酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

梨木果歩「ヤービの深い秋」

f:id:momong:20191006234722j:plain

待ってました出ましたな、の「岸辺のヤービ」続編。
相変わらずムーミン谷である。

でもなあ、こないだの「椿宿の辺りに」で感じてしまった「あれっ、かわされた。」という物足りないような感覚をここでも少々感じてしまった。(岸辺のヤービ、椿宿の辺りに、は双方レビュ記事上げております。リンク参照。)

彼女の作品の、以前ほどの、わからなさや混沌の深淵から突き上げるような重量感のある思念、世界の持つ主体と客体の渾然としたところにある躍動する論理としての神話的ポエジイ、のようなものが幾分色褪せ力を失い、表面的にきれいに整合されたインデックス、既成の物語枠に落とし込んでゆく物語としての出木杉君なばかりのまとまりのよさ。

…いやこれぞ小説家としての老練、これぞプロって意見もあるだろうけどな。

文部省推薦課題図書現代の問題意識良識派の叫び、良心、正論のキレイゴトの部分、だけ。徹底的に問い直されないレヴェルでの半調理の倫理、道徳。(この「半調理」ってとこがミソである。以前の作品にはもっともっと原料のところからかき回す「わからなさ」の領域を尊重した慎みと深淵が感じられた。希望やうつくしさの結論に向かおうとする方向性は全く同じだとしても。)

言ってしまえば、「理屈っぽい」「説教臭い」。あちこちに仕掛けられているメッセージにはちいとそういう反射的反発を呼びかねない臭みの危険の方向性を感じる。個人的にはぎりぎりかな。

…とはいえ。
とはいえ、である。

とりあえず私は今回この本に救われることができた。その正論の描くお花畑のうつくしさ、その切ない祈りの風景に、その生命たち、こどもたちの世界の優しい関係性を孕んだ風景に。

選び抜かれた上等の言葉というのは、(特に児童文学においてこの要素は大変重要であると私は考える。魂の下地を拵える、その風景を描き出す時期に選ぶべき良書について。)舌を射すような刺激や化学調味料のごってりと濃い味、強烈な色彩や激越な甘さへの表面的な陶酔の快楽を目指した言葉ではなく、濃やかな濃やかな、小さな声を拾いながら、しんしんと読む者の心の奥に沁みわたりその種となり、やがてゆっくりと魂にそのオリジナルな世界の豊穣の風景を作り出す細心の注意を払ったやわらかな優しさで選ばれて綴られる。

たくさんの大人や子供たちが、同じようにこの本によって救われる、ということを私は確信している。まあ前作の方が視点としてスリリングな要素が仕掛けられていたとは思うけど。これから続編乞うご期待、ってとこかなあ。広げた風呂敷をいかに展開していくか。

…とにかくね、あれこれの分析はあとだ。とりあえず「波長を合わせる」「味わう」、創造的読者としての解放された己を生み出すことだ。その風景に包まれその「おいしさ」の恩恵を浴び祝福され愛し憧れ疎外され哀しみ…共犯関係にハマることだ。分析はその上で行われる。尊敬と愛がなければ批評はできない。

何しろ作品クライマックス、マジックマッシュルームの森での、それぞれの冒険をかかえた人々の精神の幻想フィールドが自然とまじりあい溶けあい顕現する領域の設定と描写が素晴らしい。これぞ梨木果歩本領発揮の幻想シーン。

…それぞれの人々がともに旅立つそれぞれの物理的な森への冒険は、母が自分が生まれたせいで昏睡状態になっていると苦しむギンドロや、虚言癖をもつ、母に愛されていない悲しみを抱えた虐待のトリカ、これらこどもらの心の奥にしまいこまれた存在の原罪の感覚に近いところにある深い寂しみ、痛みの巣くう元凶への精神の遡行の旅をする道行である。すべては混とんとして重なってゆく。(梨木果歩一流のこの物語構造が私は大好きだ。)人間界とヤービたちの世界の冒険をもまたクロスする場所、禁断の森の深奥、クライマックスの「ユメミキノコ」の胞子の飛び交うその魂の深奥。

そこにたどり着き、それぞれの子供たちの隠された痛みを治癒し未来へのステップを見出す旅となるその渦巻構造の中心。この作品に於いてここは論理として「きれいににごりなくまとまりすぎている」とは思うのだけどね。…わかりやすすぎる。

 

で、とにかくこの作品中の緻密で丁寧な風景の描写はいちいち素晴らしいんだが、就中あいかわらずおいしそうな食べ物の描写の素晴らしさは白眉である。ヤービたちの木の実の粉や蜂蜜やミルクでこさえたパムポンケーキや、ウタドリさんたちの寮の上等のカカオの「おとなの味」チョコレートケーキやピクニックのごちそうのリアルさ。これはすべての人に読んで楽しんでほしいとこ。

イラストも実にぴったりで深い色彩が美しく可愛らしい。