酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

コロナ緊急対策下非日常的時空備忘録

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雨とコロナとパニック映画の中のような世界に閉じ込められた春の土曜日、暖かい部屋の中でリビングの平和な両親の気配を感じ、私は思ったよりも落ち着いている。今日のお気に入りその他備忘録。

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最近Twitterでフォロー始めた、言葉にミョーに素敵な切れ味、過剰な鋭さや底光りのする誠意を感じさせてくれるコラムニストのツイート。

「オレがウソツキだって言うけどおまえだってハゲてるじゃないか式の反論。」

西荻の喫茶店のマスター開店の挨拶ツイート。

「4月18日(土)「COVID-19」が『小人19』と聞こえて、頭の中のステージに歌って踊る小人アイドルたちが登場し…さつまいものチーズケーキ焼きました。」

歌って踊る悪しき19人の小人のイメージ、私の頭の中ではB級ホラー映画の趣味の悪い恐ろしさがコロナに付加されてしまった。ブラックメルヘン。

ドグラ・マグラ365日配信チャレンジ」で読破にとりかかった奇書にて本日配信分「お尻を抓(つ)ねればお尻が痛いのだ。」

それは、脳髄が人間の知のすべてなのではなく、身体中の一つ一つの細胞がすべてそれぞれに独立して世界を感ずる生命なのであり、それでいて個の中に連携する生命なのであり、そして脳とはそれを繋ぎ合いオーガナイズする中継電話局に過ぎない、という発想であって…かなり新鮮。

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ヤナちゃん吉祥寺曼陀羅ライブも中止か…そうだろな、どうせ今回行けやしない、あきらめつくやとは思いつつ。

だけどさ、と思う。私が行けなくても今あそこであの空間でヤナちゃんとそこにいるみんなが、あの宇宙が存在していると考えるだけでも違うのだ。不思議に同じ時空に生きている喜びがある。リアルを感ずるのだ、感応。その感覚は決して世界から絶たれてはいけない。不要不急の文化とよばれるものたち。

ゴーストタウンのようにがらんと空いた小さな街をぽくぽく歩いていると、憧れだった老舗や思い入れのある懐かしい店、ちいさな可愛い気になってたお店が、それぞれに胸が痛くなるような貼り紙をして休業や閉店を告げている。

コロナは人を殺し街を殺す。コロナに焼き尽くされた焼け跡に復興できるのは巨大資本のものだけになってしまうのだろうか、と暗い思いに囚われる。どこまでが天災でどこからが人災なのか?

喪失感。

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だけどね、なんだかその喪失の痛みは、今までの己の人生を否定するものではなくて、今まで生きてきたことの尊さの、感謝と喜びの確認でもあるような気がして、それは非常なる至福で…両極に引き裂かれてただ、なんというか、甘やかな痛みだった。うっとりするような哀しみ、生まれなければよかったとは思わない。

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昨日は母がブログ乗り換えたりとかパソのあれこれお世話や指南の役割を仰せつかり、非常に疲弊した。今日明日こそじっくりねじまき鳥再読続きにかかろう。第二部「予言する鳥編」に入る。

…第一部「泥棒かささぎ編」ラスト、「間宮中尉の長い話」、一生のトラウマになってしまった皮はぎ拷問シーン、精神的に耐えられないので心の目をふさぐようにしてコアな部分はすっ飛ばすように読みとばした。

第二部冒頭、さあ奥さんが出てっちゃったぞ。