、なんだかそういう腹の薬を魔法のように出してきてくれた。(とりあえずまあ親切な奴なんである。)

本当に頑固にみょうちきりんだったけど。

 

大人になって、あのときみょうちきりんだと思ったことなんか全然みょうちきりんじゃないんだな、と思った。高校を出たら、もっともっとみょうちきりんなことばっかりで、それまで信じてた普通、とか常識、とかの方がよっぽどマボロシのようなあやういもろいものなんだって知ったから。

 

みょうちきりん。

みょうちきりんでない人なんかいなかったのだ。

自分を曲げることなくそれでも権威を大切に奉じ、人をきちんと大切にして、彼はちゃくちゃくと大人になって、立派な仕事をしてふさわしい奥様と男の子の子煩悩パパになって親バカ写真入り年賀状を送ってきやがるようになった。

私はといえば、なんにもなすこともできず、相変わらずただ生きてるんだか死んでるんだかよくわからないみょうちきりんな酔生夢死の中にいる。