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酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

違和感

流行り言葉やネットスラングっておもしろい。

絶対に何か激しく人心をとらえる根拠がある。流れる時代の中の一瞬のツボを卓越した鋭いセンスと知性でとらえた機知に富んだ言葉。カッコイイ。ときめく。(「ときめく」は語源的な意味で。いまをときめく、ときを得た、時代をとらえた言葉って感じね。)

…だけど、クレバーな鋭い時代の知性がとらえた新鮮さがウリの言葉は手垢がついたらおしまい。

どうなのかなあ。

この流行語的なるものについては複雑な思いを抱いている。

違和感、のようなもの。

知ってはおきたいが使いたくはない。(というか恥ずかしい。)(顔文字も然り。)(読めるけどわかるけど話せない書けない使えない外国語的なポジションがいい。)その言葉を使った瞬間自分の言葉がどこかにカテゴライズされてしまう。その(知ってるんだよ、ナカマだよ。)の後ろ盾を得ると同時に自分の中の何かを流れの中に売り渡してしまう。ような気がする。

特に年配の人間が若者言葉的なるものにおもねっているのはすごくかなしいとも思う。若者文化を馬鹿にするくらいの気概と貫録をもって己の重ねた歴史を誇るべきであると思うのだ。

世代の言葉への誇りは己の人生への誇りだ。ふるびてゆくこと押し流されて失われてゆくことへの寂寥とそれに拘泥する哀れさ、ピエロな諧謔をもふくめ。

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で、今特に苦手だなあと思うのが「癒し」という言葉。

とても素晴らしくて好きで深くていいなあと思う言葉ほど手垢がつくことが悲しいと思うのだ。大切にしたいものへの感覚を摩耗させたくないのだ。マスメディアにさらされ蹂躙され猫も杓子もさして深く考えることもなく雰囲気で大切にせずに浪費するようになる。意味が浪費されて貶められ、噛み捨てられたガムみたいに意味の抜け殻になって捨てられる…

残ってゆく言葉もある。機知と時代性だけの輝きではなく、時間の洗練を経て歴史を刻みスタンダードとなり重厚と意味の深淵につながってゆく、歴史の重みを得る。そうなったら話は別だ。

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言葉を大切に扱うこと丁寧に扱うことひとつひとつ考えながら扱うこと。

言いたいことさえ通じれば、とか、内面さえよければ、とか、シニフィアンは記号に過ぎないから重要なのはシニフィエだとか、絶対にそういう思考傾向というのは間違っているのだ。

内面なんかありはしない。記号があるからこそ初めて記号内容が存在し始める。だってそれは本来一つのものなのだから。丁寧に扱うことだ、包み紙を粗末にしたとき既にその中身も損なわれている。包み紙が己の人間としての姿、その中身すら規定していく力をもつということを恐れと共に感じていなくてはならない、と、とりあえずなんだかそんな風に思っている。

眠い。