酔生夢死DAYS

本読んだらおもしろかったとかいろいろ思ったとかそういうの。ウソ話とか。

「蜜蜂と遠雷」恩田陸

本屋大賞直木賞受賞、すごい人気のベストセラー小説。

読み始める。
なんだろう、なじみが薄いせいか、昨今の流行ベストセラー小説特有の文体の臭みに最初ウっと来るが、(YAしかり、時代小説しかり、ハーレクインしかり。そのジャンルに独特の文体がある。作家の個性の前に、なんというか、文体のOSとして。それは例えば萌えイラストとかおめめきらきら少女漫画とか、門外漢から見ると全部おんなじに見えるとかいうレヴェル。まあね、かわいこちゃんアイドルやジャニーズの男の子たちの区別がつかないとかそういうレヴェルで、中に入り込むときちんと違いの分かるゴールドブレンドになるんであって個性は個性、すごい違いがあるのではある。まあな、ネスカフェゴールドブレンドとハマヤブルーマウンテンとブレンディの区別のつかない人もいるんだしな。100円回転寿司でも老舗の職人技高級寿司でもジャンルとしては寿司は寿司でおなじだとかそういうレヴェルなのやもしれぬ。で、その違いが判ってこそその醍醐味、その面白さもわかるんであると思うよ。)慣れてくるとぐいぐいの力業。…なるほど納得の猛烈なグルーヴ感覚というかスピード感というか節操がないほどのおもしろさである。ザ・エンタンテイメント。

直木賞本屋大賞かくあるべき、なタイプの面白さ。
これはもう少女漫画である。「ガラスの仮面」を読んだときのような夢中になるストーリーの快感。お約束な定型キャラクター、映画の中のようなカッコイイセリフを絶妙に交し合い、美男美女天才が大活躍、来年は映画にもなるそうな。これ。さもありなん。

世界的なピアノコンクールをめぐって、さまざまの青春群像、それぞれのドラマがからまりあう。音楽の快楽、栄光の快楽。天才たちが試練を越え、ぐいぐい目覚めてゆく万能感。ドラえもんの万能感。生い立ちのトラウマやデジャヴをからめた青春ドラマってのはそれだけで切ないずるいセンチメントなんである。

浅薄だとかいうのではない。極上のエンタテイメント、ジャンルに貴賤はなくこれはこれとして本当に素晴らしい。きちんと深みもあるし、描く世界は魅惑的に美しい、わかりやすく感情を揺さぶられる名作、綿密に構築された物語の知性の館。音楽による世界構築。この盛り上がりに読者を乗せる文章力が作家の力の見せ所だ。…うまいなあ、この人。すごい才能ってのは世にはあるもんだ。豪華絢爛華麗なる文体。

ただね、モリモリに盛りすぎて、盛り上がりがサーヴィス過剰で、後半はおなか一杯の感も。みんな天才の演奏で大宇宙を浮遊し深遠と己のアイデンティティの琴線震えまくって大泣きしすぎである。イヤのせられるんだけど、これが結構いいんだけど。…しかし幾度も幾度もでサーヴィス過剰の感もあり。極上のフロマージュでとろけた後に最上級のショコラ、秘蔵のワイン、最高峰モンブラン…ゴンゴン連続でたらふくサーヴされたりしたらお腹一杯でどにもならんであろう。

でも心憎いばかりにエンディングもきれいにまとまっていてうまい。

 

あとね、読みながら、読んだ後、ものすごくものすごく考えた。
…これはどう考えてもアカデミズムからは遠い。私の考える「文学」とは違う。娯楽というジャンルは別っこの論理で論じられるべきであって文学としては考えられない。

という、まずは直観である。
ガラスの仮面」は私の考える「文学」とは違う。漱石や賢治とは違う。
もちろん物語であるという形式では繋がっている。だけど、決定的なところが違うのだ。

どうしてなんだろう。

難しい。明確な境界線はひけないから。
でも違うんだよ。

それを考えたのだ。頭が溶けるほど考える価値がある難しさおもしろさ。
「文学とは何か?」

まず前提として、問いがあるところが文学なのだ。
物語を美しく組み合わせきれいに落としこんですっきり閉じる、のは文学ではない。きれいに主張が見えてしまうのは違う。独善的に倫理や美学が語られる、ってのも違う。みんなドグマだ。ひたすら閉じられない疑問があり祈りがある、読者に投げかけられ永遠に考え続けることを強要する、「石炭袋、ブラックホール、宇宙の穴(銀河鉄道の夜)」がある、これが文学である。心臓を破ってその血を読者に、未来へと浴びせかける、これが文学である。(「こころ」《漱石》)

う~ん。違うか。もう少しきちんと言わないとダメだな。
とりあえず考えるよ、おもしろいと思う限り。

f:id:momong:20181118143428j:plain